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感謝報恩

2年前、面白いピアノ音楽教室のオーナーの方と出会った。

その方からは沢山の事を学ばせて頂いた。
その人の言った、今でも心に残っている言葉がある。

「恩は“お返し”したらダメだよ、
恩には“報いる”ことだよ」

僕は良く意味が分からなかったし、今でもまだちゃんと分かっていない。

でも、少しずつ分かったような気がしていて、その事を解きほぐしたいと思って今筆をとっている。

頭をガツンと殴られた出会い

2年前、僕は町に全戸配布する広報誌を作成する大仕事で忙しかった。
ほぼ一人で、70企業を超える経営者に、誌面の内容を決める打ち合わせをして回っていて、このピアノ音楽教室のオーナーもそのうちの1人だった。


男性で見た目は40代前半で、にこやかで物凄く穏やかな口調が印象的だった。


僕は初めてのお客さんと仕事をする時、自分が「出来る人間」であることをアピールしないと、信用してもらえない事を知っていたから、自己紹介を兼ねて、今まで自分が作ってきた商品やサービスの実績を紹介した。

「うちはこういった仕事と、こういった仕事をやっておりまして、このような取引先もおり、もう5年目になります...他にも、こんなことも、あんなことも出来るんです…」と、僕はお気に入りのアタッシュケースから、実績を次々に取り出し、説明に熱が入った。


実績は、僕が会社をやってきた足跡であり、自慢できる唯一のことだった。
そのやり方で、沢山のお客さんから信頼を得てきたし、僕にとってはいつも通りの会話だった。


だけど、オーナーは目を通しながらも、特に驚くことも、感心することもなく、淡々と聞いているだけだった。


今までのお客さんは「へ~、そんなこともできるんだ~それで?」と興味を向ける人ばかりだったから、僕はいつもと何か雰囲気が違うことに正直内心焦った。

一通り喋り終えた僕を見て、おもむろにオーナーが、口を開いた。

「君がやってきたことは分かった。
それで、君の会社の理念はなんだい?」


「えっ....と…理念...」
僕はしどろもどろになりながら
「えーと、色んな経営者と繋がって、会社を応援する仕事でプロモーションをして…あの…えーと、会社に関わるお客さんや沢山の人を幸せにしたい…です」


僕は経営学を学んでいながら、会社経営を5年もしながら、企業理念ひとつ持ち合わせていなかった。

卒業して、起業して、そのままひたすら走ってきたから、理念を考えることなんてなかったのだ。

オーナーは

「経営者でしょ?経営者が会社の理念も言えないようじゃダメだよ。うちの理念はね…」

…と言い、流暢に会社の理念を話し始めた。
その後も何か諭して話してくれた気がするけど、僕は自分でも困惑してたらしくて、何を言われたかはよく覚えてない。


さっきまで威勢良く実績を、今までの僕のがんばった証を自慢してた僕は、少し涙目になって、理念ひとつ話せないことに、どんどんと縮こまっていた。
こんな営業は一度もなかった。

僕の様子を見兼ねたのか

「ごめんね。じじぃのざれ言だと思ってね」

と気遣いの言葉を添えた。


「いえ、そんなことないです。僕にとって大切なことでした。忙しいばかりで、お客様の依頼だけをこなす日々で、お会いして“理念は?”なんて聞かれたのは初めてでした。自分でも本当は分かってるんです。なぜ会社をやっているのか、ちゃんと言葉にできないことを…。あの…本当にありがとうございます。」

僕は我に返って話し、頭を下げた。


なんてことない話に聞こえるかもしれないが、僕の胸にはグサリと刺さった一言だった。

僕は本当は分かっていたのだ。
僕の経営に理念が無い事の問題が重大であることを。
だからこそ焦ったんだ。


どうでも良いことと思っていたならきっと「理念ですか。お客さんが喜んでくれて、僕も幸せに生きられる。それで良くないですか?」ないならないで、そんな風に開き直って軽く流すこともできただろう。


僕にとってあの質問は、うつ病なのに

なぜあなたは生きているんですか?

と、出会ってすぐの人に聞かれるようなものだった。


法人にとっての理念とは、個人にとっての「生きる理由」と同じだった。
僕にはその会話で、ガツンと頭を殴られたみたいな衝撃を受けた。
出てこない理念を捻り出して、オーナーから目を逸らした二階の窓から見える建物の景色を今でも思い出す。



