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手放すことは、手に入れること

今日は私が生きていく上で大切にしているスタンスについてのお話をしたいと思います。


社会的二重人格が形成されるまで

私は20代前半〜30代前半の約10年間ほど、社会的に二重人格になってしまっている時期がありました。『社会的二重人格』なんだそれ??皆さんそう思うと思いますが、私が今、勝手に作った造語です(笑)が、今からその当時を振り返るとシックリ来る表現なので使わせてもらいました。

直接自分のことを知っている人たちには周知の事実ですが、まずお伝えすることとして、私はゲイです🙋‍♂️
今から20年前、思春期真っ只中の高校2年生(17歳)の当時、一つ下の学年の後輩の男の子を好きになりました。当時の自分はめちゃくちゃビックリしました。動揺しまくりです。倫理に反する想いを抱いてしまっていると、大きな罪悪感を抱いたほどです。この甘酸っぱい初恋は自分で生み出した勝手な罪悪感により、世の中に認められない感情として蓋をして押し殺しました。代わりに受験勉強という公的に認められやすい目標に集中することで、どうにかやり過ごしました。

自分の中に秘密を抱えたまま、大学に進学しました。大学は陸の孤島と呼ばれるような関東の片田舎にある大学で、入学と同時に大きな開放感に満たされました。大学は楽しく、同級生や学部の先輩とのコミュニケーションは心地よかったです。その時は外に向かって心がオープンになっていたんでしょうね。ひょんなことから東京在住の同世代のゲイの友人が何人か出来ました。そこからは、平日は田舎の大学で勉強、週末は東京のゲイの友人達とワイワイ!みたいな生活を送るようになりました。当時は周囲の人にカミングアウトをするという発想すらなかったので、東京のゲイの友人と遊んでいることは大学の友人達には秘め事としてました。今から振り返ると、二重人格のプロトタイプがこの頃作られ始めたんでしょうね。いずれにしても、大学時代は楽しかった思い出ばかりです。

4年間の大学生活の後、社会人になりました。就職活動ではマスコミやメーカーをまわってましたが、たまたま興味を持った不動産デベロッパーにエントリーをしたところ、運良く拾ってもらえました。所謂大手の日本企業で、世間的には良いと言われる会社でしたが、ここに入社してから調子が狂い始めてきます。何があったかと言うと、ゲイという後ろめたさを隠すために不必要な嘘を付きはじめたのです。
 『彼女はいるの?』
 『どんな女の子がタイプ?』
 『結婚はいつ頃する予定?』
 『合コンいこうよ!』
・・・こういった類の質問に対して、全部嘘をついて返答してました。
大企業とはいえ、狭いコミュニティ。コミュニティの中で咄嗟についた嘘が相手にとっては自分を認知する土台となってしまうため、その嘘がまた新たな嘘を呼ぶというループが繰り返されました。残念ながら自分は生粋の嘘つきではなかったため、どんどん繰り返され、積み上がっていく嘘に対しても罪悪感を覚え、息苦しい思いで溺れそうになっていきます。それと同時に、仕事コミュニティで形成される人間関係に対して、心理的な壁をどんどんエッサコラと作っていきます。
逆に、仕事以外のコミュニティはゲイコミュニティのみに収束していき、同質の仲間達と過ごす気兼ねない時間に安らぎを覚えてました。

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チィーーーン!

