『社会に説得力を持って書く』コルクラボマンガ専科3期 山田ズーニー氏講義③の感想
※この記事は自分のメモの為に描いているので、すごく読みにくいし長いです。後で読みやすく直すつもりです。
「自分の考えをちゃんと持って生きていきたい。そしてその考えを出来れば言葉にしたい。」
「目標は例え道半ばになったとしても、歩んだことが大事なのではないか」
これが昨日講義をうけて出てきた感想である。私は今漫画の教室コルクラボマンガ専科に通っている。(今期は全授業オンラインで開催)その教室の目玉である講義が山田ズーニーさんの文章表現を鍛えるワークショップなのである。昨日はその三回目、作家として相手に伝わるように書くにはどうすればいいかという事を考え・実践する授業だった。文章表現のワークショップなのだが、漫画でも何か書きたいことがあるわけだから、まずはこうして文章で何を表現するか・どう表現するかを知ることがとても大事なのである。またこの講義を通して「根本思想」という言葉が何度も出てきた。その人が描く必然性・必要性。どういう思いを根底に持って書くのかが、決定的に大事であるという事を全体の講義を通して知った。
僕が今回コルクラボマンガ専科の授業を受けてよかったのは、「漫画家の人たちは常に何が好きで、何を描くか、何を描きたいか選んで描いているから、いつも考えている。表現している」という当たり前のことに触れたことだ。漫画家の人たちは文章もカッコいい、とびきりカッコいい。それぞれがそれぞれ、心に響く文章を書いていた。どうしてこんなにも心に響くのか、それはその人にしか書けないものが出てきていたからだ。これはもしかしたら、漫画家でない人向けにやったワークショップでも出てくるのかもしれない。でも、漫画家だからこそ、本当に豊かな表現が出てきたのだと思う。もう一人一人のストーリーが小説を聞いているようなのだ。
で、俺に足りないのはこれなんだと思った。感じて、そして、自分がどうしたいのか選ぶ。僕はいつも、あんまり感じずに、そして選ぶことを避けてきた。どうしてなのかわからない。多分めんどくさかったからというのと、傷つきたくなかったから。決めてもらった方が楽だから。でもそれはつまらないと、漫画を描くようになって思った。自分が選びたい。そして、それを嫌でもやらなきゃいけないのが漫画を描くっていう事なんだと思う。
さて、前置きが長くなったが、昨日のワークショップの様子をまとめておきたい。
⑴自分のテーマを掘る
社会に説得力をもって、伝えないといけない場面が生きているとある。そんな時、どんな事を問われると思いますか?
ズーニー先生はこう言っていました、「やりたいこと」だそうです。その人が何をやりたいのか?それが相手に伝わり、相手が納得したときに初めて説得が可能だという事だ。
これはよく考えたらそうだろう。就職試験でも、学校の面接でもその人が何をしたいのかが明らかでないと、どんな美辞麗句を並べても伝わってこない。逆に、荒削りでも俺はこれがしたいっていうのが伝わってくれば応援してあげようかなと思うはずである。
という事で、今回の課題は「自分が将来やりたいこと」を400字程度で書くというのが最終目標である。
そこで、まずは何をやりたいかという事なのだが、ズーニー先生がとても印象的な話をしていた。
障がい者支援をしたい学生さんと出会ったことがあって、その人は養護学校の先生になったそうだ。ところが、先生になったとたんに違うわ、これ自分のしたいことではないと思ったそうだ。それはどういうことか、私は先生として上に立って障がい者の方を導く事をしたいのではなくて、障がい者のやりたいことを一緒にやっていく事がしたいと気づいたそうだ。そして福祉士になったそう。同じ障がい者に対して問題意識があったとしてもそれがどんな職種かそして、自分が何をテーマにしているか、そして達成したい世界観は何か?これらの要素が絡み合って自分がしたいことは明らかになるというのだ。
ズーニー先生はこれを
やりたい事= 職種× テーマ × 達成したい世界観
という式で表していた。これも目から鱗だった。例えば僕は教師をしていたことがある。そして、そのテーマとしては宗教を教える、命の大切さを教えるというテーマを持っていたと思う。しかし、辛かったのは、その学校があまりにも宗教教育とかけ離れたことをしている場合だった。先生方が疲弊している環境も辛かった。これはもしかしたら「達成したい世界観」が違う環境だったので辛くなったのかもしれない。
さて、今日のゴールは「自分らしく、かつ、社会に通じる文章を書く」
「実感と説得力を持って書く」ということだ。そのときにズーニー先生は現代社会認識が的確かどうかも重要と言われた。時代錯誤になっていないかという事だ。これも分かる・・・最近僕はある人からTwitterのリプ欄で「山本五十六の名言を紹介しよう「男は天下を動かし、女はその男を動かす」」とどや顔でからまれた。呆気にとられプーチン顔になった。いやいや、あんたいつの時代の人なの。。。。。もう2020年よと。女が天下を動かすがいくらでもあって良い時代に何を言ってんの?なんで女は男を動かすポジションだと思ってんだ、ドヤ顔で言って恥ずかしくないんか・・・。これなんかがいい例だと思う。時代錯誤の文章は通じない。
図:プーチン顔(ライターのアルテイシアさんの造語)
それから文章を書く時に「かっこつけない、ありのままに書こう」と言われたのもやっぱり大事だなと思った。(自分の場合これが一番大事かも!すぐカッコつけるから)
⑵社会と自己を関係づけて語れるか
社会と自己の課題を関係づけて語る事が大事で、そうすると相手に伝わるという事だった。でまず、今回のワークショップの手始めは、自分の気になる事をどんどん書き出してみるというものだった。
気になる業界、扱いたいテーマ、業界、会社など出してみた。その結果自分は色々な事に広く興味はあるけれども、これっていう深く掘ったものが一つもないことに気づいた。(これも大きな気づきで今後考えていきたい。どれ一つとして深く語れないのだ!)
