お金という「虚構」に修正を迫るには

Eテレ「オドモテレビ」という番組で興味深いパントマイムがあった。子ども二人と共演してる芸人二人が、片方をフラフープにくぐらせると固まって動かなくなるパフォーマンス。すると、年かさの女の子も、フラフープをくぐらされた途端に固まって見せた。もう一人の五歳くらいの女の子にフラフープをくぐらせようとすると逃げ出した。「くぐったら動けなくなってしまう!」と怖くなったらしい。
人間にはどうやら、周囲の様子から「約束事」や「法則」を感じ取る仕組みがあるらしい。年かさの子は「あ、そういう約束ね」ということを無言のうちに悟り、その「ゲーム」のルールに従った。

幼い女の子の方はゲームのルールとは捉えず、もはや自然の法則のように感じてしまったのだろう。何しろ何の説明もなしにお姉ちゃんが固まってしまったのを見て、フラフープにはそうした恐ろしい力があるに違いないと考えたのだろう。

「管子」という本に、「国民にルールを課すときは、自然現象のようにどうしようもないと思わせる必要がある」という記述がある。法律やルールは、何をどう言ってもあがいても、自然の法則と同じように逆らうことはできない、そう思わせることで民衆は従うのだ、という心得を説いたもの。

「サピエンス全史」を書いたハラリ氏は「お金は虚構である」と喝破している。そう、お金は虚構。虚構なのだが、フラフープに恐ろしい力を感じた女の子のように、私達はそれを実物とみなし、恐ろしい力を認めている。それは、管子が言ったように、自然の法則であるかのようにみんなで守っているからだ。

みんなに守ってもらうには、参加者全員が守らなければならない。そうでなければ自然の法則のように「逆らえない事実」として受けとめてもらえない。だから安易に制度を変えるわけにいかない。変えた途端、それは「守らなくてもよい虚構」だとみんなが気づいてしまうからだ。

しかし虚構である限り、それは人間にデザイン可能。人間が生み出した虚構なのだから。ただしこの虚構は、変更後も「自然の法則」のごとく、みんなが「従わざるを得ない事実」であるかのように守ってくれるようでなければならない。

アメリカはこのお金という「虚構」に変更を加えたことがある。
戦後のアメリカはたくさんの金(ゴールド)を保有しており、ドルを金兌換紙幣(銀行に持っていけば金と交換してもらえる約束のお金)として発行していた。しかし時間が経つにつれ、アメリカからゴールドが逃げ出し、制度維持が困難に。

1971年8月15日、ニクソン大統領はとんでもないことを言いた。ドルをゴールドと交換するのをやめると宣言(金兌換の停止)。これでドルはゴールドの裏付けを失い、ただの紙切れになるはずだった。しかしニクソン大統領の懐刀キッシンジャーという男がいつの間にかとんでもない仕組みを作っていた。

世界中どこに行っても石油はドルでしか購入できない仕組みが、いつの間にか出来上がっていた。円でもマルク(当時のドイツの通貨)でも買えない。ドルでしか石油が買えない仕組み。いわば「石油兌換紙幣」とでも呼ぶべき通貨にドルは変化していた。

日本のような国が石油を買いたければ、何としてもドル札を手に入れなければならない。そのために日本はテレビや家電、自動車を輸出した。アメリカは「よっしゃ」とばかりドル札を刷り、日本は手にしたドルを中東に持って行って石油を売ってもらった。中東は手に入れたドルでアメリカ国債を購入、貯蓄。

ではなぜ中東など世界中の産油国はドルでしか石油を売らないという約束を守ったのだろう?それは、アメリカが強大な軍事力を置いたから。サウジアラビアにはアメリカ軍の基地が置かれた。これにより中東の支配者は支配者で居続けられた。

世界のどこに行っても「石油はドルでしか買えない」という仕組みのおかげで、アメリカはドル札を刷るだけで世界中から商品を購入することができ、日本のような国は商品をアメリカに持ち込んでドル札を手に入れ、中東はドル札でだけ石油を売る。その代わり、支配者でい続けられる。これを、

