駄菓子屋不法家宅侵入事件

昔の話。
子どもたちが異様な数の銀玉鉄砲をのべつまくなしに撃ちまくり、大量の爆竹を鳴らして大騒ぎするなど、やたら躁状態。
「なんかおかしい」と父は首を傾げていた。
かと思ったら、今度は集団シュン太郎。しかし心ここにあらずで、勉強が手につかない。「おかしい、何かある」。

やがて一組の親子が相談に見えて、ようやく全貌が明らかになった。
近所の駄菓子屋の老夫婦が店じまいするので、これまでの恩返しだということで、店のものを好きに持って行ってよいと言ってくれたという。子どもたちは大喜びで銀玉鉄砲や爆竹をもらっていった。

ある日、子どもたちがお店を訪ねると、老夫婦がいない。店のシャッターは少し開いてたので開けて入り、「こんにちはー!おっちゃーん、おばちゃーん!」と声をかけても返事がない。お店のものは何でも持っていっていいと言ってたし、と。子どもたちはおもちゃや駄菓子をもらっていった。

何日かすると、お店はずっと留守で無人だと気がついた子どもたちは、店の品物の物色が一段落すると、そこを秘密基地にして遊びだした。柱にぶら下がったり、飛び降りたり、やりたい放題。そうしたありえないような環境で遊んでいるところで「何をしている!」と、老夫婦の息子と名乗る人物が現れた。

全員の名前と住所を書かせ、後日、こんな要求をしてきたという。「器物損壊で一人50万円の賠償を求める。もしこれに応じない場合は警察に伝える。子どもの経歴にキズをつけたくないだろ?」
当時、学生に過ぎない私にはとても手に負える案件ではない。父が「わしに任しとけ」と引き受けてくれた。

まず、今回、老夫婦の息子から脅された親御さんに集まってもらった。中には「50万円は大金だが、これを支払い、謝罪する親の姿を見せることで、子どもが変わるきっかけになるなら」と考え、賠償の支払いに応じる考えを示した。父は「バカなこと言いなさんな」と一蹴した。

「本件は子どもたちがやったこと。しかも店のものは老夫婦が好きなように持って行ってよいと言ってくれていた。店で暴れて多少壊れたと言ってもたかが知れてる。せいぜい一万ほど包んだ封筒と菓子折り持って頭を下げて終わりが相場。五十万なんていくらなんでも法外」と伝えた。

その場で多くの親御さんの委任状をとりつけた。ただ、いくつかの親子は「もし警察に訴えられて経歴にキズでもついたら」と恐れ、他の親御さんたちには黙って五十万支払った親子もいた様子だった。
さて、委任状をとりつけた父は、32回も警察と裁判所を行き来することになる。警察には。

事情を説明し、相手と裁判所で話をつけるから見守っていてほしいとお願いした。
裁判所に通い詰め、ついに老夫婦の息子と裁判所の一室で向き合うことに。父は同席する裁判所のスタッフの方に、にこやかに「5分で終わりますから、ちょっと黙ってみていただけますか」と頼んだ。

「お前、子どもたちから一人五十万も強請ろうとよくも厚かましいこと言うたな!しかも支払わんかったら警察に訴える?お前、幼稚園の理事長という立場で、ようも子供ら脅したな!もし子どもたちを警察に売り渡してみい、ワシが幼稚園の親御さんにことの経緯をぶちまけたるからな!」

それでほぼ話がついた。子どもたちのしたことでもあるし、老夫婦が「地域の子どもたちに支えられてきた店だから」と言って、店のものは自由に持って行ってよいと言っていたのだし、店のシャッターを開いたままにした戸締りの責任は店の側にあるし、五十万は明らかに法外ということで、決着。

ただ、子どもたちも裁判所に呼び出される恐怖を味わうことに。一人は大変なワルで、ヤクザにも食ってかかる気性の荒いヤツだったが、テレビのような、裁判官が居並ぶ被告席に立たされるのではと想像し、ビビりまくり。実際には調停員と部屋で話すだけなんだけど。

結局、賠償金は一切支払う必要なし、ということに落ち着いた。ただ、謝罪は謝罪として必要なので、各親子が菓子折り一つ持って謝る、ということで決着。
その後。五十万支払った家の子ども数人は、あまりよろしからぬ影響が残った。「世の中万事カネ」という発想になり、世の中をナメた態度になった。

親御さんは五十万を支払って痛い目にあったわけだが、子どもたちにしたらあっさり一括で支払っているから、それがどれほどのものか伝わらなかったらしい。しかも時代はまだバブリーな空気が残る頃。親も五十万ならサクっと支払えてしまう感じだった。

だから、「親が苦しむ姿を見せれば、これをきっかけに子どもは変わるんではないか」という目論見は完全に外れ、むしろ裏目に出た。裁判になる面倒くささを金で回避した、警察沙汰になるのを金で解決した、という事実だけが子どもに伝わり、子どもは金に対して、世の中に対して歪んだ見方をするように。

こんなことがあった。まだきれいな自転車なのに、鍵をかけようとしない。そんなことしたら盗まれるぞ、というと、その子は「盗まれたら新しいの買ってもらえるからそのほうがいいねん」。我が家にはトラブルを金で解決できる財力がある、と子どもは勘違いしてしまったらしい。その子は懲りてなかった。

この経験は、警察というのはスジを通せば話が通じるものだし、裁判所というのも、世間の相場感というのを尊重し、常識的な判断を下す場所なのだな、ということを教えてくれた。また、トラブルが起きたときは面倒をいとわず、スジを通して動くのが鉄則であることを知った。

スジさえ通っていれば、理不尽な要求をする相手を恐れる必要はないし、堂々と主張すればよいということを知った。よい社会勉強になった。法律というのは、あくまで人間社会の常識を文章にまとめたものに過ぎない。スジを通せば恐れるものではない、ということがよくわかった出来事だった。

ちなみに、駄菓子屋の息子とやらが子ども一人当たり五十万を要求したのは、その金で店を潰して更地にする資金を作ろうとしたらしい。まだバブルの残り香がする時代、更地ならさらに高く売れると考えたのだろう。そう考えると、店のシャッターを開けておいたのももしや?と、訝しくなる。

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