経営のマインドを変えよう

戦後昭和の時代には、素直に経営者を尊敬することができた。たくさんの人を雇用するから。その人たちの生活を守ろうと必死になっているから。
でも、新自由主義の色が濃くなり、なるべく人を減らし、人を雇っても給料を抑えようとするのが当たり前の空気になってから、ビミョーに思うようになった。

経営者もどこか後ろめたいのだろう。やれ、成功者がうらやましいから批判するんだ、とか、世間で能力がある人間はひと握りなんだということで自分がその一人だとほのめかしたり、その能力に欠けた人間は生活が苦しんだりクビになったりしても仕方ないのだ、と、新自由主義の教義に逃げ込んだ。

でも、どうせ経営で苦労するなら、自分一人だけ儲けようとしているとみられるような経営手法(雇用を減らす、給料を減らす)を当然と考えるより、できるだけ雇用を減らさないように、給料を増やすように努力する経営方針を示したほうが、世間の目も違ってくるように思う。

孔子の弟子が裁判官になり、ある男を足切りの刑に処した。その後、孔子一行が王様ににらまれ、弟子も一緒に国外に逃亡しようとしたが、包囲されてしまい、万事休す。すると、足切りの刑を受けた男が逃亡の手引きをしてくれ、なんとか国外に脱出することができた。

裁判官だった弟子は男に質問した。「私はお前を足切りの刑に処した。本当なら私を恨みに思って当然のはず。なのにどうして助けてくれたのか」すると男は次のように答えた。「あなたは私の事情を知り、なんとか刑を軽くできないかと一所懸命に考えてくれました。だから助ける気になったんです」

私は、経営というのは金儲け主義に走ろうが、従業員の雇用を守ろうと頑張ろうが、苦労は結局するものだと考えている。だとすれば、後者の方に意識の力点を置いたほうがよほど気持ちが良いのでは、と思う。従業員も経営者に敬意を持ちやすいし、働き甲斐も違ってくる。

人間というのは、結果が同じであっても、心根が違っていれば受け取り方は全然違ってくる。もし孔子の弟子が、「事情など知ったことか、罪は罪だ」と冷酷な態度に徹して処罰を加えていたら、足切りの男は決して孔子一行を助けようとは思わなかったろう。ざまあみろ、くらいで終わり。

ついこないだまで、少なくとも新型コロナが発生するまでは、経営者は金儲けに力点を置き、雇用をコストとみなしてきた。従業員を怠けもの扱いしてきた。それが日本人のパフォーマンスを大きく下げた原因だと思っている。バカにされて頑張りたくなる人間がそんなにいるわけがない。

何とかして雇用を維持しよう、給料を落とさずに支払おう、という経営者が、新型コロナ発生後、世の中にはたくさんいることが顕在化した。それでも救えなかった人たちがたくさんいたが、必死になって雇用を支えようとした経営者が世の中にはまだたくさんいたことも見えた。これは日本の財産。

ここからやり直そう。経営者は、雇用を増やすこと、従業員になるべく多くの給料を支払うことを誇りとするようなマインドになってほしい。そうすれば、従業員もそれに報いようとし始める。それが日本再生の大きなきっかけとなる。人を大切にしてこそ、人は動く。それを忘れないようにしたい。

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