非効率で遠回りな学習が一番効率的で応用が利く

教科書や参考書を使った効率的学習がとても非能率で、遊びの中で好きなことを好きなだけ学ぶ非効率なやり方がとても能率がよいのは気がついていたけど、それがなぜなのか、長らく言語化が難しかった。人工知能の研究の話を聞いてから、「ああ!だからか!」と納得がいった。


昔の人工知能では、モノをつかむということがとても難しかったらしい。いくら「正解」を覚えさせても少しズレたり荷物の形が違うだけでつかめなくなってしまう。応用力がまるでなく、なかなか使い物にならなかったらしい。

しかし「深層学習」という手法を取り入れてから、劇的に改善したという。


深層学習では、「正解」を教えない。ただ、右から左へ荷物を動かそうとする「動機」だけプログラムする。するとロボットアームは何度も荷物をつかもうとトライしては落とす。何百回、何千回も失敗を重ねる。そして一つ一つの失敗から学習を重ねていく。すると。


やがて「こういう形の荷物がこういう角度の状態だったら、アームをこの角度からこのくらいの力加減でつかむとよいらしい」というコツをつかみ始める。こうして、失敗の上に失敗を重ねた末に成立した学習を経ると、どんな形の荷物がどんなふうに転がっていてもつかんで動かせるようになるという。


古い学習観では、失敗は顧慮する価値のないムダなものと捉えられてきた。正解さえ覚えてしまえば最短距離で学習を終えてしまうことができると考えられてきた。しかし、それで成立した学習は丸暗記でしかなく、応用力が極めて乏しかった。少し条件が変わるだけで機能停止状態に。


深層学習という手法が教えてくれた新しい学習観では、数多くの失敗を重ねることで、初めて成功するコツの輪郭が浮き彫りになってくる、ということを明らかにした。失敗体験のない正解、成功なんて、無重力空間を漂うような頼りないもので、少し突けばどこかに消し飛んでしまうようなものだとわかってきた。


ある化学プラントの工場で、「異変が起きたらすぐに知らせるように」と若手スタッフに伝えてその場を立ち去ったところ、明らかな異常反応を起こしてるのに連絡がなかった。上司は「なんで連絡しないんだ!」と叱ったら、「何が異常なのか分からなかった」と答えたという。


これは無理もないことのように思う。大学の授業で、キュウリに様々な養分欠乏を起こす実験をしたのだけど、その時私は全く見分けがつかなかった。そもそも作物を育てた経験がなく、キュウリの健全な姿を全然知らなかったから、何が異常なのかさっぱり区別がつかなかった。


そういえば子どもの頃、ひらかたパークでサル山に行くと、どれも同じ顔したサルばかりだと思っていた。サルの個性なんか全然分からなかった。ところが何度も見に行くうち、サルにもいろんな顔立ちがあり、表情も豊かなのだと気かつくようになって、自分で驚いた経験がある。


その経験と似ているかもしれない。今の職場に入って、トマトの栽培を手伝うように。最初、どれがトマトの葉なのか、どれが脇芽で頂点なのかさっぱり区別がつかなかったのだけど、しばらく世話をしているうちにトマトと他の野菜と葉の形が違うことがわかってきて、病気も見抜けるようになってきた。


これは、毎日トマトの世話をしているうちに、健全な姿の植物体がどんなものなのかを学習し、そこからズレている姿を敏感に察知できるようになったからだろう。「健全な姿」という土台となる学習が済んでからでないと、養分不足や病気を見抜くことはできないのだと知った。


学びたいことがあるなら、その土台になる「それ以外の情報」を持っていないと成立しない。成功と失敗は山のようなもので、失敗の裾野が広くないと成功という頂点は出来上がらないらしい。


失敗を嫌い、失敗を無視し、成功だけを学ぼうとするのは、一つの石の上に同じ大きさの石を積もうとするようなもので、不安定で崩れやすい。しかも応用が利かない。

失敗の裾野が広いと、「その場合はこう工夫すれば」という体験があるから、結局頂上へとたどり着ける。応用力がつく。


深層学習の話を知ってから、私は自信を持って「遠回り学習」をするように指導することにした。正解にすぐたどり着かせるのではなく、なるべく紆余曲折を楽しむ。つらいことは続けられないから、紆余曲折の中で起きる発見を楽しみながら遠回りする。むしろ、遠回りすること自体を目的にしてしまう。


そうして遠回りするようになると、正解に気がついたとき「ああ!こうすればよかったのか!」と、ヒザを打つような気持ちになる。驚きをもってその発見に感動するので、忘れられない。数々の失敗体験の笑い話も含めて、強い思い出として残る。こうした学習は忘れない。しかも応用力が違う。


途中、ああでもない、こうでもない、と観察し、仮説を立て、試したときの経験が、対象への理解を深め、「こうすればそういう結果になる」というケーススタディを蓄積していく。応用力は失敗体験の蓄積から生まれるのだと思う。


