体の声を聞く

息子(小四)、初めてのバッティングセンター。時速70キロの球は打てんだろ。そもそもプラスチックのバットしか振ったことないのに金属バットを振れるわけがない、と思ってたら、バシバシ当てた。羽子板から始まり、プラスチックバットで磨いた体感は無駄ではなかったらしい。驚いた。

私は球技全般が苦手で、子どもの頃、バッティングセンターでまともに当たった覚えがない。剣道を始めてマシになり、大学生で自己改造してからだいぶよくなったけど。
自己改造で気がついたのは「教えるからぎこちなくなる」ということ。不器用な人は教えられた言葉に縛られて体の声が聞こえない。

息子を育てる際、気をつけたのは、教えないこと。体の声に耳を傾けられるように。体の声を聞くには、失敗してもひたすら繰り返すことが大切。だから失敗も気にしない。むしろ「今のはこうだったね」と、失敗を観察し、その発見を楽しむようにした。失敗も観察ネタなら、いくらでも楽しく繰り返せる。

失敗を繰り返し楽しみ、観察することを楽しめば、体の声が「次、こうしてみたら?」という仮説をささやいてくれる。そのささやきに従って補正すれば、体の動かし方のビッグデータが自然に蓄積する。すると、自然に体の動かし方がうまくなる。

「教える」という行為はしばしば、失敗をいけないもの、嫌うべきもの、避けるべきもの、成功だけを目指すべきもの、という価値観を前提にしている。その結果、失敗することを恐れる。失敗を楽しめなくなる。楽しめなければ観察するどころか目を背ける。すると体の声は聞こえなくなる。

教えなくてよいと思う。それよりは思う存分失敗を楽しみ、繰り返し、観察し、仮説を立て、新しい試みを繰り返す。するとかそけき体の声もよく聞こえ、勝手にうまくなる。私はそう考えている。
私の教える言葉より、体の声に耳を傾け、失敗を楽しみ、繰り返すこと。はるかに大切なことだと思う。

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