数学の得意な理系と苦手な理系

いわゆる「理系」は2種類の人材に分けることができるように思う。「数学が得意だから理系」と、「数学が苦手だけど理科が好きだから理系」。私は残念ながら後者。数学は相当に頑張ったが、とうとう得意にはならなかった。数学が苦手だから物理も苦手。

理系と呼ばれる学部には、医学部、理学部、工学部、農学部などがある。このうち、工学部と理学部のほとんどは、理科の中でも物理・化学の2つを受験必須としている。私は物理がとんと苦手だったので、工学部はハナからアウトオブ眼中。理学部もそう。

医学部と農学部は、理科の中でも生物・化学で受験できる。ただし医学部受けるような学生は相当に成績がよく、数学は当然ながら得意。数学が得意だと物理も得意なことがほとんどだから、医学部を受験する学生の多くも物理・化学で受験する場合が多い。

というわけで、農学部が理系の中で唯一、「数学が苦手だけど理科が好き」な学生が受験できる学部となる。私はもともと農学部志望ではあったのだけど、数学と物理が苦手な私には、農学部と医学部しか選択肢がなかった。そして血を見るのが苦手だったので、消去法で農学部しか道はなかった。

どれくらい血を見るのが苦手かというと、教員免許取るには必要だった生物の実習でウズラを解剖すると最初に告げられたとき「無理」と言って、同級生に断りを入れてその場で立ち去った。お肉が好きなのに自分で血を見るのは苦手というのは申し訳ないが、どうにも苦手なので仕方ない。

というわけで、農学部の中でも動物系はアカンということで、必然的に植物と微生物に研究対象が絞られた。私の性分としては良かったと思う。苦手なのを無理してやることはない。

数学と物理が苦手だと言うと、とある大学の先生から「なんちゃって理系だね」と言われた。まあ、数学・物理の得意な人から見たら、理系で数学苦手なんてあり得ない、と見えても仕方ないかもしれない。理系全体で見ると、数学が苦手というのはやや肩身の狭い思いをすることになる。

しかし、農学部は比較的私と同様に「理科は好きだけど数学苦手」な人が多く、肩身の狭い思いをせずに済む分野。今の時代、統計学や熱力学、情報処理など、数学力求められることが増えているけど、それでも「理科」に取り組める分野が残っている。「実験科学」だ。

数学や物理は、理論通りに進めることの非常に多い分野だ。物理現象でも、「理論を推し進めればこういうことが起きるはずだ」と予測し、その通りになるかを実験で検証する、という形を取ることが多い。理論を推し進める際、大切なのが数学。数学的に推論を進めることが多いからだ。

ところが生物を相手にすると、理論から推論し、予測したことが起きないことが非常に多い。だいたい予想に反する。特に未知の現象に関しては、数学的推論が役に立つことはあまりない。現象を確認してから、後付けのリクツとして数学的推論を当てはめるという順序にならざるを得ないことが多い。

このことは特許にも表れている。工学系の特許は設計図などの図面を書くだけでオーケー。実際にそれを作ってみて実証する必要はない。理論的におかしいところがなければその通りになる、という信頼があるから。ところが生物を扱う特許の場合、リクツだけでは特許をとれない。実験(実施例)が必須。

これは、生物がリクツ通り、理論通りの結果になることが非常に少なく、実際に試してみて再現性良く狙った効果が出る、ということを実験で確かめないとなんとも言えない現実があるから。たとえば製薬で、ガン細胞を確実にやっつけることが分子生物学的に明らかなクスリを設計できたとする。

しかしそれをガン患者に使えるとは限らない。思わぬ副作用を起こすことがある。というか、多い。これまでの理論から考えればガン細胞にしか作用しないはずなのに、試してみるとそうでもない、ということが多い。生物は、実験してみないとわからないということが非常に多い。

こうした世界に「理科は好きだけど数学苦手」という「なんちゃって理系」の生きる道がある。数学的理論的に推論が難しい実験科学なら、ともかく手を動かし、実験してみる人間が強みを発揮する。こうした分野は逆に、数学の得意な人があまり活躍できない印象。数学力を活かしたくなるせいかも。

私が水耕栽培で有機肥料を使える研究を始めようとしたとき、それがいかに不可能かを理論的に説明してくれた研究者が複数。事実、水耕栽培が誕生してから140年以上、数多くの研究者が挑戦して失敗してきた技術。そうした背景を踏まえると、そうした理論は根拠つきで説得力があるように見える。

しかし私は、数学が苦手なりに、成算があった。過去の研究者たちの失敗を論文で読み漁って、「まだ世界で誰も試していないであろう実験」が残されていることに気がついた。それを試してみてから諦めてもよかろう、と思って実験してみたらビンゴだった。

