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職人さんに会いに~富田染工芸~

1882年に更紗の染め工房として創業した富田染工芸さんの工房を見学してきました。新しい取り組みに積極的な姿勢がとても印象的で、伝統の新しい形を感じることが出来ました。
富田染工芸さんの新しい取り組みと今に至るまでの紆余曲折について書いていこうと思います。

江戸更紗とは


「SARASA」は三千年以上前にインドで発祥し、今では国際語として世界各国で使われています。
日本に初めて更紗がもたらされたのは室町時代と言われています。当時日本の衣料の材料のほとんどが絹や麻でした。その中オランダの南蛮船等によって輸入された、木綿に染められた五彩のカラフルな染模様は衝撃的だった事でしょう。
江戸更紗の発祥は江戸中期から後期頃とされ、東京の硬水との科学反応によって江戸独特の渋みのある色味が完成されました。
そのため更紗と水との関係は重要なものとなります。

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東京での染色の変遷


かつて染色の中心地は京都だったため、江戸へは京都で染められた反物が送られてきていました。
しかし文化が成熟するにつれ町の流行りと京都からの輸送のスピードが追いつかなくなり、江戸での染色が求められるようになりました。その頃、徳川家康が現在の千代田区神田界隈に紺屋町を定め、職人を集めたことが東京での染色の始まりです。
当時染色では、川の水流を使うことが工程として必須でした。そのため、神田川付近で染色が盛んに行われるようになります。日本における染色が河川の周辺で発展している由縁ですね。
富田染工芸さんも明治に神田川沿いの浅草にて創業されました。その後都市が発展するに従い川が汚染され、それに伴い染色工房も良質な水を求め神田川の上流へ移動していきます。そうして新宿区の早稲田から中井にかけて染色の拠点として知られるようになりました。
富田染工芸さんも大正3年に早稲田に移転し現在に至ります。

富田染工芸について


富田染工芸さんには東京染ものがたり博物館が併設され、更紗の歴史や道具の紹介の他、染色の体験教室も行っています。

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富田染工芸の社長である富田篤さんは以前新宿区染色協議会の会長も務められ、新宿区の紺屋町を盛り上げるため邁進されました。染色を未来へどう残すかを常に考え行動されていることが良く分かります。
7月になると新宿区と協力し、染色の水洗いをする工程である「水元」をかつて川で行っていた様子を再現し、実際に神田川で体験できる活動も行っています。今年はコロナの流行のため開催中止となりましたが、来年は参加してみてはいかがでしょうか。

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富田染工芸さんでは染色の普及活動の他、新しい商品作りにも積極的です。着物地への染色だけでなく、染色した生地をネクタイへ加工した商品や革へ染色を施した商品も考案されています。

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木工店との共同制作でスローライフを提案する時計の製作もされています。文字盤がなく、日々時間に追われる毎日に終わりが来ることを見越した製品です。テレワーク等の普及で細かい時間管理から解放される未来を先取りしているようですね。
道具の劣化や入手のハードルは伝統工芸品の共通する悩みであるのではないでしょうか。新しい試みに積極的な富田染工芸さんも同様の悩みを感じていらっしゃいます。染める際に使われる伊勢型紙の劣化です。伊勢型紙は名前の通り紙で出来ているため、水分を使用する染色では使用に伴い劣化します。型紙が劣化すると柄が失われていくことから、柄を後生に残す取り組みもされています。タイルへ江戸小紋の柄を転用し柄自体に注目集まるよう考えられています。気軽に日本の伝統的な紋様をインテリアに取り入れられる素敵な商品ですね。

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また、着物への馴染みが薄くなった現代で着物のなんでも屋として着物悉皆屋のサービスも運営されています。着物で何かお困りごとがあればぜひ富田染工芸さんに相談してみて下さい。仕立て直しから染み抜きまで幅広く対応してくださいます。


企業情報

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富田染工芸
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田3-6-14
https://tomita-senkougi.com

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