興味の赴くまま学ぶ、体系立てるのはあと、あと。

「私は親たちに向かって、もうあきあきするほど言っているのだが、教育への道は表現であって詰めこみではない。興味のあることは、たんのうするまでやらせるにかぎる。たんのうするほどやらせるために悪習慣がつくのではない。たんのうするほどやらせないから悪いのである。」
A.S.ニイル「問題の親」p.53

このニイルの言葉は興味深い。子どもが学習意欲を失うのは、子どもが興味を持ったことに対し、親が「もっとこっちの方をしたほうが効率的でいいんじゃ?」と、親の望む勉強とかをさせようとするからだと思う。私は、逆説的だけど、学習に関してはなるべく非効率を狙うことが最も効率的だと考えている。

今、娘はポケモン図鑑にハマっている。図書館から古いポケモン図鑑を借りてきて、それらも全て頭に叩き込もうとしている。私はそれで構わないと思う。ポケモンにはドウミラーとかドウタクンとやらのポケモンがいるらしい。これは将来、中学の歴史を習ったときに

「あ!銅鏡!あ!銅鐸!」と、親しみのあるものを発見することにつながるだろう。
息子が星座をおぼえたのは「キュウレンジャー」を見て「あ!しし座レッド!」「あ!てんびんゴールド!」と、登場人物の名前を星座から発見して興味を持ったのが始まり。

息子はやがて、キュウレンジャーには出てこない星座もあることに気がつき、興味が湧いて覚えた。遊んでれば学習につながる。どんなことも。
遊びをとことん堪能すると、やがていろんな世界に繋がっていることに気がつく。そこから興味は広がり、学ぶ対象が広がっていくのだと思う。

子どもたちはマンガもテレビもゲームもそれなりに堪能している(ただし、目が悪くなってはいけないので一度に三十分までとし、休憩を入れるように言っている)。すると、そこから興味を広げ、学ぶ対象をどんどん広げている。息子は地理も歴史も英語も数学も本を読むのも科学の話も好き。

系統だってはいない。興味の赴くまま。ランダム。しかし飽きずに何度も読み返したりするからか、息子の中であれとこれとがつながり、息子の中で系統だっていく様子なのが面白い。
恐らく息子や娘は、学校で学ぶ何十倍もの内容を遊びの中で学んでいる。学校の学習はそのエッセンスに過ぎない。

ただしそのエッセンスにも意味があって、系統だっており、無駄がない。これを背骨として学習を体系づければ、様々な学習が整理整頓される。それを感じるからか、子どもたちは学校での授業も楽しい様子。ランダムに学んだことが整理されていくことの快感を覚えているからではないか。

しかし、学習の初めからエッセンスだけを教えようとしたらつまらない。体系立てて教えようとしたら、子どもはつまらない。子どもは興味の赴くまま学びたい。知りたいことをとことん知りたい。そしてそれは、他人から教えられたくない。できれば自分で発見したい。親の手柄にしてほしくない。

子どもは、遊んでるつもりでとことん学ぶ。そして学んだこと、発見したことを「これは実はこうなんだって!」と親に教えてくれる。「へえ、そんなに難しいことよう調べたなあ」と驚いてると、子どもはもっと驚かせてやろうとますますのめり込む。膨大な学習をどんどん進める。

娘は「もやしもん」というマンガが大好きで、今日のテレビ番組でカビを使った料理のクイズが出てきたとき、「お味噌汁!コウジカビ、オリゼーだよね」と言って、私はビックリした。娘の知識はランダムで、余計な知識のほうが多いのかもしれないが、余計なものもとことん楽しんで学ぶから、

学校の学習も楽にこなせるのだと思う。いわゆるお勉強は量が少ない上につまらない。それよりは興味の赴くまま、楽しんで学んで、余計な知識も含めて堪能し、ついでに学校の学習内容もあらかた済ませてしまえばいいと思う。子どもは楽しんで学習したら、学校の内容なんか目でないほど学んでしまうから。

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