シェリー

私が自分の正義のために弟や家族と戦ってきた記録を公開します。 私らしさを大事に!!

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最近の記事

私の正義の話 その4

アメリカでの生活は順風満帆だった。 私は片付けが苦手だけどハウスキーパーを雇えばいいし、身の回りのことは男友達がやってくれる。 そんなある日、男友達が結婚してくれと言いだしてきた。今の生活は楽だし悪くない。私よりも年上だし不満な点はいくつもあるけど、まあ許してやろう。 私は観光ビザでアメリカにいるので定期的に日本に行かなければいけない。次に帰るときにでもパパに合わせてやろう。 このころになると私も自分の体調についてよくわかるようになってきた。 私は気圧で頭痛がする。日本が合

    • 私の正義の話 その3

      日本の社会でのストレスやプレッシャーは想像以上に私を消耗させた。 外資系と言っても働いているのは所詮日本人ということ。 傷病手当は当然の権利だから今まで働いてきた分きっちり休ませてもらうつもり。特に国家資格のいらないプレッシャーのせいで私は苦しんだのだからその代償として権利は当然きっちり行使させてもらう。 やはり日本は私のような優秀な人材が生きるにはせせこましすぎることは十分証明された。 そこで傷病手当を使ってアメリカへ行くことにした。 こういうときのために男友達はキープし

      • 私の正義の話 その2

        実家の会社から弟経由で家賃の補助程度のお金は入ってくることになったけれども私は外資でバリバリ働くことになった。 カレッジは卒業しなかったけれども海外生活のキャリアを買われて外資系の企業で働くことになった。 報酬は世間一般で言えば高収入、でも私という優秀な人材を雇えるなら安いものだと感じるから会社はラッキー。 働き始めてしばらくしたころ、この会社でキャリアを積むならある国家資格がないといけないことがわかって勉強をはじめた。 私を誰だと思っているの?勉強は出来て当たり前、仕事を

        • 私の正義の話 その1

          私は40歳まで何不自由なく生活してきた。 私は中学、高校と優秀だった。 周りの誰もが私に敬意を払って接していた。私も気さくにおもしろい面も見せていたので誰からも好かれていた。 模範的で誰しもの憧れ、それが私という人間を形成していた。 最初にケチがついたのは大学受験だった。私は当然有名私立を受験したが結果は合格ではなかった。 滑り止めの三流私立は周りの人間の程度も低くて私のような優秀な人間が通う場所ではなかった。それにキャンパスも東京のハズレにあった。都会で一人暮らしをするから

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