「○○を知らないならモノ言うな」は民主主義の敵

「○○を知らないなら意見を言うな」という発言がしばしばツイッターでも出てくる。私はこうした考えをとっていない。知らなくても、無知であっても、意見は述べて構わないと考えている。誰もが発言し、意見を述べることができることが、民主主義の基礎なのだから。

もし「○○も知らないで発言するな」なんて主張を認めたら、誰も発言できなくなってしまう。いったいどれだけの知識を身に着ければよいのか、誰もわからないからだ。そうなると、誰もが黙らざるを得なくなる。それでは民主主義は成立しない。知識がなくても発言は自由な方がよい。

ただし、知らないことは知らないと表明し、教えてもらうことをためらわないほうがよいと思う。知識を得たらまた意見も変わるかもしれない。それで構わない。意見を述べなければどの知識が不足しているのかも明らかにならない。知識を補うためにも、意見表明はとても重要。

この場合、「そんなことも知らないのか!」と無知をバカにする発言は、厳に慎むべきだと思う。もしバカにされるようなら、その人は黙ってしまうだろう。それでは無知は放置され、意見の改良は進まなくなる。無知をバカにする行為は、民主主義を大きく阻害する言動だと言えるだろう。

だから、相手の知識不足に気がついたら、気前よく自分のもつ知識を共有することが大切だと思う。その際、「自分の方が知識があり、お前は無知」という態度が出ていると、相手に不快な思いを与える。「私も知らないこと多いんで、お互いさま」という姿勢で共有することが大切。

まとめると、
・知識がなくても意見は述べていい。
・知識を補うことをためらわない。
・知識のある者はない者をバカにしない。
・知識のある者は気前よく提供する。
・知識を提供する際は、相手のプライドを無用に傷つけないよう、配慮する。
・「知識がないのはお互いさま」精神で。

こうしたコンセンサスが、民主主義を発展させるうえで重要だと思う。「自分の方が知識あるよ、お前はないんだね」マウントは、民主主義にはそぐわない。その点を、ツイッターでも認識を広く共有できたらなあ、と思う。

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