成功、正解だけを見つめ、失敗を恐れることは、観察力を大幅に損なうものらしい。ドラえもんでこんな話がある。のび太は宝探しゲームをするため、宝箱にママのネックレスを入れてスリルを楽しむことに。しかし地図を頼りに向かった先には、埋葬金狙いで穴を掘ってる別の人が。


のび太は「ママのネックレスがとられる!」と恐怖、慌てて掘り始める。そこにジャイアンとスネ夫が来て、手伝ってもらう。するとジャイアンが古い木箱を掘り出した。しかし目当ての宝箱ではないと言ってのび太はその木箱を放りだしてしまう。

ようやく宝箱を見つけ、プラスチックのお宝を山分け。その横で。


別の人が古い木箱から大判小判が出てきたのを喜んでる、というエピソード。

のび太は、ママのネックレスを失う恐怖に囚われ、目当ての宝箱以外は目に入らなくなっていた。このために、小判がたくさん入った木箱は単なるゴミにしか見えなかった。観察力が失われていた。


成功を希求し、失敗を恐れるやり方は、観察力を大幅に低下させ、学習を困難にし、応用力を削ぎ落としてしまうのかもしれない。

ならば、むしろ成功することなんか考えず、遠回りし、紆余曲折する中での出会い、失敗との遊びを楽しんだ方が観察力がつき、応用力も身につくのでは。


学習とは、登山に似ているのかもしれない。頂上に到着するだけならヘリコプターで行けばよいが、それでは山を楽しめない。道中の花や景色を楽しむことはできない。

ふもとから一歩一歩踏みしめ、ときおり木陰で涼をとり、登りで息を切らし、平坦な道で息をつき、ときおり眺望を楽しむ。森の香気を鼻の奥で嗅ぎ取る。


五感を通じて膨大な体験的蓄積をするから「あの山はこんな山だった」と強い印象を残し、深く記憶に刻まれるのだろう。これがヘリコプターでタッチして次!みたいなやり方では、山の印象は何も残らないだろう。


学習はなるべく非効率で遠回りしたほうがよい。すると不思議なもので、山を登った経験が次の山に登るときに活きるように、他の学習を終えるのも早くなる。それでいて違いを楽しみ、玩味できる。非効率で遠回りな学習が、結果的に網羅的で応用力の高い学習につながるように思う。


私は職場のスタッフに正解を教えず、「どうしたらいいと思います?」と尋ねることが多い。もちろんスタッフにとっては初めてのことなので見当がつかない。そこで「ここをこうしたらどうなると思います?」と、質問を具体的にする。しかしわざとオススメしたのは、失敗する道。


すると新人さんは慎重に観察したあと、「こうなるんじゃないか、と思います」と答えてくれる。「その通り!こうしたトラブル多いんですよ。よく気がつきましたね。では改めて、どうしたらいいと思います?」と尋ねると、こうしたらマズイということから、とうしたらよいかが見当つく。


私はその答えに「正解!よく自分で気がつきましたね。では、その作業を繰り返してもらえますか」と頼んで、1、2回目の前でやって見せてもらって、その場を立ち去る。すると、一人で何がどういう仕組みなのかを改めて観察し、納得して作業を続けられる。


我が子にも、正解にすぐたどり着くのはつまらないので、一緒に「なんでだろう?」と不思議がり、子どもと同じ知識の持ち合わせで考えてみて、一緒に現象を観察し、そこから考えられる仮設を立て、トライしてみるという「実験」を繰り返す。そうした「裾野」での遊びが。


子どもの豊穣な体験となり、正解にたどり着いたときに膨大な体験ネットワークのオマケつきとなり、応用力をもたらすのだと考えている。実際、うちの子は二人とも、うまくいかなかったら仮説を立てて実験する、という姿勢が身についている。その紆余曲折を楽しんでいる。


そして、「正解」にたどり着いたことは、旅の終わりを意味する。登山で言えば、山頂にたどり着いて登山の終わりを意味する。しかし登山の楽しみ、旅の楽しみは道中にある。ゴールは終わりを告げる、ちょっと寂しいもの。成功、正解にたどり着くことは、ある意味つまらないこと。


だから次の山を目指す。道中を楽しむために。山に登るには一応ゴールを定めるけど、ゴールにたどり着くのが目的かというと、そうではない気がする。道中を楽しいものにするためにゴールを定めているだけ、という気がする。ゴール(正解、成功)は楽しみの終了を示す、ちょっとつまらないもの。


そんなふうに考えて、道中の紆余曲折を楽しむ、非効率な学習を楽しむとよいように思う。すると、どんな山も踏破できる体力がいつの間にかつく。正解だけを追い求め、失敗を恐れる学習法では決してたどり着けない境地のように思う。みなさん、遠回りで非効率な学習をぜひ楽しんで頂きたい。

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