フェスは「 #人新世 の時代をどう生きるか」を体験させるメディア #フェスティバルウェルビーイング
【ちょっと最後が物足りないので、のちほど加筆します…】
台風19号の被害の大きさが報道されるたびに呼吸が浅くなる。僕たちはとんでもない時代をサバイブしなくてはいけないんだと、かなり動揺しているのだ。はぁ…。
自然を身一つで自然の中をサバイブするフェスという体験
台風の影響で、今年の朝霧JAMは中止となった。
大きな2つのステージとキャンプ。非常にシンプルで、お客さんはゆったりと時間を過ごしている。僕は2011年以降、毎年仕事で通っている。スタッフの僕たちも場内にキャンプして、みんなで朝ごはんをつくったり、夜はBBQしたりと、毎年10月の楽しい恒例行事だ。
でも、台風だから仕方ない。フェスどころではない。あの台風は、人の命も生活も、根こそぎ奪っていったのだから。
今年のフジロックも大雨だった。場内を流れる川は増水で恐ろしい音を立てて流れ、会場の一部冠水したほど。毎年フジロックではマナーやルールの悪化を嘆く声が聞こえるが、正直、そんなこと言ってられないような雨だった。
大きな音を立てて大量の雨粒が落ちてくる。少し弱くなることもあるが、また強く降り出す。場内の至るところに小川があらわれ、泥が足を絡め取る。雨風に慣れたフジロックのタフな来場者も、流石に疲労感が見えた。
野外フェスというのは、一つの街をつくるような途方もない遊びだ。
様々なアーティストが集い、複数のステージで同時進行で行われるライブ。多くの人の腹を満たすフードエリア。ライブにいかない時間も濃密に過ごすことができるマーケットエリア。多くの人を安全に受け入れるための電気や水道、トイレ、道路などのインフラ。夢の世界に迷い込んだようなアート、装飾。それらを苗場の山の中につくる。
来場者は身一つで自然に飛び込み、レインウェアで雨や寒さから自分を守り、自分が休むための屋根を得るためにテントを張る。(周辺の宿泊施設に泊まる人も大勢いるけど)
雨が降っていても、雨宿りする場所はあまりなく、寒くなっても暖房はない。自分の持ち物を活用し、自然の中をサバイブせねばならない。
人新世をどう生きるか?野外フェスの主催者にも、来場者にもつきつけられている
一時的に豪雨に襲われるみたいなことは、これまで何度もあったけど、今回のようにまとまった時間、大雨が降り続けるってことは、僕がフジロックに行くようになってからは経験がなく、開催の初期のころからフジロックに来ているベテラン出店者さんも「こんな大雨は初めてだ」というほど。
今年の夏、大ヒットした映画「天気の子」を見た人は「あぁ、まるで天気の子のようだ」と感じた人も多かったようだ。
この「天気の子」は「 "人新世" の時代をどう生きるか?」がテーマだという記事がある。
…帆高が終盤のシーンで「アントロポセン(人新世)」をテーマにした記事を読んでいることからも、現実に目を向けている様子が見て取れる。
アントロポセンとは、人類の時代という意味の新たな地質年代の名だ。人類の活動が、地質学的な変化を地球に刻み込んでいることを表わす。
地球が神秘に満ちていた時代は終わり、現実では人間の活動が地球環境の運行に影響を及ぼすまでになっている。これは、僕たちが生きる現実世界でも言われている話だ。
「あの日私たちは世界の形を決定的に変えてしまったんだ」
アントロポセンについて触れた後では、作品を象徴するこのセリフの受け取り方が変わってくる。世界の形を決定的に変えてしまった私たちとは、僕らも含むのではないか、と。
目を背ける大人を否定し、神秘の時代から脱却した僕たちは現実に向き合う。僕たちが、地球の運行に影響を与えているという現実だ。本作では、異常気象が続いた結果、東京は海に沈む。これは、僕たちの現実でも起こり得る未来だ。
小説版「天気の子」の最後で、現実を見つめて帆高はこう語る。
「世界は最初から狂っていたわけじゃない。僕たちが変えたんだ」
アントロポセンは人類が、僕たちがもたらした変化だ。
今年、台風で中止になった大規模フェスは朝霧JAMだけでない。北海道で開催されるRISING SUN ROCK FESTIVALも中止だった。東京と大阪で開催されるSUMMER SONICも、台風の影響でステージがオープンできない状況が続いた。小さなフェスも含めれば、その数はかなり多いだろう。
野外フェス好きは自然に勝てないことを知っている
以前のnoteでフェスはメディアであるという話を書いた。
「天気の子」が映画として 「"人新世" の時代をどう生きるか?」を伝えるなら、野外フェスは体験として 「"人新世" の時代をどう生きるか?」を伝える。
人間は自然には勝てないのだ。
この記事を読んでほしい。日本の雨水管理システムはとてもレベルが高いけど、それでも今回はやばかった。この甚大な被害ですら「運が良かった」と言えるほどだったことが分かる。呼吸が浅くなる…。命を守るための仕組みは絶対に必要だ。システムの改善は常にしていってほしい。
でも、そもそも「人は自然に勝てない」という前提から始めないと、どうしたって、逃げ遅れや二次災害が起きてしまう。普段の生活の中で「人は自然に勝てない」と自覚する場面が少ないから。
一方、野外フェスは「自然界」の気分次第で、人間はいかようにも振り回される。雨が降れば濡れて寒い。風が吹けばテントも看板もあらゆるものが飛ばされる。気温が上がれば熱中症や脱水症状に陥り、気温が下がれば寒さに震え眠れない。
人間がウェアやテントを工夫しても、圧倒的な自然のパワーになすすべはなく、いとも簡単に自然は人間の命を奪う。
フェス好きだからこそ、気候危機へのアクションを
もはや、気候変動ではなく、気候危機。人類の存続をかけた戦いだ。「気候変動のような大きな問題は楽しく、クールで、セクシーに取り組むべきだ」なんて、呑気な話、10年前のアイデアだろう。隣の人の言葉を借りたなら、隣の人も危機感が足りないのでは…。
常に自然と人間のパワーバランスを自覚しているからこそ、フェス好きには、気候危機へのアクションを積極的にとってほしい。
それは同時に、自分たちの「遊び場」を守ることでもある。
グラストンベリーの「パークステージ」は、気候危機をテーマにしたフラッグが、たくさん飾られていた。
この記事が参加している募集
将来的に「フェスティバルウェルビーイング」の本を書きたいと思っています。そのために、いろんなフェスに行ってみたい。いろんな音楽に触れてみたい。いろんな本を読みたい。そんな将来に向けての資金にさせていただきます。