見出し画像

【43日目】しんさい工房 ‐自由‐

僕は4年生の後期もかけて、必要単位ピッタリで卒業した。

こんなにバイトもして偉いと思っている人もいるかもしれないが、僕はほとんど学校に行けてなかった。
必要最低限の出席日数とテストだけで単位をとり、卒論も坐禅の授業で単位をカバーし書いていない。

あまりに学校に行っていなかったため、持ち込み可能の試験ということを知らず何も答えられず、回答用紙いっぱいに僕の授業態度を詫びる謝罪文を書いて提出したこともある。
なぜかその授業は「可」をもらえた。

それぐらい学校に行っていなかったため、僕は就職活動をよくわかっていなかった。
高校時代の友達が内定をもらっていたころ、「内定」ってなにというぐらいだったので、だいぶ出遅れていた。

ある程度の生活をするだけの収入はあったものの、就職活動に掛けるお金はほとんどない。
札幌を往復するだけの電車代を出す余裕がなかったのだ。

僕はお寺から離れてから将来を考えることを無意識に避けていたところがあり、やりたいことなど何も見つかっていなかった。
でも、進路を決めなくてはいけないタイミングが迫っている。
とりあえず、合同企業説明会に参加した。

そこで200人ぐらい集まっていた「お、ねだん以上」の企業のブースを見て、ここに受かったらすごいのかなというただそれだけの理由と、カラオケ時代の店長の憧れから店長になれる仕事をと思い、店長×オシャレ=カフェという単純な方程式で導き出した企業の2社を、決め打ちで受けることにした。

結果はどちらも内定。
僕は意外とツイている。
就職活動はあっさりと終わった。

就職課に報告に行くと、前者の企業の内定を喜んでくれた。
企業規模・待遇面・将来性も含め、間違いなく前者の方が断然よかった。
ただ、僕の就職活動に何も関与していないのに、なぜか前者の企業に行くことをゴリ押ししてくる職員を不快に思った。

僕は結局、後者の企業を選択する。
どちらの内定者懇談会にも参加したのだが、後者の企業の方がまだ安定感がなさそうだったからだ。

若いうちは買ってでも苦労しろ

大好きなおじいちゃんが、小学生のときに僕に言ってくれた言葉。
この選択が賢かったかどうか。
そう聞かれると答えに困るが、当時の僕にとっては、正解不正解よりも自分で決断するということにとても大きな意味があった。


不思議に思われるかもしれないが、僕は母親の生き方が嫌いではない。
たぶん、母親は母親なりに何かを考えて答えを出しているはずだ。
母親が泣いているところを、僕は何度も見てきている。

何を大事にするのか。
その価値観はひとそれぞれ。
母親には母親の人生があり、それを子供が理由で諦める必要なんてない。
むしろ僕は、その理由にされたくない。

僕にだって原因はある。
そんなにその環境が嫌だったのなら、いくらでもそこから逃げることはできたはずだ。
それをしなかったのも、僕に覚悟と勇気がなかっただけだ。

弱虫。
そう、僕はとても弱い人間だ。
これは強さに憧れを抱く、のび太くんの挑戦の物語。

いまの環境に不満があったとしても、残念だがそれを選択したのは過去の自分だ。

同じことを繰り返しながら、違う結果を望むこと。
それを狂気という。

一歩踏み出すのはとても勇気がいることだ。
だけど大丈夫。
失敗しても振り出しに戻るだけ。

その後の僕の人生も失敗だらけだ。
3年続いた仕事もないし、お父さんもまた変わる。
崖から車で落ちて死にかけもする。

そんな失敗も一緒に笑おう。
変わりたいと思ったら、いつからだってやり直せる。
だから大丈夫。
そんな誰かの希望になれるように、僕は今日もビクビクしながら挑戦をする。


一番いけないのは自分なんかだめだと思いこむことだよ
byのび太

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?