目の前に積まれた札束

僕はその日から、何日も悩み始めた。
仕事をこなしながらも、平然を装っていたが、ずっと「理念」のことが頭から離れなかった。

でも仕事は仕事。
僕は何日かして、広報誌のピアノ音楽教室の誌面を作り終えた。
名刺のメールアドレスに連絡をして、またオーナーと会う約束をした。


先日のこともあったから、カチンコチンに緊張しながら扉をノックした。

オーナーは

「デザイン見たよ、流石だね。」

と褒めてくださった。

今日は別のお願いがあると言って、会って2回目で仕事を依頼してくれた。
あんなに頭をガツンと殴られたのに、次に会ったら、頭を撫でられたかのようだった。


それから、上手く仕事をこなして、なんだかんだ気に入って頂いて、オーナーとのお付き合いが始まった。

ある日、オーナーは僕に話があると呼び出した。
なんだろうと思ったが、オーナーとの話はとにかく面白かったから飛んでいった。

仕事の楽しさや好きなことをして生きることを教えてくださった大学の恩師とは違う考え方だった。

僕の教わったことのない計画やマネジメントや使命を持って経営をすることを教えてくださって、お師匠がもう一人増えたみたいな感じがして、話をしに会いにいくのが楽しかったのだ。


オーナーは奥の部屋から紙袋を取り出してきて、僕の目の前で中身を出した。

机の上には、見たことのない札束が重なっていて、僕は一瞬ギョッとした。





「え………。









これ、本物です…か?」




拍子が抜けるとは、このことだ。

オーナーは

そうだよ。それ、いくらあると思う?

とニッコリと微笑んで僕に言う。


僕は、札束を眺めて
「えーっ…と、100、200…いや1千…億、いや億はないか、すみません、分かんないです」



「一千万だよ、思ったより少ないでしょ?」




(いや、多いよ。)
内心、凡人の僕には見たことのないお金だったから、正直言って全然分からなかった。


オーナーは続けて

「人がみんな一生懸命何十年も働いて稼ぐお金。でも形にしたら“こんなもん”なんだよ。みんなこの”紙“の為に働いてるの。あとこれ見たことある?」

差し出したのは、日本電信電話公社(NTTグループの前身)の株券だった。

「株券なんて見たことないでしょ?これからね、その株券みたいに、世の中のお金は紙からデジタルになっていく。」
「お金なんて“そんなもん”なんだよ。お金はさ、何かやりたい事やるための道具でしかないんだよ。SIN君はそのお金あったら何に使う?何がしたい?」
「何かやりたいことあるなら利息なしで貸すよ。いくら必要なの?」


僕は目の前に積まれたお金から目が離せなかった。
頭は混乱状態で「え、本当に言ってるの?これで何する?え、1千万?…えー…っと」
今度は「札束」でガツンと殴られたようで、僕はまた固まってしまった。


何か言えば良かったのかもしれないが、何も思い浮かばなかった。
オーナーは考える僕を横目に袋にお金をしまい始めた。

なぜか「あ〜1千万円が〜」と、僕のものじゃないのに、なぜか没収されるような感じがした。

「時間取らせて悪かったね。でも、なんかあったら言って。なんかやりたい事あるなら今度ご飯でも食べに行きながら、仕事の話聞かせてよ。」

僕はその日から、何日も一千万の束が頭から離れなかった。



初めてのご飯

後日、ご飯を食べに行った。
オーナーがもともと役人に近い仕事をしてたこと。
大手企業や国の事業のビジネスの監査のような仕事をしていたこと。
若い頃OA機器の営業の仕事をしていたこと。
人に騙されてたくさんの借金を背負ったこと。
お金がなさすぎて道端の草を食べたこともあったこと。
色んな話しを聴かせてもらった。

そして、僕が信用しないだろうからと銀行の通帳を見せてくれて、億に近いお金が入っていて「これが僕の自由に遊べるお金なんだ」と話してくれた。

そして、僕のビジネスのプレゼンも聴いてもらった。
ベンチャーキャピタルなんてカッコイイもんじゃないけど、出資してくれるって言ったから、僕もそれなりに気持ちが入った。
でも、面白いけど「甘い」と言われた。
また、僕はしおれて帰ったが少しこれにも慣れてきた。



証人になる

ある日、オーナーと、鰻屋さんでご飯を食べることになった。
うちのお客さんのお店だし、美味しいとこ教えてほしいって言うから招待した。

なぜか、ピアノの音楽教室の女性の先生までくることになった。その人も気さくで楽しい人だから、全然気にしなかった。こうしてオーナーと少しずつ距離が近くなるのを感じた。
夜まで楽しい時間を3人で過ごした。

