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『利己的な遺伝子』を読んで考える、自然淘汰と企業の生存(5/50)

『利己的な遺伝子』の初版が出版されて約半世紀、本書で主張されている内容は、出版当時と比較してかなり常識的なものになりました。主な内容は、生物の淘汰は遺伝子レベルで決定されているというもの。それまで個体淘汰が定説だった進化論への新解釈を”ほぼサイエンス・フィクションのように”キャッチーに描き、世界中にセンセーションを巻き起こしました。遺伝子が”利己的”であるという表現や、文化的伝達単位である”ミーム”の存在についての仮説などが度々物議を醸しつつも、今なお新装版が出続けるほどに世界中で愛される本です。

進化論によると、人類は億単位の時間の中で自然淘汰された後の生き残りです。

もし、ある男がシカゴのギャング界で長年順調な生活を送ってきたと聞いたら、その男がどういう種類の人間か、おおよその見当がつこう。おそらく彼は、タフな早打ちの名手で、義理堅い友人を魅きつける才のある人間なのだ。

ドーキンスは自然淘汰について上の例えを利用していますが、ギャングの場合でも遺伝子の場合でも、そして私たちが生きる現代社会においても、生き残るためには自分自身を周辺環境に適応させる必要があります。

様々な生物が遺伝子単位での生存をかけて闘った結果が今の地球に現れているわけですが、人類はその中で、特に知性を発達させることによって生き残ってきました。寒さをしのぐために自身の毛皮を分厚くするのではなく、火を起こすことを選択しました。有事の対策は文字で残し、より豊かな生活を実践するために経済の仕組を整えました。知性を発達させた結果、派生物として文明が発展した。これが、人類と他の生物における進化プロセスの違いです。

リブセンスは二〇一一年に株式上場を果たしました。株式市場という資本主義の最前線におけるプレイヤーになって、今年でちょうど十年を迎えます。

十年という月日は様々な物事を変化させます。十年前といえば私は高校一年生で、リブセンスという会社のことを知りもしませんでした。確か周りでスマートフォンを持っていたのはまだ半数くらいで、FacebookとTwitterを使い始めた直後か使い始める少し前。モバイルソーシャルゲームやケータイ小説サイトにガラケーからログインした、おそらく最後の年だったと思います。私個人の話をすると、この十年で高校一年生からアラサーと呼ばれる年齢になりました。

シカゴのギャング界や遺伝子の生存競争と比較するわけでもありませんが、リブセンスはこの激動の時間において、資本主義社会を生き抜いてきました。社史を漁っていても、当時の世間の様相は現在と全く違ったらしく、スケールしづらくとも確実に社会を前進させようと事業運営を行うリブセンスの姿勢は、当時、今よりもっとセンセーショナルに受け入れられていたようです。

十年の間に、社会においても企業においても”利他的であること”がトレンド化しました。社会においてはボディポジティブ含む、マジョリティ・マイノリティ二元論からダイバーシティという表現への変化。企業においては、社会貢献という視点が事業創造のほぼ前提条件となりました。十年前当時の学生の方からのリブセンスへの印象は存じませんが、直近弊社にエントリーいただく学生の方にとって、リブセンスは「社会貢献×事業創造」というキーワードに集約されている多数のうちの一社であるように感じることも多く、少し寂しいような気持ちになることもあります。

いつの間にか、資本主義という言葉の前に「ポスト」が散見されるようになりました。社会が良く変わっていく中で、私たちはより良く変わっていかなければならなりません。

人類の生存の特筆すべき点は、知性の発達にあります。社会の仕組みに従って変わるのではなく、一歩先んじて社会の仕組みを創造し、良い方向に牽引していくこと。これから私たちが行っていくべきは、まさにそのような作業だと個人的に思っています。

リブセンスでは、そんな未来を一緒に創造してくださる仲間を募集しています。

▼リブセンスでは、人事面談を受け付けています。ご応募は下記からDMにてお願いいたします▼
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