競争があるという「現実」と競争しようとする「動詞」

競争という言葉は、競争があるという「現実」と、競争しようとするという「動詞」とがごちゃまぜになってる、解像度の悪い言葉のように思う。生き残り競争をさせられるという「現実」が存在するのは事実だけど、生物は基本、自分が圧倒的優位に立つのでない限り、競争を回避しようとする。

競争から離れて生き残ろうとし、その工夫が進化をもたらし、新たな生き方を創造する。すると、強者がいつの間にか弱者となり、ニッチを選んだはずの弱者が強者に入れ代わったりする。「動詞」としては競争を避けるのだけど、競争を避けたからこそ生き残れる。こうしたことが自然界では多々ある。

こうした複雑な綾があるのに、社会を語る際の「競争」という言葉は、意図的か無意識的にか、「強者が弱者を食う弱肉強食は当然、そして弱者は競争して食われに行け」を意味しがち。ひどく解像度悪い。「動詞」としての競争なんかしたら、一部の圧倒的強者の食い物にされるだけ。自分が圧倒的に有利でもない限り、「動詞」としての競争を選択なんかしたらダメ。

もう競争なんて言葉を「動詞」として選ぶのはやめて、「他人と違うことしろ、それでいて他人とつながれ」で、「動詞」としての表現はたくさんだと思う。

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