母をたずねて3100里
こんにちは! 色々低迷期な木沢真流と申します!
何か良いアイデアはないかと色々作品をかじっています、例えばデスノートとかを初めてアニメで見ましたが、やはりかなり面白いですね。
テイストはかなり変わりますが、この前偶然にもタイトルの作品である「母をたずねて三千里」のダイジェストをNHKでやっていました。
創作の立場として観ましたが、改めて素晴らしい作品だと感動しました。
今回はこの作品の素晴らしいと感じた点、ストーリー展開に使えるポイントを書きます。
この記事はおよそ2100字です
テーマがわかりやすい
タイトルにあるように、子どもが母に会うために3000里(ネットによると正確には3100里。400キロ多かった!)移動するというお話です。一つの大きな軸を作っておくと、観ている人は「あー、こういうお話ね」と一緒についていきやすくなります。
よくない例
このような展開だと、たとえ前半(敵を倒す)そして後半(街の維持)両方が非常に優れた作品であっても、読者が離れてしまう可能性があります。
カレー屋さんに入って食べたあとに、「ここで感動する音楽を聴けるんです、聴いていきませんか?」と言われても聴かないですよね。逆に音楽を聴きたいという人がカレー屋に入ることはありません。
なので、一つのテイストを固定して、それを最初から最後まで突き通すというのは大事なポイントです。
軸が決まったらあとは簡単。ひたすら邪魔をするんです。
上記の「あなたが知っている魔女の宅急便はせいぜい2割」でも書きましたが、物語はスムーズに行っては観てくれないんです。
例えばマルコが「お母さんに会いにいきたい!」と言って、親戚のお金持ちの人がチケットを渡して、「気をつけるんだよ」といってお母さんに会ったとします。感動的なシーンかもしれませんが、名作にはなりませんよね。
お母さんに会いに行く
一つの軸となる動機をひたすら膨らませ、この意義を強くします。そのあとそれを達成することを難しくして(3000里子ども1人で移動するだけで、今でも補導レベルですが……)邪魔をさせて、それを良い具合で解放する。ひたすらその繰り返しですね。これがまた面白い。
具体的な例
こんな風にゴールさせないためにひたすら引っ張り続けるわけです。この方法ならいくらでも引っ張れるんじゃないかと思うくらいです。やろうと思えば、マルコ青年期では母はアルゼンチンから、アメリカに引っ越していて、メキシコで足止めをくらい、それを乗り越え、アメリカに行ったら、今度母は手術のためにカナダに行っていた。カナダに行くためには……。マルコ成人期では母はすでに初老の風貌になっているかもしれません。
一番大事な存在とは?
この要所要所で肝となってくるのはやはり悪役の存在ですね。マルコがトゥクマンに行くために隠れて列車に乗るんです。ここで、もし駅員が
子ども1人くらい乗せてやろう
と言ってくれれば物語は荒れずに済んだはずなんです。しかし実際は見つかり、
ねずみが入り込んだぞ!
と言われ、駅員が探し始める。もし見つかったら追い出されてしまう。
どうなる? というところへ、パブロという友達が身代わりになってくれるんです。身代わりのパブロは木の棒でめったうち……。ここがまたパブロの存在意義を高めるんですよね(今ではコンプライアンス的に無理でしょうね)。
パブロの命懸けの身代わりのおかげで、トゥクマンに着くのかと思いきや、途中のど真ん中、行くも帰るも30kmある草原のど真ん中で駅員に見つかるんです。何もないところにマルコは放り出され、餓死間違いなし。
「どうなっちゃうの?」
と思わせる展開がまたうまいですね。
ただ要所要所でまた助けてくれる人がいるわけです。とある町で、スリにお金を取られ、一文なしになったマルコは偶然にも移民船で一緒になったおじいさんと再会します。おじいさんは飲み屋で
と言ってお金を集めるシーンがあります。そしていよいよコルトバまでの旅費が集まり「コルトバに着いたぞ〜」と歓声があがります。
そして最後に名シーンと言われるこの言葉が待っています。
泣いてしまったよ……。なんていいシーンなんだ😭
マルコは最後、医者になってアルゼンチンに戻ったと言われています。貧しい人を助けようと思ったのはこの恩返しの一つなのかもしれませんね。
プライムで見られるようなので、最初から観てみようかと思いました。
最後までお読みいただきありがとうございました♪
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