算数、数学は情報を削ぎ落とす学問

(算数の問題は、文章から状況を読み取る力が必要なのでは?と考える教員の人の意見に対し)
「文章から状況を想像する力」は、数学では邪魔になることが多いと考えています。数学は「情報を削ぎ落とす」ことを特徴とする学問だからです。削ぎ落とせるものはみんな削ぎ落としてしまう。どんな些細な情報も取りこぼそうとしない国語とは正反対の志向をする学問です。

私は中3になるまで、数学の文章問題が超苦手でした。「花子さんは自転車で駅まで時速4キロ、太郎君は徒歩で時速2キロ」という問題が出てくる場合、花子や太郎という情報はすべて削ぎ落とし、数字の関係性だけに着目せねばなりません。しかし中学生の私にはそれができませんでした。

花子や太郎という名前の情報も取りこぼすことなく数学で表現しなければ、などと考えたからです。何なら、なぜ花子さんは太郎君を自転車に載せてあげなかったのか?二人乗りは禁止だからか?などの類推も数学で表現すべきか?などと考えてしまい、抱えた情報の多さに押しつぶされてしまいました。

難しく考えすぎるその状況を打破できたのは、国語の先生の一言でした。「数学の文章問題は、数字を丸で囲んでご覧」。するとアラ不思議、花子や太郎といった「余計な情報」は背後に隠れて、数字の関係性だけが浮かび上がってきて、方程式をものすごく立式しやすくなりました。

「なんや!情報を拾うんじゃなくて捨てなあかんのかい!」と気がつきました。数学は、計算に不要な情報を捨てる学問だとようやく気がつきました。女の子の名前が花子さんだとか、太郎君は彼氏なのか兄弟なのかといった、文章から読み取った情報はみんな捨ててしまえばよかったんです。

数学の文章問題の苦手な子は、私のように「難しく考える」「情報を捨てられずにいる」ために混乱してるケースが少なからず存在しているようです。なぜそうなるかというと、算数を習う段階で、情報を捨てるのではなく拾うように指導してしまう先生がいることも一因ではないか、と。

しかしそれは、数学が志向する傾向とは正反対のものです。数学は情報を拾うのではなく、捨てる学問です。計算に不要な情報をいかに削ぎ落とせるかが勝負の学問です。情報をいかに拾うか、捨てずにいるかを目指す国語とは正反対を志向する学問です。

初学者を指導する小学校の先生は、ぜひ、国語と数学のこうした「志向の方向性の違い」を頭に入れておいて指導して頂きたいです。もし初学者のうちに、読み取らなくても計算できるのに余計な情報を読むよう指導したら、中学くらいになったときに私みたいになってしまいます。文章問題を解けなくなる。

数学は情報を削ぎ落とす学問、国語は情報を拾い、何なら書いてないことまで推測する学問。方向性が正反対であることを念頭に、算数の指導をしていただけたらと存じます。もちろん、初学者ならではの配慮を施したうえで。

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