はい、社会的二重人格の出来上がり。
嘘を重ね、周囲の人間関係に心の壁を作り続ける昼間の自分。
逆にそんな自分を否定するように逃げ込んだ、心理的安全な同質コミュニティ。この頃の自分を振り返ると、一つの体に二つの歪な魂が宿っていた感覚が今でも強く思い起こされます。

30代になり、当時海外事業部に所属してました。ある日、部長から中国大陸への海外赴任を命じられ、精神的な依り代となっていた、同質コミュニティから強制的に、物理的に引き剥がされてしまう目にあってしまいます。これにより、社会的二重人格はこじらせの絶頂を迎えます。
心の壁を作り続ける自分の時間が一日の大半を占め、精神的に少しおかしくなっていたかもしれません。当時、月に10回ほど飛行機移動をする生活をしていたのですが、飛行機に乗る度に上空で、『このままこの機体が墜落すれば楽に死ねるのかな・・』みたいな今から振り返るとかなりやばいことを考えていたりしました。笑

なぜならば、当時の自分は孤独感でいっぱいでした。元来、表面的には明るい性質が顕在化するので、表面的な人間関係を構築することはむしろ得意中の得意でした。なので自分の中にある孤独感を埋めるために、たくさんの表面的な人間関係を構築してきましたが、心の奥底にある孤独感は決して埋まりませんでした。一言で言うと、自分が孤独から逃れられないことに『絶望』してたんでしょうね。

大量の涙を流したその後は

そんな約10年に渡る孤独な社会的二重人格生活は、最愛のパートナーと出会ったことにより、突如として終わりを迎える日がやってきました。詳細は割愛しますが、とあるトラブルに見舞われてショックに打ちひしがれている時に、彼が、自分の中で歪な状態にあった二つの魂を、全肯定で包み込んでくれる出来事がありました。37年生きてきて、後にも先にもあんなに号泣したことは無いと言い切れるくらい大泣きしました。(あれから3年経ちますが、それから一度も泣いてません)
大量の涙を流し切ったからでしょうか。その瞬間から自分の中に働いているパワーの方向が変化し始めました。反発し合って決して交わらなかった二つの歪な魂が、少しずつお互いに向かい合い、互いを引き寄せ始めたのです。

最愛の人が傍に居てくれる。

この紛れもない事実は嘘と壁まみれの自分に、大きく且つ確実な勇気を与えてくれました。それからどうしたかと言うと、まずは自分がずっと抱えて生きてきた違和感に一つづつ向き合って、それらを手放していったのです。

嘘を・・・手放す👋

心の壁を・・・手放す👋

ちんけなプライドを・・・手放す👋

表面的な人間関係を・・・手放す👋

良くない習慣を・・・手放す👋

惰性で続けていた仕事を・・・手放す👋

そう!違和感という違和感を全部手放していきました👋👋👋
断捨離大キャンペーン🎉
当時やってたSNSの類も全てアカウント消し去りました。
身の回りが余白だらけになったのです。超・スッキリ!!

Letting its go , Letting its come

しばらくすると不思議なことが起こり始めました。手放したくても手放せなかった考え・習慣・行動・環境・人間関係etc を一つずつ放棄し始めると、その前後で新たな出会いに巡り会い始めたのです。

本音で話す自分に・・・出会う🤝

相手の心に寄り添える自分に・・・出会う🤝

譲れない想いに・・・出会う🤝

真の人間関係に・・・出会う🤝

健康的な生活に・・・出会う🤝

心の底から達成したい仕事に・・・出会う🤝

最初、手放すことは勇気がいることでしたが、一つまた一つと手放し、居心地の良いものを一つまた一つと手に入れていく過程を経ることにより、このポジティブな潮流は加速度的に速まっていきました。
そして今、恥ずかしすぎるこのnoteを書いている自分がここにいます。笑

今回の最後に

このnoteで書きたかったことは、自分の生い立ちについてでも、性的嗜好についてでも決してなく、私自身が人生で大切にしているスタンスについてです。

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ

こんなことわざがありますが、妙にしっくりくる言葉だな〜って思います。
このことわざが表すスタンスは今後一生涯変わらないでしょう。それくらい、今の自分自身のアイデンティティを構成する根幹と言っていいくらいの違和感ないものになっております。

さてさて、この長ったらしい文章を最後まで読んでくれた奇特なお方、本当にありがとうございます。機会があれば、お互いの人生観についてお話しできればいいですね!😙

では、今日はそろそろこの辺で👋


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