自分が興味ある事を書き出すと
教育、学校、仏教、寺、命を大切にするってどういうことだろう、労働問題、ブラック企業、忙しすぎ、自殺、坂口恭平、政治、水俣病、環境問題、相模原障がい者施設殺傷事件、強制不妊、安楽死、倫理、生命倫理、人と比べて自分が価値がないと思う事
などだった。どれも興味はあるのだが深く追っていない。しいて言えば仏教ぐらいである。
さて、そのあとに、ペアワークでインタビューをして、自分の課題と社会の課題を掘っていった。
それで、でてきたのは、僕はやっぱり仏教の勉強をしたいんだなということ、研究的な意味で仏教を学んで本物に触れたいし、本物を残していきたいんだなという事。しかし、やっぱり、自殺や教育問題、差別の問題、環境問題なども気になっていて、自分が出来る所で言えば、居場所を失った子供とか、悩んでいる人と一緒に過ごす場所を作りたいという事だった。本当の寺みたいな場所があればすごくいいと思っている。しかし、これは最近一緒にそういう事をやろうよという人が表れてその人の影響をとても強く受けているのだと思う。
インタビューを終えた後、次は、自分がやりたいことをチームに分かれてプレゼンをした。次の順序に沿って考え、文章を作った。
1、私が将来やりたい事(仕事orテーマ)は、〇〇です。
2、私は、やりたいことをめぐる今の「社会」をこう見ています。(社会背景の理解)
3、私は、やりたい仕事(またはマイテーマ)を、こう理解しています。(仕事orマイテーマ理解)
4、今まで生きてきた他の誰でもない「私」は、こんなけいけんからこう考えてこの仕事(テーマ)を目指すようになりました。社会に生かせるこんな能力・資質があります。(自己理解)
5、以上のことから、私は将来この仕事(またはマイテーマ)を通して、こんな世界を目指します。(志・未来のビジョン)
ポイントはこれらのつながりを考えるということだよというアドバイスもすごく大事なことだと思った。結局有機的なつながりの中に大事な意味があるのだろう。
⑶自分の文章
以下が最終的に自分が発表した原稿である
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1.私は将来、仏教を学びたい人がいつでも学べる寺子屋をしたいと思っています。
2.今の社会は仏教を求めたいと思ったときに、敷居が高く、学べるお寺が見つからない又は、極端なものに直結してしまいがちです。また、あらゆるものが経済の価値観で測られがちな社会ではないでしょうか。そんな時、命を損得や善し悪しで見ない、人間を幸せとか不幸だけで押さえない仏教の教えは一定数の人にとって救いになると考えます。
3.仏教と言うのは生産性から離れて自らの命の意味を見つめる教えです。思い立った時、困った時に誰もが安心して自分と向き合える場所があればいいと思います。
4.僕自身が子供の頃からなんで生きるのかな等と悩んだ時に何人かの真剣に答えてくれるお坊さんに助けられました。気軽に仏教を聞ける開かれた場所と、そこに本当に真剣に応答する人がいることが大事だと感じます。
5.寺子屋で悩んでいる人や子供達と世の中の事や教えについて学べる。そんな避難所のような場があれば、もう少しだけ楽に生きれる人が増えるかもしれません。
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なんというか、他の人に比べたらすごく個性がない文章というか、なんというんだろう、本当に無味乾燥な文章だなと思う。まだまだ、自分の魂から出てきた言葉とは思わないのだ。
その理由として以下の事が考えられる。
①社会的に意味があると思われないといけないと意識しすぎだ。
②さすがお坊さんであると思われないといけないと思っている。
③高潔な人と見られたいと思っている
④どこかで聞いた言葉で構成している
⑤本当に自分の心に迫っていない
自分が本当にやりたいことはもっとドロドロしていて、シンプルな事なのではないか?社会に対して本当に影響を与えたいと思っているだろうか?
そのあたりをもう一度考えてやり直してみたい。
この全体の授業を通して、自分は明らかにテーマがはっきりしていないと思った。
↑自分のメモ(怖い・・・ある意味ここは自分の実感が籠っている)
漫画家の皆はやっぱり書き続けているからテーマがはっきりしているのだ。していなくても、それに近づこうとしているというか、実感・息遣いを感じるのだ。
僕のはとりあえず体裁を整えるために創ったテーマだ。
俺のテーマは何なんだ。それをこれから考えていきたい。
なお、コルクラボマンガ専科生のみんなも昨日のワークショップについて記事を書いていているので、参考にしてもらいたい。
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