子ども非接触社会

幕末の日本を見た外国人の証言によると、日本は「子どもの天国」に見えたらしい。男性たちが幼児を連れて集まり、子供自慢をして笑っている姿が描写されているという。イクメンなどとおだてる言葉がなくても、江戸時代の男性は子育てを楽しんでいたらしい。

現代の日本は、歴史上かつてないほど子どもと触れ合わない社会なのかもしれない。私のところには研究しに学生がよく来るのだが、赤ちゃんや幼児と触れ合う機会はほとんどないらしく、赤ちゃんを初めて抱いたという学生が多かった。子どもは苦手だ、という女子学生も。でも触れるようになると楽しそう。

特に戦後昭和の日本は、男性が子どもと触れ合うことがなかった時代かもしれない。私が子どもの件で都合が悪いというと「奥さんがいるなら任せておけばいいじゃないか」という上司も、まだいた。共同研究先の企業の方複数が来て、育児休暇を取るという若い男性が。するとその上司の方が。

「時代が違うなあ」と言いながら、子どもが生まれるという電話があっても仕事をしていたというちょっとした自慢話をしようとして、若い人たちの反応が白けていることに気がつきトーンダウンした。そんなだから、子育ては奥さんに任せっぱなしだったらしい。子どもとの接触も少なく。

子どもとの接触が激減した原因、3つほど思い浮かぶ。一つは戦後昭和のシャカリキ労働で休みもなく働くスタイルが当たり前で、専業主婦の妻に子育てを任せっぱなしだった時代が長かったこと。それでも、自分たちは世代を超えて遊んだ子供時代を過ごしていて、子どもと遊ぶのが好きな人も多かった。

2つ目は少子化。子どもの密度がひどく下がった。近くの小さな公園に行っても子どもの姿がない。友達と遊ぼうと思ったら、親にクルマで運転してもらって連れて行ってもらわねばならないほど離れている。もちろんそんなだからアポを取っておかないといけない。そのくらい子どもの密度が下がった。

3つ目の問題は、親以外からの子供への接触がしにくい時代が長かったこと。酒鬼薔薇聖斗の幼児殺害事件からしばらく、子どもをターゲットにした事件が相次いだ。それまでは「公園に遊びに行っといで」と言えば済んだのに、親の同伴無しで公園にやることが恐くてできなくなった。

それ以来、公園を見ても子どもの姿を見ないのが数年続いた。2000年代前半だったように記憶する。
ちょうどそのタイミングで、いわゆる「ゆとり教育」がスタートした。残念ながらタイミングが非常に悪かった。バブル崩壊してなお経済が持ち上がらず、景気を上げようと残業につぐ残業の毎日。

そんな中で子どもが学校から早く帰って来る。しかし子どもを対象とした殺人事件が相次ぐ中、公園に遊びに行かせる勇気は持てなかった。親が同伴しようにも、「24時間働けますか」のバブルの働き方は相変わらずで、そんなヒマはない。困った親は、ゆとり教育への不安を口実に、塾に通わせた。

通塾率は非常に高くなり、比較的ほっといても大丈夫だろうと思われる小学校高学年や中学生が公園に遊びに行っても、友達の姿はなかった。みんな塾に行ってしまうから。友達と会うには、友達と遊ぶには塾に自分も通ってアポを取らないと行けなくなった。かくして、経済的ゆとりのある家庭は宿通い。

「ゆとり教育で子どもがずっと家にいる、でも子どもだけ公園に遊びに行かせるのは恐い、しかし家事もやらなきゃ、夫はバブル以後の不況でますます長時間労働、子どもはほっときゃマンガかテレビ、どうすれば?」持て余した子どもの行き場は、複数の習い事。こうして大人の目から、子どもが塾に消えた。

しかもこの頃、親の不安を駆り立てる言説が多かった。ビジネス誌は相次いで子育て雑誌を発刊、子供を「勝ち組」に育てなければ負け組になる、と脅した。親はますます塾通いに狂奔し、理想の子育てをすべく、他の人達からの口出しを嫌がるようになった。

