「物分かりの悪い人」は「頭が悪い」のではない、ただ恐れているだけ

この記事で物分かりのよい人・悪い人を書いたら、そのまま頭のよい人・悪い人と読み替える人が複数。しかし私はそうは思わないし、「頭のよい・悪い」という言葉の解像度が低すぎて、何を言ってるのか私には分からない。もう少し解像度を上げて考えてみたい。
https://note.com/shinshinohara/n/n7eb27c49227a

息子は足し算、引き算を三歳くらいでこなしていたけど、頭がいいとは思わない。ただし、息子は膨大な計算を好んでこなしていた。
「3+5」という問題を見たら、3個の点と5個の点を書いて「いち、にい、さん・・・」と一つずつ数え、それで答えを求めていた。「5+3」も同様。

するとある時、「3+5」を解いた後、逆の順番になってる「5+3」のような式にはいきなり同じ答えを書いた。私は驚いて「点を書いて数えなくていいの?」と聞くと、順番が違っても同じ数字の足し算は答えが同じになることに気がついた、という。私はその「法則」を自力で発見したことに驚いた。

「13−5」みたいな問題は当初、十三個の点を書いて、そのうち5個の点を潰して残りを数えるということを繰り返していた。
その後、いきなり「8」と答えを書くようになって驚き、どうやったのか聞いてみた。すると、「10から5を引いた数字に3を足したら答えになることに気がついた」と。

息子は膨大な計算を好んでやっているうちに、10引く5の答えは5であることをすでに記憶していて、その5に一桁の3を足せばよい、という計算手法で正解を導ける、ということを発見していた。
私は、そこに至るまでに、七面倒臭い「点を書いて数える」という作業を息子が膨大にこなしていたのを見ていた。

たくさんこなしたからそれらのコツというか、数字の法則をつかむことができた。だから頭がよいというより、莫大な経験数がコンパクトで要領の良い計算手法を編み出し、身につくのだな、ということを、息子の観察から気がついた。

不必要な情報も必要な情報と同じ重みづけで扱い、混乱してしまう「物分かりの悪い人」がつまづく原因は、2つほど考えられるように思う。一つは経験不足。もう一つは「呪い」。
「13-5」の計算は、10-5をまず計算して、後で3を足すという結構複雑な計算をしなければならない。

計算の体験が少ない子は、2つもの作業を同時にこなすことができない。不慣れなことをやらされてパニックになる。それくらいなら、13個の点を書いて5個潰すというやり方をひたすら繰り返した方がマシ。
しかしその面倒にも思える計算をたくさんのこなしているうちに。

どうも、14-5のように、一桁の数字が引く数字より小さい場合、10から引き算して、その余りを一桁の数字と足し算したら答えになるらしい、と自分で気がついてくる。経験の蓄積は、いわば人工知能の深層学習と同じで、ある種の法則性を見出すことを可能にする。

しかし、経験の蓄積なしにテクニックを教えても身につかない。トンカチでクギを打つのに似ている。クギがまっすぐ刺さるようにトンカチを振れ、と教えることは簡単だが、教えられてもそうそうまっすぐにクギを打てるようにはならない。膨大な失敗を繰り返すうちにトンカチを適切に振れるようになる。

計算も同じで、何度も繰り返すことによって10引く5は常に答えが5になることに気が付き、いつの間にか、瞬時に5と答えられるようになるが、そうなるまでには時間がかかる。

私達は10引く5の答えは5なのが当たり前だと思っている。しかしまだ経験の乏しい幼児にとってはそれはまだ当たり前ではない。昨日は5だったかもしれないけど、今日は4かもしれないと思って、点を数え、点を潰す作業を繰り返す。それを何十日も続けて。

10引く5はどうやら5にしかならないらしい、という経験を積み上げて初めて、私達は「10引く5の答えは5なんだ」ということに納得がいく。その納得ができると、「10から5を引いたら答えは5」という法則を覚えてしまい、そこでいちいち思考することを節約するようになる。

思考を節約する気になるには、納得いくまでの経験の積み上げが必要。もし算数や数学で「物分かりが悪い」状態になったのだとしたら、それは、思考を節約する気になるほどの経験をまだ積み上げられていないからだと思われる。

もう一つの原因が「先回り」。親や周囲が先回りして教えすぎると、「体の声」が聞こえなくなり、観察するゆとりを失う。
「そこはそうじゃない、こうだって言ったでしょう!」と大人に先回りされると、いま自分が何をしてるかよりも、イライラしてる人の方に意識が奪われる。このため、

自分が何をしてるかを落ち着いて観察することができない。「物分かりの悪い人」は逆説的だけど、人の話を聞きすぎて、自分がいま何をしてるのかパニくってわけが分からなくなる人が多いように思う。「物分かりの良い人」は逆に、他人の言うことを適度に聞き流せる人が多いように思う。