ペトロダラーともいう。「ドルでしか石油を買えない」ことで価値を裏付けられたドルは、金兌換紙幣でなくなってもなお、世界の基軸通貨でい続けることができた。これはニクソン大統領とキッシンジャーによる巧みな世界戦略によるものだと言える。

この「ペトロダラー」という仕組みを準備していなければ、ドルが金兌換をやめて不換紙幣になったときに大混乱が起きていた可能性がある。しかし「石油兌換」の仕組みを新たに用意しておくことで、新たなお金のこと仕組みにうまく移行することができた。

このように、お金は「虚構」であるにしても、新たな「虚構」へスムーズに移行するには、ある種の強制力が必要。ペトロダラーの場合は「ドルでしか石油は買えない」という強制力があったから移行できた。しかし石油に代わるものを、人類は用意できるだろうか?

私は、お金は「腐る」ほうがよいと考えている。この世の万物は腐るなり、壊れるなり、劣化するなりする。食べ物は腐るし、コップは欠けるし、鉄はさびる。そうして価値を失っていく。しかしお金は奇妙なことに、劣化しない。一万円は一万円のまま。

しかもお金は増えていく。増殖する。信用創造という摩訶不思議な仕組みでお金がどんどん増えていく。お金が増えすぎると価値が減ることはあるけど、一万円札の額面が減ることはない。お金は劣化しないどころか、増えてしまう。これが人間心理に与える影響は大きいように思う。

お金が額面上増えるなら、経済の規模を大きくしなければ、と考えてしまう。経済規模を大きくすれば、消費は増える。消費が増えればエネルギーや資源の消耗も増える。お金の額面が減らず、むしろ増えるという仕組みが、地球環境を急速に悪化させた一因のように思う。

しかも、貧富の格差が拡大する。お金持ちはお金が勝手にどんどん増えていく。トマ・ピケティ氏の指摘したr>gという式通りに、経済成長よりも早くお金持ちのお金は増えていく。しかしその日暮らしをせざるを得ない低所得層は増やすお金がない。

もしお金が「腐る」としたら。1日にわずかずつ価値が減り、たとえば一万円が1ヶ月後には額面が9990円になるとしたら。人々の行動は大きく変化する気がする。これまでは額面が減ることがなかったから貯蓄していたが、貯めておいても目減りするだけなら、使っちまえとなるかもしれない。

お金持ちは金融資産をいろんなところに預けておけば、お金はどんどん増えたけど、お金がだんだん目減りしていくのだとしたら、貧富の格差は小さくなるだろう。貯蓄という行動をとる人が減るかもしれない。

ゲゼルは無人島に住むロビンソン・クルーソーにたとえて説明している。クルーソーの住む無人島に、別の漂流者が現れた。漂流者は服と食べ物を貸してほしいと頼んだ。クルーソーは「利子をつけて返すなら」と条件をつけた。しかし漂流者は継のように説得した。

「利子をつけなくても、あなたは得をします。あなたの貯蔵する服や食料は、ネズミにかじられたりかびたりして、来年には使い物にならず、食べることもできないものが多いでしょう。しかし私がそれらを借り、1年後に同じ量を返せば、あなたは腐るはずだった分を保存できたことになるのです」

このように、お金のない世界では利子をつけずに現物を返すだけで、貸した方も得になるはず。しかしお金という、額面は減らないしなんなら増えてしまうものを介在するために、私達はこの世の物質のあり方を「誤解」するようになっているように思う。

もし石油という超優秀なエネルギーが、今後も無尽蔵に、大量に採れ続けるなら、あるいは「増えるお金」のシステムのままでよいのかもしれない(地球灼熱化の問題があるからそうもいかないが)。しかしその石油が採れなくなり始めている。

石油の埋蔵量は2020年の生産量の50倍あるという。ならば50年は石油が採れそうに思うけど、「経済的に成り立つ」石油は採れづらくなってきた。かつては掘るのに必要なエネルギーの200倍は石油が採れたのに、最近は10倍を切るように。そして3倍を切ると採算がとれなくなるという。

この「3倍」に近づいている。石油を裏付けにしたお金の仕組みはもう続けられなくなるだろう。果たして新たな「虚構」をどう設計するのか。人類最大の虚構であるだけに、その影響は甚大。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?