ある日、また話があるようで、またピアノ音楽教室に伺った。

僕、結婚するんだ。
SIN君、証人になってくれないかな。

突然の話でびっくりした。
そして「証人」がなんの事なのか知らなかった。

僕はなんか「連帯保証人」みたいな、怖いものなのかと思ったけど、僕もバカじゃないからちゃんと調べた。
調べてみたけど婚約の証人になるデメリットはなかった。


オーナーと出会ってから僕の家族に
「お客さんにね、こんな人がいて、面白い人でね、勉強になって、投資してくれるんだって」と話をした。

すると「それなんか騙されてるんじゃないの?そんな上手い話ある訳ないよ。」なんて言われた。

でも、いくら調べても、婚姻の証人になることでデメリットはなかったから僕は快く引き受けた。
後日、印鑑等を持って書類にサインと判をした。

オーナーは

ありがとね。後で手間代払うから。

そう言った。

僕は「良いんです。沢山お世話になってます。証人にデメリットがないことも調べました」

そっか。世の中には困ってる人が沢山いて、婚約の証人代行を仕事にしてる人もいるくらいだからね。

オーナーには事情があって、近しい身寄りがいなかった。
婚約相手は、10年程の付き合いになる先日のピアノ教室の先生だった。
後日、銀行口座に何万円も振り込まれていた。




出資を受ける

オーナーとの楽しい思い出はこれが最後になる。

「こないだはご馳走になったから今度旅行でも行こうか。
休む時間もとってないでしょ?
鬼怒川にね、お気に入りのところあるから行こうよ。」

町の大仕事も、もう少しで終える。
毎日忙しくて、オーナーから頂いた仕事の報告も深夜3時になることもあって、気に掛けてくれたようだった。

鬼怒川の素敵な旅館だった。
わざわざ、ヒノキのお風呂のついた部屋を2つとってくれて、僕はたった一人広い和室とヒノキのお風呂を堪能し、忙しい毎日の中、一瞬の極楽を味わった。
その頃、忙しい毎日を過ごしていたから、僕にとって本当に本当に感謝しきれないほどの、素晴らしい時間を頂いた。

甘いところを直してきてねと、言われていたビジネスの企画書をオーナーに見せた。

「これ、君が作ったの?まだまだ甘いけど、良く作ったね。」

「はい、そうです。がんばりました。」
少しは認めてくれたみたいだ。
時間のない中作った甲斐があった。
雑談をして、夕食の時間になり、オーナーと旅館の料亭へ行く。


料亭の海鮮料理に舌鼓を打ちながら、オーナーが話し始めた。

君のこのビジネスだとこれぐらいしか必要ないけど良いよ。
200万くらいなら出してあげる。
利息はいらないから、一年後に返してくれれば良いよ。
半分の100万は返さなくても良い。僕からのお金だと思って。

お酒の弱い僕は、小さな食前酒で少し酔いが回っていた。

それでも、あの時の気持ちは、ほろ酔い気分の喜ばしいという気持ちよりも、素直に、有り難い、申し訳ないという気持ちだったのを覚えている。

鬼怒川からの帰り道、色んな話をした。
起業し経営する人達がいかに失敗する考え方で経営に望んでいるかということ。
いかに多くの経営者がどんぶり勘定であるかということ。

僕に言わせたら、事業が上手く行かないと言っている人の気持ちが分からない。
なんで失敗する計画で事業をやろうとするのかも分からない。
リスクを考えず、準備をせず、考え抜かず、計画をせず、数字を見ず、勉強せず、なぜ事業をやろうとするのか。

ウイルスで人が来ないと嘆く多くの経営者についての話しだった。

とりあえずやってみる、そんな生き方をしている僕にとっても耳が痛い話だった。


ADHDと多動な日々

200万円は2020年2月5日にお伝えした口座に約束通り、キッチリ振り込まれていた。

しかし、一生懸命作った企画書の通りには行かなかった。
町の大きな仕事は予定より長引いてしまっていた。
次から次へと仕事が舞い込んできた。

企画書で人を雇うことを約束したのもあって、知り合った40代の女性デザイナーを雇用した。

僕と彼女と、その女性デザイナーさんで、町の仕事以外にも沢山ある仕事をやっていこうと努力した。

でも、このデザイナーさんとも上手く行かず、仕事は余計に肥大化し、複雑になり、初めてのスタッフとの関係も、雪だるまが転がるように悪くなるばかりだった。

あれだけ頑張って作った企画書も、オーナーの想いも無駄にして、お金は、陽の目を見ることは無かった。
2月、3月、4月、5月、6月、7月、8月、9月…10月と、時間ばかりが過ぎていった。

彼女との関係も、その頃から月を追うごとに悪くなっていった。
投資をしていた暗号資産も底の底まで落ちていった。
仕事も、矢継ぎ早に来るのに、お金の不安や彼女の仕事の不安を拭うために受けてしまい、結局お客さんから怒鳴られたり、何ヶ月も待たせたり、尋常じゃないことばかりが起きていた。

