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黄昏のラーメン屋(40歳になった次の日)

中国へ発つ前に、なるべく日本でしか食べられないものを食べておきたいと考えている。

その一環として「日本の」ラーメンを食べておきたいと思っていたのだが、自分の空腹とラーメン屋の営業時間が合わなかったり、または外へ行くのが急激に面倒くさくなったりするなどで、なかなかラーメン屋(徒歩3分)に行けなかった私だった。濃厚鶏白湯が売りの、「これは天下一品リスペクトではないだろうか」というような、実に日本でしか食べられないような味が売りのラーメン屋だった。

ようやくのことで今日の昼13時、私の空腹とラーメン屋の営業時間が合致した。無職の私は無職特権を活用し、ウィスキーを叩き込み、満を持してラーメン屋に突撃した。

結論からいうと、ラーメン屋はすっかり変わってしまっていた。
その変わりようは、バンド名は同じだがオリジナルメンバーが誰もいないバンド(例:ナパーム・デス)ぐらいの激しさだった。

『居酒屋兼ラーメン屋』みたいになったメニューを目にして(なにかがおかしい)と察した私は、
「すみません、あの…前にあったドロドロというか濃厚なラーメンは」
「あ、すみません。あれ、なくなったんですよ」
爽やかに言い切られ、私は40歳にもなりながら大いに戸惑った。
かといって、「じゃあいいです」と席を立つわけにもいかず、
「あの、じゃあ『鶏白湯醤油ラーメン』にネギ大盛お願いします」
と言ったところ、ラーメン屋の爽やかな店員は、
「あ、こっちのやつですね」
あくまでも爽やかにだが、チャーシューや煮玉子など全乗せの、普通の醤油ラーメンの2倍ぐらいの価格のものを指さしてきた。
「あ、いえ・・・普通のやつでお願いします。それにネギを」
弱者男性としてそこは譲らず、私は動揺しながらもラーメンを待った。

きわめて嫌な予感はしていた。
そして、嫌な予感に限って当たるものだ。
到着したラーメンは、職人的な鶏白湯の気配を微塵も感じさせない、きわめて業務的な味の醤油ラーメンだった。
そのようなラーメンにはネギの大盛はなんら薬味としてプラスには作用せず、むしろ邪魔なぐらいだった。
かといって、決してまずくはないラーメンだった。
しかしながら明らかに「これではない」というラーメンを食べながら、私は必死で食事をガッカリから救おうとした。

(きっと、採算が合わなくて自家製鶏白湯を捨て、『ラーメンも食える居酒屋』への方向転換で起死回生を図ったのだ。そうだ、頑張っているのだこのラーメン屋は。生きるために…そう、生きんがために!)
とかなんとか勝手な妄想を繰り広げたあげく、
(かつて競馬場で食べた、伸び切ったうえに高価だったあのラーメンよりはマシだ)
という結論に至った私は元気を取り戻し、ラーメンの替え玉を注文して平らげさえした。

しかし、そんなものは欺瞞に過ぎなかった。
食後の満腹感とはうらはらに、私はひどく侘びしかった。
11時半から14時までが昼営業の店へ13時過ぎに訪れたからということはあるが、入店した時から客が自分しかいなかったというのも黄昏を加速させた。
失礼ではあるが、
「もう、長くはないだろう」
というような予感さえした。

そして、なにがいちばん侘びしいかといって、ラーメンを食べた後にこんな文章を書くことができてしまえるということが侘びしい。当初の私の構想では、バカみたいに濃厚なラーメンをバカみたいに食べて息も絶え絶えとなり、無職特権を活かしてバカみたいに惰眠を貪るはずだったのだ。

とりあえず、日本への未練がひとつ断ち切れたということはいえる。
…でもなあ。でもなあ……。


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