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鈴木孝夫言語学からの贈り物

 デジタル言語学には指導者も仲間もいなかったが、鈴木孝夫先生というこれ以上ないすばらしい言語学者が伴走してくれた。

 僕は高校生のときに、鈴木先生の『ことばと文化』の洗礼を受けた。『ことばと文化』はコンパクトな新書だが、概念論、意味論、概念体系、価値基準、論理判断・論理操作など幅広い話題を平易な文体で論じている。

 僕が富山で海洋汚染の仕事をしていた2001年6月に、鈴木先生の講演会に参加したことがきっかけとなり、以後、「鷹揚の会」という月例読書会に、鈴木先生の著作が出るとお招きしていた。そして僕が研究会活動を始めると、2010年3月から2年間、隔月で、鈴木先生の著作を読み講演を聞く、言語学サロン「タカの会」が開かれた。


タカの会で取り上げたテキスト


 どの本からも学ぶところ大であった。なかでも鈴木先生の最初期の論文は、それまで理解できなかった免疫細胞の論理がどのようなものであるかを教えてくれた。
 

免疫細胞が示す二分法と二元論

  イェルネは、『免疫システムのネットワーク理論』の最後で、神経細胞と免疫細胞を比較する。

「免疫システムは神経システムと驚くほど似ている。これら2つのシステムは、我々の身体のすべての器官のうち、非常に多くの種類の刺激に対して満足のいく反応をする能力という点で突出している。どちらのシステムも二分法と二元論を示す。

 この二分法と二元論が何を意味するのか、僕にはどうしてもわからなかった。ところが、鈴木先生の「鳥類の音声活動 記号論的考察」(言語研究、1956)を読んで、カラリとわかったのだ。

「鳥類の音声活動」は、ティンバーゲンの「本能の研究」の観察結果を参考にして、記号を感知した鳥や魚が、反射によって次の行動を生み出すメカニズムを考察している。記号とは反射を生み出す刺激だ。鈴木先生が紹介するティンバーゲンの図を眺めているうちに、二分法と二元論がみえてきた。

  二分法とは、入力された刺激が、脳内に記憶されている記号であるかないか(A or Not-A)を判定する論理である。Aであれば、記号反射の回路が作用する。Aでなければ、何も生まれない。脳が記憶している記号か、そうでないかを識別して、次につなげるのだ。


雌雄の魚は求愛ダンスを経て産卵する

 雌雄の魚が産卵のためのダンスを踊る場合、記号Aが入力されたら、行動Bをとりなさい(IF A then B)という二元論理の連鎖がおきる。

 また、鳥が避難行動を呼びかける鳴き声を発するのは、視界に入った首の短い影が、近づいてくるときだけである。これは、記号Aが入力され、それが条件Bをみたすなら、行動Cをとりなさい(A+Bi=C)という具合に、少し複雑な二元論理である。


鈴木孝夫、鳥類の音声活動ー記号論的考察、言語研究 30(1956)

 もし魚や鳥の神経細胞が「Aかどうか」の二分法と、「記号Aに対して行動Bをとる」という二元論をもっているのなら、やはり脊椎動物であるヒトもそれを持っているはずである。それを使って言語処理や知能構築を考えてみようと思った。


言葉の意味は、行動を記憶に切り替えた

 言語学の意味論は単純ではないが、鈴木先生の意味論は明快だ。言葉の意味とは、「ある音声の連続(イヌならイヌということば)と結びついた,ある特定個人の経験や知識の総体である。」(鈴木孝夫著「ことばと文化」)。

 これは音声符号である言葉そのものは意味を伝えない、言葉には意味がないという構造主義的な考え方に根差している。そして、個人がその言葉と結びつけて経験したこと、学んだことの総体が意味だという。この説明は、具体的な体験の記憶も、体験を伴わない言葉や思考の記憶も、どちらも意味とする点で、非常にうまい定義といえる。

 だが、ヒトも言語を手にするまで、記号の意味は行動だったのではないか。ヒトは記憶を意味とすることに慣れてしまい、言葉が入力されると即ちに行動に出るということを忘れてしまったのではないか。言葉=行動(「津波だ!」=逃げる)でなければならない時もあることを忘れている。
 たとえば「津波」の意味は、記憶であってはならない。「津波」と聞いたら、「想定にとらわれず、状況下において最善をつくして、率先して避難する」行動をとらなければならない。そして言葉即行動に移るために、避難訓練を繰り返して身体に覚えこませる必要があるのだ。
 

言葉処理に脊髄反射回路が使われている!!

 ティンバーゲンは、記号反射を引き起こすメカニズムを、生得解発機構(Innate Releasing Mechanism)と名づけたが、学際的には脊髄反射と呼ぶべきだ。ヒトも脊椎動物であり、それをもっている。
 言語は、脊髄反射回路で処理されているのではないか。それはもともと記号が入力されたら行動を生み出す回路だったが、複雑な言語の意味に対応するために、行動ではなく記憶を意味とするようにシフトしたのだ。


鈴木先生のおかげで、ヒトも動物であるという視点で、言語をとらえることができた。
東京・青山墓地にある鈴木孝夫先生の墓前で(2022年5月)


 鈴木先生のおかげで、デジタル言語学は思いもよらなかった発展をとげた。


トップ画像は、2010年11月20日に日本青年館で開かれた鈴木孝夫研究会第5回の記念撮影


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