「コンプライアンス順守」でなぜ日本企業は窒息しているのか?

<「コンプライアンス意識も大事だと思いますが、行き過ぎると身動きがとれなくなる。この息苦しさは何?」という問いに対し。>

「社長が優等生ばかりになり過ぎた」のが原因かな、という気がします。ある程度歴史のある日本の大企業の社長は、有名大学卒のエリートが大半を占めるようになったように思います。こうした優等生は、ほめられたことはあっても叱られた経験が乏しいように思います。

ところが労働災害が起きたりすると、どんな大会社の社長と言えど、労働監督基準局からお叱りの言葉を受けることになります。叱られたことのない優等生が叱られたら、どうなるか?すごーく叱られたくないので、なんとかして叱られないようにしたい!となるのではないでしょうか。

「おい!また叱られたぞ!叱られたくないのに!労働災害を減らせ!コンプライアンス守れ!」と、部下にきつーく指導したくなるのではないでしょうか。私の仮説では、今の大会社の社長は優等生で「叱られ慣れ」していないために、過剰に反応して現場を締め上げている気がしています。

昔は、全員ではないにしろ、上司とは頭を下げるためにいる、と弁えている人が結構いたように思います。現場たたき上げの人なんかは、部下と現場を守るために自分が頭を下げればよい、と腹をくくっている人が多かったように感じています。事実、そういう話もよく聞きました。(そうでない人もいたけど)

もちろん、ケガの発生や法令違反はいけないことですから、上司もそれが起きないように心がけます。心がけますが、現場が回りやすいように、現場にいる人たちが働きやすいようにという大前提を守りながら、いかにケガを減らし、法令違反を減らすか、ということに心を砕いていたように思います。

ところが昨今の企業の経営者は、社会人になってからも優等生で、叱られた経験が非常に少ないのでは?という気がしています。叱られるようなことをしない賢さがある一方、全員に自分と同じ賢さを求めがち。そのため、現場と現場の人たちへの理解、配慮があるとは限らない、という問題があるように思います。

つまり、賢い人は「俺と同じように叱られないようにすればいいじゃん」と考えてしまいがち。でも、仕組みを変えずに個人の賢さだけで乗り切ろうとするのは、現場では機能しません。いろんな人がいるのが現場。自分と同じ人がいないのが現場。それが、優等生にはちとわからないみたい。

で、優等生が社長になってしまうと「俺と同じように賢くなればいいだけじゃん」と考え、「ケガをなくせ!コンプライアンス守れ!」とだけ言って、それをそのまま伝えるだけでは現場が回らなくなってしまうということに思いが至らない経営者が増えてしまったのかな、という気がします。

また、「小泉旋風」の後遺症がまだ残っているような気がします。小泉ブーム以来、日本では「強いリーダー」がもてはやされ、反対する人間には「既得権益層」「抵抗勢力」とレッテルを貼り、リーダーが独裁的に身勝手に振る舞うことこそリーダーシップ、と勘違いする経営者や上司が増えました。

この結果、「そんなことをしたら現場が回らなくなります」という当たり前の諫言をする中間管理職も「抵抗勢力」「既得権益層」とみなされ、左遷され、そこまではしなくても無視され、リーダーの言うとおりに実施することを余儀なくされる時代が日本では長く続きました。

この「強いリーダー」幻想、諫言を全く聞き入れない独裁者の習慣が、まだ日本には残っています。このため、社長が「ケガをなくせ!コンプライアンス守れ!」と指示すると、中間管理職は口答えせずに「はいはい」と素直に従うようになってしまいました。誰も諫言しようとしなくなってしまった。

この結果、現場が回らなくなるのを承知していても、社長の意向通りに現場を締め上げるコンプライアンスなるものが実施されるようになったのではないか、と見ています。

ここまでをまとめると、
・社長が優等生で叱られるの嫌い。
・小泉旋風の後遺症で社長が独裁的に振る舞う風土。
・中間管理職は怖くて諫言しなくなっている。
・結果、現場に合わない対策がとられて現場が大混乱。
ということになるかと思います。

これを改めるには、
・社長は叱られるのが仕事、頭を下げるのが仕事、と心得る。
・社長と中間管理職は、現場を回すには?を常に心がける。
・現場を回すためならば、中間管理職はためらわず諫言し、社長はそれを聞く責務を負う。
・ケガを減らし法令を守りつつ、現場が回る工夫を、現場も上も考える。

こうした当たり前のことを思い出す必要があります。これを日本企業で実現するためには、社長に座る人は優等生なだけでなく、部下や現場のために叱られ、頭を下げられる人であることが求められます。それができない人を社長に選ぶと、エライことになる気がします。

これから日本企業の社長に求められる資質は、優等生なだけではなく、現場のために身代わりになって頭を下げ、叱られることも厭わない、その度量なのではないか、という気がします。現場を愛し、部下を愛して、現場が楽しく回るように、それでいてケガが減り、法令も守れるように。

そうした基本的なことを取り戻さないと、日本企業は自分で自分の首を絞める自縄自縛から逃れられない気がします。優等生なだけでは、もうダメ!

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