もう…駄目かもしれない。
そう思いかけていた。
今思うと本当に苦しい期間だった。


そんな時、200万のお金は何よりも心の担保になった。
もしあのお金が無かったら、もしかしたらどん底から這い上がる気力も無くなっていたかもしれないと今でも思う。

出資をしてくれたオーナーには、何があったって、どんな状況なのか本来連絡するのが筋だった。でも、それも出来ない状態だった。

2020年10月、僕は姪っ子の発達障害について、親から話を聞いていたから、姪っ子の助けになればと、オンラインで発達障害のことを調べた。

チェックシートがあるらしい。
目を通して、僕は愕然とした。
全ての項目に、僕の行動や失敗が当てはまったのだ。


至って健康で、まともな僕が「障害」だなんて有り得ない。
そう思っていた。
医者も薬も大嫌い、人生で眼科以外一度も足を運んだことがない自分だったのに不思議と、精神科に足を運ぶことに躊躇はなかった。
それだけ僕の心は救いを求めていたんだと思う。

そして医者に救われた。
2020年10月15日「発達障害 ADHD」と診断された。
優しい担当医だった。
誰にも頼ってこれなくて、誰にも愚痴や泣き言の話をしてこなかった僕は、堰を切ったように、今までの過去の失敗や間違い、お金の問題、仕事の苦しさ、彼女との関係を全部吐き出した。
担当医を前にして、言葉と共に涙が溢れた。


2020年12月、オーナーの出資を受けてから10ヶ月も経っていたその頃、僕はnoteを始めた。


感謝報恩

noteの人たちは温かくて、優しかった。
僕と同じような悩みを抱えてる人達が沢山いた。
初めてスキがついて、少しずつフォロワーさんが増えた。
嬉しかった。

初めてのサポートの通知が届いた。
驚いて困惑したと同時に、有り難かった。

noteで自分の好きなことを書いた。
なのに人が喜んでくれた。

彼女と別居をした。
見ず知らずの僕にみんなが励ましてくれた。

好きなものを作った。
余りあるほどのサポートを頂いた。

オーナーや、担当医、noteの皆さん、家族、お客さん....僕は色んな人に支えて頂いて感謝してもしきれない。

2021年2月5日、約束の日、オーナーから連絡が届いた。
期待してくれていたのに、なんの成果も生み出せなかった200万円のお金をキッチリお返しした。

「ご連絡もできず申し訳ありませんでした。大変ご無沙汰しております。また近々お会いできませんか?」

きっと、頑張っていたんでしょうから、元気なら安心しました。良いですよ。

快くお返事を頂いた。

出会って間もない僕に、200万円を無利息で出資して頂きながら、何も出来なかった自分。
僕は当日、申し訳ない気持ちでまた緊張しながらピアノ音楽教室の扉をノックする。

「元気だったかい?」

オーナーは怒ることも諭すこともせず、いつもの笑顔で迎えてくれた。

「利息もつけず、連絡もせず、なんのお返しもできず本当に申し訳ありませんでした。色んなことがあって、全て言い訳になってしまいますが…」と僕はこれまでの経緯、発達障害のことを話した。

オーナーはなだめるように

「そうだったんだね。発達障害か…うちも音楽教室やってると子どもたちにも色んな子がいるんだよ。うちは絶対に“発達障害”とは言わないの。親御さんも子どものこと障害だって言われたら嫌なんだよ。今は“定型発達”、“非定型発達”って言われてるんだよ。それに普通ってなんだい?って話だよな。」
誰にでも得意、不得意があるんだよ。
障害だなんて、気にする事ないんだよ。
何でも考えすぎるのが君の悪い癖だ。

どこまでも優しかった。
何度も何度も頭を下げた。

「いつか、きっとご恩をお返します。本当に感謝してます。」
僕がそう伝えるとオーナーは

「貰った恩は“お返し”したらダメだよ、
恩には“報いる”ことだよ。
君はもう誰かの話しを聞いて学ぶ時期は終わったと思う。
貰ったものや学んだことを次の誰かに教えること、貰ったものを違う誰かに恩を送ること。それが“恩に報いる”ことだよ。
僕もそうやって生きたいから、君がどんなことにお金を使ってたかも聞かない。僕は君に投資したんだから。
君に出会う人達に、君の持っているものを伝えてあげるんだよ。それが僕にとっても一番嬉しいことなんだよ。」

そう教えてくれた。



それを最後にオーナーとはお会いしていない。
そんなことを教えていただいたのに、いつか成功して「あなたのおかげです」って言って、お返しがしたいと考えてしまう僕がいる。

僕は元気になってから、助けてくれた担当医にもお会いしていない。
何か手土産でも持っていこうかな…と“お返し”がしたいと考えてしまう。

スキやフォローやコメントをくれる人に何か“お返し”がしたいと考えてしまう。

余りあるサポートをくださった人たちに“お返し”がしたいと考えてしまう。



こんな僕の頭をガツンと殴るように、そして優しく頭を撫でるように、オーナーの言葉は今も僕の頭に響いている。


恩は返すものじゃない、恩は報いるものだよ。







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