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心は折れたりしない

「あなたの心はどんな形をしていますか?」

こう問われてはっきりと答えられる人はいないだろう。そもそも、心に形などあるのか。目に見えるものではないし、無意味な問いのように思える。

ここ20年くらいで「心が折れる」という言葉をよく聞くようになった。調べてみると、ある格闘家が最初に用いて以来、一気に広まった表現らしい。

古くからある日本語では「気が折れる」ともいう。こちらは「くじける」の意味で用いられてきた。

「心が折れる」とは、緊張感を保ち努力を重ねる中で大きな挫折を経験すると、硬く張り詰めていた心がポキッと折れ、以前のような気力が涌いてこなくなる。そんな状態のことを指す。

この場合、心は、棒状の固く細長い形になっていることが前提にある。確かに、人生の内で大きな目標を定めそこに向かって努力を続ける過程では、心を研ぎ澄まし棒どころか真剣のような鋭さを持つ必要もあるだろう。

少々のことでは折れない丸太のような心の人もいれば、小さな出来事でもヒビが入る人もいる。細い人ほど気をつけて歩むため、案外折れにくく、頑丈な人ほど無謀な挑戦をしてポキッといくこともあるだろうからどちらが良いともいえないが、本来形がないものに形を作り、折れるはずがないものに折れる条件を生み出したという点では、どちらも同じである。

仏教では、心を思い浮かべるとき、棒ではなくふわふわもふもふの丸い形を用いる。

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心が棒ではなくふわふわもふもふの丸いものであれば、折れようがない。

もし今、心が折れそうなくらい硬くなっている人、張り詰めて頑張っている人は、そっと目を閉じて呼吸を整え、胸のあたりにふわふわもふもふの丸いものを思い浮かべて、あらゆるものをそのまま受けとめる時間を作ってみよう。

心を強くするより、心を柔軟に。柔らかく、広く、ふにゃふにゃのほうがいい。何かに集中している時間や、新しい発想が浮かぶときとうのは、案外こういう状態になっているときだから。

「もう心が折れてしまった後だ」という人も、大丈夫、心は折れたりしない。ちょっとくじけてるだけ。気にせず次にいこう。

ちょっと宣伝すると、私が住職を務める平等寺では、ときよりリモートで瞑想指導を行っている。リモート阿字観或いはオンライン阿字観という。心をふわふわもふもふの丸いものにする具体的な方法を指導しているので、よければ覗いてみてね。

https://byodoji.online/live/ajikan

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