「もっとのびのびと子育てしたらいいのに」という他人からの言葉は、負け組へと誘う悪魔の声に聞こえたみたいで、他人からの子育てへの口出しを嫌う時代が続いた。
子どもは公園に行っても姿が見えず、声をかけようにも親が嫌がる。そんな時代が続いて、大人は子どもと非接触になる地代が続いた。

しかし変化が訪れる。2015,2016年ごろ、「ワンオペ育児」という言葉が現れた。孤立無援で子育てする状況となり、若い母親たちがSOSを発するように。電車に赤ちゃん連れで乗ると、迷惑だと言われるように。親は必死に泣かないようにあやしたり、気を遣ったり。子育て中の母親は理解者を失っていた。

この記事は2019年に思い出して紹介したものだけれど、実際に起きたのはさらに数年前。この記事にも書いたように、母親は必死に子どもを静かにさせようとするけど子どもは気にせず大騒ぎ。電車に乗り合わせた大人たちは不満げな怒りの表情で、「親がなんとかしろ」オーラ。
https://corobuzz.com/archives/141255

で、私はその子どものそばに行き、「楽しんでるところ悪いけど、この電車、疲れてるおじさんが多くてな、少しでも眠りたいねん。静かにしたってくれるか。悪いな」と伝えた。子どもはピタッと静かになった。今まで「背景」だと思っていた大人たちが、実は人間だったことに初めて気がついて。

この記事は当時、大変バズって、テレビなどにも取り上げられた。そのせいか、電車での大人たちの子どもへの眼差しが優しくなった。泣いてる赤ちゃんや抱えて大変だね、という空気に変わった様子。これはよかった、と思う。問題は、ここ二十年ほど、大人が子ども慣れする機会を失ったこと。

それが、保育園などの子供施設を騒音発生工場のようにみなし、迷惑だと平気で反対できる社会に変えてしまったのだと思う。子どもの声を騒音だと認識してしまうのは、子どもと接触する機会を失ったためだと言えるだろう。

大阪市の都会で育った友人は、福知山で働くようになったとき、「カエルの声がやかましい」と言って嫌がっていた。カエルを捕まえて遊んだことがなく、親しみを持てなかったらしい。私は捕まえて遊んだことがあるからむしろ親しみがあり、子守唄みたいなものだったが。

少子化でますます大人たちは子どもとの接触機会を失っている。接触することがなければ親しみはなく、ただの騒音になってしまう。子どもは「迷惑な存在」になりかねない。この状況が悪化すれば、ますます子育てしにくい社会となり、少子化をとどめることは難しくなるだろう。

私の尊敬する育児支援室の先生は、近隣の中学生を呼んで、同意の得られてるお母さんたちが参加し、中学生に赤ちゃんを抱いてもらうプログラムを組んだ。みんな恐る恐る。赤ちゃんが泣くこともあったり、まだ首が座ってなかったり。たった一度のそうした体験があるだけで違うと思う。

コロナ前だけど、まだ赤ちゃんだった息子を抱いて祖母のいる施設に行くと、お年寄りの皆さんがパァっと明るくなった。ああ、子どもと触れ合う機会が少ないんだな、と感じた。赤ちゃんという命の輝きは、心を明るくする力があるんだなあ、と思った。

今はコロナがあるから難しくなっているけれど、ふだん子どもと接触する機会のない大人が、子どもと触れる機会が増えていくとよいな、と思う。大人が難しければ、せめて中学生くらいの多感な世代に。たった一度でも、赤ちゃんを抱く体験があると、「あのとき、どう抱けばよかったのだろう?」と考える。

すると、赤ちゃんを抱いている人を見たら、自然とどう抱いてるかを観察するようになる。異性を気にするようになる思春期に赤ちゃんを抱いた体験は、非常に大きな印象を与えると思う。赤ちゃんを抱いた体験のない人ならなおさら。
彼らが世代交代したとき、子どもへの視線も変わるだろう。

今の大人を変えるのが難しければ、若者を。子どもとの接触機会をどう設けるか。子育てに理解のある、というより子育てを楽しむ社会を取り戻すための第一歩を、始めていく必要があるように思う。

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