はっきりしたことは分からないが、先回りされてきたために自分のしてることを冷静に観察する習慣を持てなかった人に「物分かりの悪い人」が多い気がしてる。だから私は、先回りせず、人の目を気にせずに取り組める時間をなるべく提供するように心がけている。

私がそばにいると私の顔色ばかり窺うような子(人)の場合、一応一連のことを教えた後、「終わったら声をかけて」と言い残してその場を立ち去る。
落ち着いて取り組めば一人でもできる単純なことを伝えてあるので、私の目さえなければ一人で落ち着いて、どうすればよいのか思い出しながら取り組める。

同じ作業を、一人で思い出しながら十回も繰り返せばたいがい頭に入る。同時に体にも染み込む。終了したら「やるやん!」と軽く驚いて見せ、次の課題を伝え、また一人でやってもらう。こうすると、自分の「体の声」に耳を傾けながら、落ち着いて課題の意味や内容を振り返り、理解するゆとりも確保可能。

「物分かりの悪い人」は単に、人に先回りされずに、自分の「体の声」に耳を傾けながら、課題をよく観察しながら繰り返す、という経験に乏しいのが原因だと思う。だから、先回りすることなく、人の目を気にせず、落ち着いて観察する環境の中で繰り返しを行えば「情報を捨てる」も習得できる。

私のもとには7人のスタッフがいるが、誰も私より頭が悪いとは思えない。適切な訓練を経れば見なさん私より手際よく仕事をこなしてくれる。私より年配の方もいるが、問題ない。いわゆる学歴のない方もいるが、関係ない。10倍希釈、50倍希釈とかも自分で考えて測定してくれる。助かる。

もし私が「前に教えたでしょう!このときはこう!」という対応をしてたら、「物分かりの悪い人」になるだろう人はいる。しかし私自身が物分かりの悪い人間なので「ああ、仕方ないですよ、私もいまだに間違いますもん。次からこうしてもらえれば十分です」と、特に失敗をとがめずにいると。

私の指示を待ってから動こうなどという指示待ち人間なことはせず、今度は落ち着いて間違わないようにしよう、どうすると間違いやすいのか?間違わないようにするにはどう工夫すればよいのか?を自分で考えてくれる。私はその工夫の適確さに驚かされるばかり。すると失敗は非常に少なくなる。

「物分かりの悪い人」は不幸にも、落ち着いて環境を観察するゆとりを与えられてこなかったのではないか、という気がする。そういう方でも、落ち着いて観察できる環境を与え、自分なりに工夫することを勧められる環境だと、情報の取捨選択が瞬く間に的確になっていく。

たとえその人の工夫があまりよくない結果を招いても、「それは私が事前にお伝えしていなかったのが悪かったです。私の責任だから気にしないで下さい。ただ、次からこうして頂けると助かります」と伝えると、その通りにしてくれる。「物分かりの悪い人」は、叱られることの多い環境で育ったのかも。

「物分かりの悪い人」は、「物分かりの良い人」よりも脳が活発に働いているという研究があるらしい。それは恐らく、「もし間違えたらどうしよう(→叱られるかも)」という恐怖に脳のパフォーマンスが奪われている証拠のように思う。その分、パフォーマンスが悪くなってしまう。

失敗する恐怖、叱られるかもしれない恐怖。そうした「呪い」を解除すれば、「物分かりの悪い人」も適切に情報を取捨選択し、的確に処理できる。私が指導してきた、公立中学で平均以下(学年最下位も複数)の子も、私の元で働くスタッフの方々も、問題なくテキパキと課題を進められるようになってる。

失敗への恐怖、不安がパフォーマンスを大きく落とし、情報を捨てられない大きな原因になっているように思う。「もしこの情報を捨てたことが原因で失敗したり、それで叱られたりしたらどうしよう」という思考が習い性になっている人を非常にたくさん見かける。

私はだから、子どもの指導でも、スタッフの育成でも「失敗して下さい、失敗を楽しんでいます下さい」と伝える。致命的で危険なことだけはないようにこちらが配慮し、安全を確保した上で安心して失敗してもらうと、呪いは解除しやすい。呪いさえ解除できれば。
https://note.com/shinshinohara/n/n0bfea85a7314

「物分かりの悪い人」と思われていた子どもでも、あるいは大人でも、テキパキと課題をこなせるようになる。
私の研究室は、よく羨ましがられる。皆さん優秀で、テキパキと自発的に仕事をしてくれるから。私は大変助かっている。呪いさえ解除できれば、パフォーマンスは大きく向上するように思う。

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