うまくいきさえすれば、あとは数をこなし、同じ条件なら同じ現象が確実に起きるという「再現性」を確認すればよい。生物は、人間の考えたリクツ通りには動かないが、同じ条件なら同じ現象が起きるという再現性は結構ある。あとはなぜそうなるのか、後付けになるが、理論化するということになる。

生物に関しては、事前の理論化が難しい。しかし事後に理論化し、次の現象を推論することはできる。しかし面白いことに、その推論が裏切られることが実に多い。そうなれば再び手を動かす実験科学の出番。理論通りにならないからこそ、実験科学は威力を発揮する。再現性がとれるまでひたすら実験。

「理科は好きだけど数学苦手」という「なんちゃって理系」の方は、生物系の実験科学がオススメ。実は工学でも「やってみなくちゃわからない」という分野もあるらしいので、そういう場合は実験科学が威力を発揮する。でも工学部は数学・物理ができないと入学が難しい。

数学・物理は苦手だけど理科は好き、という方には、農学部はオススメ。というわけで、農学部は理系の割に数学があんまり得意じゃない人が目につく。でも、私のように数学が苦手な人間でも生きていけるニッチな分野。ニッチなようでも、やれることが大変多い分野でもある。

ネイチャーという、世界の研究者が一度は論文を載せたいと思う学術誌がある。日本人で最多の掲載数を誇るのが、南方熊楠。天才と呼ぶにふさわしい人だが、熊楠は数学が苦手過ぎて東大に入れなかった。しかし持ち前の観察力で次々に新種を発見し、明治天皇に講義したこともある。

理系なら、数学ができるにこしたことはない。だから数学や物理の得意な人に敬意を欠くべきではないと思う。ただ、変に卑下して、理系人としてできることはないと諦める必要はない。実験科学は数学が苦手でも理科が好きなら業績を残せる分野。そうした人間も生きやすいのが農学部。

農学部出の人間が、製薬、食品、化粧品などの研究開発に携わることが多いのは、「ともかく手を動かす」ことが苦にならない人が多いためでもあるだろう。数学が苦手なら手を動かせばよい。実験科学のフィールドは広い。こうした場面で活躍することを目指してみてはいかがだろう。

ところで、私が数学苦手なのは仕方ないとして、子どもたちは数学や物理で私ほど苦労せずに済んでほしいと願っている。でも、数学・物理が苦手な私ではそれを教えることができない。そこで子どもたちにせめてできることとして「好きになる」ように仕向けている。

子どもが数字や物理的な不思議を発見したり、何が工夫したり、あるいは挑戦してる様子を見たら「驚く」ことにしている。実際、不得意だった私からすれば、それらに進んで取り組むこと自体が奇跡。あり得ない。だから私は半ば呆れるような感じで驚くことも。「オモロイのか?それ?」

すると子どもたちはしてやったりという顔をして、さらに私を驚かせようと企む。何か数字や物理現象の発見があれば「こんなのに気がついた」と私に披露して驚かせる。工夫をすることで「そんな工夫、よく思いついたな」と驚かす。熱心に数字や物理現象の解明に取り組んで、その取り組み姿勢で驚かす。

子どもたちは、数字や物理現象で私を驚かせやすいのを知ってか、楽しんで取り組んでいる。そして私がいなくても、挑戦し、工夫し、発見すること自体が楽しいから好きで取り組むようになっている。果たしてどのくらい伸びるかは分からないが、好きで楽しんでるせいか、数学や物理が得意みたい。

私をみたいに、受験で必要だからと学んだタイプは、イヤイヤだから、取り組んだ時にしか学ばない。しかし楽しんで取り組んでいる場合、好きで遊んでいる場合は、楽しいからしじゅうそのことが頭にある。何か新しい挑戦をしよう、新しい工夫をしてみよう、何か発見したいとワクワクしている人間は。

考えてる密度が全然違う。楽しんでるからずっと考えてる。考えてるから工夫する。工夫するから発見が多い。するとさらに楽しい。しかも得意になる。のめり込むからさらに得意になる。
私はそうした「仮説」に基づいて子どもたちと接している。教えるのではなく、子どもたちに驚かせてもらう。

驚かせてもらえば、子どもは少なくとも嫌いにはならない。楽しんで取り組むようになる。すると、楽しまずに取り組むよりははるかに得意になる。少なくとも、その子にとって最速の学習進度・深度になると思う。

息子も娘も数学が大好きらしい。このまま行けば私ほど苦手にすることもないだろう。私は数学が苦手だったからやむなく自分にできる方法を探したが、やっぱり数学や物理を得意とすること自体は望ましいこと。子供達は好きなことに取り組んでもらえたらなあ、と考えている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?