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韓国の茶旅12ヶ月 智異山編(1)

茶縁深き智異山

 『三国史記』という古代朝鮮の歴史書に、「茶は善徳王(新羅・善徳女王)の時より有る」という茶の初伝について書かれた記事があります。また、『東国通鑑』『新羅史記』などにも、「興徳王三年(828年)に遣唐大使金大廉は唐に朝貢し、帰朝の際に唐朝皇帝文宗から茶の種を賜り智異山にまいた」という記事が残っています。

 こうした資料を通して、韓国での茶栽培の始まりを知ったのは、ちょうど静岡で「世界お茶まつり」(平成19年11月)が開催される直前でした。このタイミングで韓国の緑茶をいただける機会を得られたのはとても幸運でした。イベント会場で真っ先にめざしたのは、もちろん韓国茶のブースでした。

河東は花開は韓国でお茶の栽培が始まった場所

 そこでは墨染めの衣を着たお坊さまが、初日のバタバタした空気の中で静かにお茶を煎れておられました。私はそのお茶席へまっしぐらに突き進んでいきました。
 お坊さまに白い素朴な急須で注いでいただいたお茶は、清らかな香りと味がしました。
 「美味しいです。これはどちらのお茶ですか?」
 「智異山の華厳寺です」
 智異山・・・・・・。茶産地として知ったばかりの地名を聞けて、数ある韓国茶産地の中から智異山のお坊さまとお茶に出会えるとは、お茶の神さまが結んでくれた“縁”と信じたい気持ちになりました。

 「このお茶、買いたいのですが」
 「売り物ではありません」
 きっぱりと断られてしまいました。いえ、あきらめません。言葉が通じないので切望する目で訴えつつ、もう一度お願いしてみます。
 「どうしても、欲しいです」
 「最終日に取りに来られるのならば、残ったお茶を差し上げましょう」
 気をよくした私はさらなるお願いをしていました。
 「今度、お寺に遊びに行ってもいいでしょうか?」
 「いいですよ。来月(12月)だったら時間があるのでいつでも来てください」
 社交辞令にはさせません。頭の中ではすでにスケジュール帳を開いていました。次の旅の目的地は、韓国のこのお坊さまのお寺がある智異山華厳寺と、毎年5月に野生茶文化フェスティバルが行われる河東(慶尚南道)の三神山雙磎寺に決まりました。

 遣唐使が唐の皇帝から賜ったお茶の種をまいたとされる智異山は、金羅南道、全羅北道、慶尚南道にまたがる大きな山脈の一部です。北には実相寺、南には雙磎寺や鶯谷寺、そして華厳寺と泉隠寺があり、それら寺院の付近には茶樹があります。昔からこちらで生産されたお茶は進貢品(貢ぎ物)とされてきました。

千年茶樹と呼ばれた茶樹

 智異山華厳寺は544年、仏教が生まれた天竺(インド)から渡来した縁起祖師によって開山されました。境内には縁起祖師が母親に対する孝行から造ったとされる孝台があります。喜怒哀楽4つの表情を持つ4頭の獅子に囲まれて縁起祖師の像が立ち、その前には縁起祖師が母親にお茶を供養している像があります。寺の創建がインド僧であることだけでも興味深いことですが、母親を連れてやってきたと伝えられているのも珍しいお話です。朝鮮半島では古代からインドとの往来があったようです。伽耶(3~6世紀頃)を建国した首露王の王妃はインドから嫁いできた王女様だったとか。さすが、大陸はつながっているんだなぁと当たり前のことに感動を覚えます。

秋深い華厳寺
母親にお茶を差し出す縁起祖師の像
華厳寺の斜面には、竹林と野生茶が繁茂する
お坊さまが作ったお茶をいただく

 三神山雙磎寺は、722年に虎に導かれてこの地を見つけた僧侶によって建てられたといわれ、840年に唐から戻った真鑑国師が寺の近くにお茶の種を播いたという伝承が残っています。寺から少し離れた場所には「新羅遣唐使金大廉公茶始培追遠碑」も建てられています。このお寺を訪れるなら春がおすすめ。6kmにおよぶ道の両脇に並ぶ桜のトンネル「十里桜の道」が訪れる人を迎えてくれます。

 「先月、日本の「世界お茶まつり」で会った者ですが、明日訪ねてもいいですか?」
 韓国の空港に着いて間もなくガイドさんに頼んでお坊さまの携帯電話に連絡をいれてもらいました。お坊さまはこの時点では誰のことかピンとこなかったようです。外国のイベントで会った大勢の客の一人にすぎないのですから当然のことですが、それでも快く応じてくださり、無事に再会を果たすことができました。

 この地域には発酵したお茶があり、地元の人たちは子どものの頃から風邪などの予防にそのようなお茶を飲んでいるということや、中国からお茶を持ち帰った人ばかりではなく、反対に中国へお茶を持って行った人も存在するということなどを教えてもらいました。唐代に新羅から渡来した金喬覚(696~794)が自国のお茶とお米と松を中国に持っていったといわれています。中国4大菩薩の聖地の一つである地蔵菩薩の九華山には、金喬覚が地蔵の化身であったという伝承が残っていて、そのお茶が“金地茶”と呼ばれ、現在もなお九華山の名茶として文化的経済的役割を果たしています。

 華厳寺のお坊さまをはじめ、智異山の人々にはさまざまなことを教えていただけました。何よりも普請を目の当たりにすることができたのが大きな収穫でした。

 普請とは寺院の僧侶が茶園を開き、茶摘みなどの労作をすることです。華厳寺のお坊さまは竹林の間に自生している茶樹を使ってお茶作りをしています。茶樹が自生している場所へ途中まで案内していただきました。さらにもっとたくさんの茶樹が広がる場所まで行くには脚力が必要です。美しい新芽が伸びた茶樹と、作業場を見ることができました。そこでは竹籠に入れられたきれいな新芽が眠っていました。これから美味しいお茶へと変身する茶葉たちが愛おしく感じられます。お坊さまの作るお茶は売り物ではないので、欲しければお寺に足を運ばなければなりません。いにしえの人もお茶が欲しくてお寺を訪ね、返礼にきっと茶詩なども詠んだのでしょう。

 智異山は一度や二度訪れたくらいではとうてい知ることができません。何度行っても違う顔を見せてくれる智異山、次回はどんな顔を見せてくれるのでしょうか。

茶葉を揉む茣蓙
韓菓
釜炒り

上の記事は韓国茶の旅中の記事です。
他地域の物語も読んでいただけたら、幸いです🍀

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韓国の旅で見る茶産地、茶生活、行事、節気食、伝統茶院、伝統茶、500の画像で綴ります

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