高齢者同士で支え合う仕組み作り

高齢者は富裕層、という言説を弄する輩が多い。その言説に引きずられて勘違いする人も多い様子。ここでその間違いを明確にしておきたい。
70代の二人以上世帯で貯蓄100万円未満あるいはゼロは、なんと24.8%、四分の一にもなる。500万円未満は41.4%、4割超える。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e1cc217591af63c922bb865fe0a47c22b5a3e2df

二人世帯で年金なしに500万円じゃ、三年もたない。もし高齢者向けの年金を完全に切れば、高齢者の4割を超える人たちが、子や孫に頼らざるを得なくなるだろう。年金を切ることは、実は高齢者だけが苦しむのではなく、高齢者を親、あるいは祖父母に持つ若者の肩に負担が来て、苦しめる。

「高齢者は富裕層、若者は高齢者の犠牲になっている、だから高齢者の年金を減らし、若者の負担を軽減しろ」という議論は、一見もっともな論理に見えるが、私は、富裕層が自分たちの負担を減らすために弄している詭弁のように思う。高齢者は富裕層ではない。4割以上が三年ももたない貯蓄しかない。

もし年金制度を廃止するか、負担を減らすかすれば、喜ぶのは富裕層。負担が減るから。恐らくだが、こうした詭弁を考えることに竹中平蔵氏はとても上手いから、誰かに入れ知恵し、広めた可能性を私は感じている。残念だが、「若者は高齢者に搾取されてる」という論理は、若者を騙そうとしている可能性が高いように思う。

冒頭で述べたように、高齢者にも貧困層は多い。正直、二人世代では年金なしだと貯蓄一千万でも5年しかもたない。その前提でいくと、貯蓄一千万以下は貧困層とみなしてよいだろう。となると、なんと53.4%、過半が貧困層ということになる。高齢者の半数が年金なくなると子どもに頼らざるを得なくなる。

こう考えると、「若者を高齢者の犠牲にするな」という論理は、もう少しきちんと見直す必要がある。もし年金を減らせば、むしろ高齢者は子や孫に頼らざるを得なくなり、恐らく5割以上の若者に負担が大きくのしかかるからだ。その影で喜ぶのは、負担が減る富裕層。

私は、あくまで思考実験だが、次のようにしてみてはどうかと思う。高齢者が高齢者を支える、というもの。
高齢者の貯蓄は平均すると2400万円(世帯当たり)を超えるという。
https://www.fundex.co.jp/contents/post/89
5割強が一千万以下なのに、平均値がこんなに高額ということは、富裕層の高齢者がいかにお金を持っているか、ということ。

ならば、富裕層の高齢者がお金を出し、貧困層の高齢者は労働力を(なるべく)提供する、という相互に助け合う仕組みに変えてはどうか。これなら若い人に金銭的負担や労働力の負担を極力減らせる。貧困層の高齢者は、元気な間は収入を得ることで生活を支えられる。

若い人が介護などの高齢者向けの労働力に駆り出されてしまうと、日本が海外に勝負するための産業を育てられないという問題が大きくなる。若い人たちには、なるべく新しい分野に挑戦してもらったほうがよい。高齢者は高齢者同士で支え合う、という仕組みにしたほうがよいだろう。

高齢者にも、上述したように貧困層が多いという実態がある。だから高齢者を富裕層呼ばわりするのは明らかな間違い。この間違いを平気で口にする人は、富裕層の負担を減らそうと画策してる人間である可能性がある。騙されないようにして頂きたい。

ただ、少子高齢化で介護の負担も増していき、若い人が新たな分野に挑戦するにも人数が減る時代の中では、高齢者が高齢者を支える、高齢者同士の支え合いの仕組みを作るほかないのではないか。だとすれば、富裕層の高齢者がこれからの日本を導く上で極めて重要なカギを握っていると言える。

ぜひ富裕層の高齢者の皆さんは、日本のため、若者たちのために、その資産を提供し、貧困層の高齢者を金銭的に助けて頂きたい。これに対し、貧困層の高齢者は元気である間は労働力を提供し、介護などの高齢者向け労働を支えて頂きたい。こうして、若者の負担を軽減してやるのが大切なのではないか。

一定年齢を超えたら、富裕層も貧困層も関係なく、資産の大部分を供出し、元気な高齢者は労働を提供する、という仕組みを作ったほうが、若者を金銭的にも労働力的にも解放できる手ではないか。
実際には、どう制度をつくればよいのか、かなり綿密に議論しないといけないだろうが。

もし、高齢者を安易に切る方向で改革を進めれば、既に述べたように5割を超える高齢者が子や孫に頼らざるを得なくなり、若者たちへの負担は激増するだろう。もしそうなれば、若者は結婚どころではなくなり、ますます少子化が進むだろう。そうなれば、「姥捨て」「爺捨て」が再現してしまう。

すると、高齢者になれば野垂れ死にせざるを得ない社会となる。そうなると、若い人は「我が子もいずれ年老いたら野垂れ死ぬしかないのか」と悲観し、ますます少子化に歯止めがかからなくなる恐れがある。高齢者を見捨てることは、若者の未来を断つことにもつながりかねない。

ならば、せめてたくさんいる高齢者同士で支え合い、「俺たちは俺たちでやってくから、若いものは年寄りを気にせず挑戦しろ!」と言える社会にするほうが、まだしも夢を抱けるのではないか。若者は、自分たちが年老いても助け合えばよい、と思えるようになるだろうから。

高齢者の姿は、若者たちの未来の姿でもある。彼等を絶望視させてはいけない。ならば、高齢者は若者に範を示す必要がある。富裕層の高齢者はお金を、元気な高齢者は労働力を提供し、支え合う。若者にそうして「年をとってもしあわせにやってるぞ!」と、範を示すのは一案ではなかろうか。

あくまで思考実験だけど、そのくらい大胆なことを考えないと、若者たちの希望を絶やさないようにすることはできないように思う。真剣にいろんな方法を考え、模索してみよう。

追伸
「若者は高齢者に搾取されてる、だから年金制度なんかやめちまえ」という論理で得られる結果は、得するのは富裕層で、憎まれるのは高齢者。実に巧妙かつ狡猾な論理なので、竹中平蔵氏あたりが広めた言説ではないかと見ている。実にうまくできてる。うまくできすぎ。

追伸2
相続税を戦後昭和並に上げて、高齢者を支える財源とするのも一つの手。

追伸3
もし「高齢者同士で支え合い」制度が始まれば、若者は「年をとってもやつていけそう」と思い、変に老後を心配して貯蓄しようとはせず、消費も増えるのではないか。

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