「抽出物」は後回しにしないと意味不明

YouMeさんと話していたら「ピアノの運指は英語の文法に似ているのではないか」という。面白い見立てだな、と思う。
ツイッターでも、英語を堪能し、十分話せるようになってから英文法の本を開くと面白くて愛読書になった、という方が。さんざん学んだあとだと非常に面白いらしい。
息子は幼いころから数字が大好きで、「もんだいをだして」というので5+3とか書いた紙を渡していた。最初のうちは指を折ったり、そのうち、棒や点を描いてそれを数える、ということを繰り返していた。そのうち、息子は気がついた。「ごたすごはいつもじゅうになる」。
3+7も、答えは10。7+3のように順番が入れ替わっても10。いつも答えが10になる組み合わせがある、と「発見」し、答えが10になる足し算は、数字の順番が2+8や8+2のように逆になっても10、ということに気がつき、「足し算は順番が変わっても答えは同じ」という法則に気がついた。
大人からしたら当たり前だが、子どもからしたら数学の自分史上最大の発見の一つ。その後、息子は数字の法則を次々に自分で発見し、足して10になるものだけでなく、2+3と3+2は、順番が違っても答えは5、ということも発見していった。
こうした「法則」は、膨大な計算を繰り返しているうち、「あれ?」と気がつくもの。今度は意識して観察していると、「どうやら間違いない、これは法則性がある」と確信し、法則として自分の中で成立する。すると、それまでは2+8は10になると確信持てなかったのが10だとすぐ答えるようになる。
8+2は2+8と順番が違うから答えが違ってくるかもしれない、という不安はすでにぬぐえ、すぐに「10!」と答えるようになる。足し算は何度やっても、順番が入れ替わっても10。これを確信するのに、息子はそれこそ何百回と計算したと思う。その上の確信だから、もう揺るがない。
で、ピアノの運指や英語の文法は、いわば数学の法則、定理のようなものだと思う。それを知ったが最後、思考の節約ができる。迷わずに済む、即座に答えを導き出せる、というもの。「Ctrl+v」がパソコンでは「貼り付け」のショートカットキーになっているようなもの。
ピアノの運指も英語の文法も数学の法則もパソコンのショートカットも、膨大な作業、学習を重ねた結果、「これはもうよくあるヤツだからひとまとめにして法則として憶えちゃえ!」と抽出したもの、だといってよい。そう、抽出物。
で、さんざん学んできた人間は、ショートカットの威力を知っているものだから、自分がさんざん回り道してから発見したそのショートカットを、人に教えようとする。これを知っておいた方が便利だよ!と。いたって親切心のつもり。けれど、学ぶ方では準備が全然できていない。受け取れない。
英語圏に住む子どもは、文法なんか知らずに言葉(英語)を覚える。HeやSheならis、YouやWeのときはare、Iのときはam。なぜかは分からないけれど膨大な言葉のやり取りをするなかで、それはそういうものだと覚える。その後、文法を学んで、「ああ、三人称で単数だとisなのか」という法則に気づく。
これは、人工知能の深層学習に似ている。たくさんのネコの映像を見せて学習させると、「ネコとはこういうものである」などと教えなくても、特徴を知らせなくても、人工知能はネコを見破れるようになった。大量のビッグデータから、ネコの特徴を自ら抽出できたわけだ。
深層学習が編み出される前は、ピアノに不慣れな子どもに運指を教えるように、あるいは英語が話せない子に文法を教えるように、人工知能にネコの特徴を人間が教えようとしていた。ひげがあり、釣り目がちで、顔は丸っこく…でも、当時の人工知能は、答えを教えても教えてもネコを見破れなかった。
深層学習の画期的だったのは、「教えない」ことだった。教えずに、自発的な「学び」に任せた。ネコの写真だけを人間は用意し、その写真にはネコがいる、ということだけ言って、あとは膨大に写真を見せ続けた。すると、人工知能はネコの特徴を自ら抽出し、少し部分が見えるだけでネコを見破れるように。
人間の学習も、この深層学習と同じシステムであるらしい。五感を通じて流れ込む膨大な情報(体験)から、何か特徴を抽出し、「あ、ミルクというのは、あの哺乳瓶の中にある白い液体のことらしい」とか、「ガラガラとはあの音の鳴る筒のことなのか」という「意味」を抽出する。
「意味」を知るには、まず、雑然としていてもいいから「体験」が必要。膨大な体験があると、体験ネットワークが心身に構築される。そのネットワークがあると、はじめて「意味」を受け取れる。ああ!あの体験はそういうことだったのかあ!と、驚きをもって受け止められる。
https://note.com/shinshinohara/n/nab00da2b2762
けれど、体験の蓄積なしに抽出された「意味」を受け取れ、と言われても、つまらない。ピアノの運指や英語の文法、数学の法則を、ピアノも弾かないうちから、英語も話せないうちから、計算もできないうちから教えられても受け止められないし、意味が分からない。感動もない。つまらない。
運指の重要さ、英文法の洗練さ、数学の法則の美しさは、雑然としているかもしれないけれど楽しんだ大量の体験を経た後に聞かされると、「あ!あれはそういうことだったのか!」と感動がある。順番が大切。順番を間違えると、実に楽しくない。
学ぶという現象は、どういう仕組みで動いているのか。それをよくよく分析して、それを様々な場面で活かしていくと、楽しみながら学べると思う。学びは本来、無茶苦茶おもしろい遊びなのだから。

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