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夢の続きを見るように本を読む

朝。9時半に目が覚めた。ここ数日いつもそうであるように、起きる理由がないので昼まで寝て過ごそうかと思ったが、どうも家の中が騒がしい。起きて居間のドアを開けると、夫がいた。午前休を取ったのだという。

朝ごはん食べなよ。俺はもう食べちゃったから。
言われるがままに、よく回らない頭でコーヒーを淹れ、食パンを焼いてはちみつをかけた。8枚切88円の、値段以外に取り柄のない食パン。私の朝ごはんは11円。可笑しいような、情けないような気持ちになった。本当は山食が食べたいのに、158円と88円を見比べると買えない私。

昨日着て寝たTシャツに、黒のストレートジーンズを履くと、「そのジーンズめちゃめちゃ似合うね」と言ってくれた。
最高気温が35度を超えるような時期に、ジーンズなんて履けたもんじゃない。わかっているのだが、厚ぼったくて硬い生地の感触が落ち着くのだ。夏は暑くて冬は寒い、それでもできれば一年中ジーンズを履いていたい。

夫が出勤し、昼ごはんは卵かけごはんと韓国海苔にした。どんなに食欲のないときでも食事が面倒なときでも食べられる、私の命綱みたいな食事である。
それだけでは無論足りなかったので、冷奴を食べた。賞味期限が切れていたけど、気にしなかった。食べたあとお腹がゆるくなったけれど、冷たいものを食べるとたいていそうなるので、賞味期限のせいなのかはわからなかった。

食べながら本を読んだ。一人で食事をするとき、YouTubeやラジオをつけることが多いのだが、人の声を聞きたい気分ではなかったからだ。江國香織の『落下する夕方』。
子どもの頃、こうして片手で文庫本を読みながらご飯を食べるのが好きだったことを思い出した。久しぶりにやってみて、ずいぶん行儀が悪いなぁと思ったが、母に叱られたことはなかった。「ご飯食べてるときまで読みたいくらい面白い本なの?」と、言われたような気もする。

ここ数年、江國香織ばかり読んで暮らしている。
もう何度も読んだ本を繰り返し繰り返し読む。ほとんど暗記しているんじゃないかと思う。面白いからではなくて、心地いいから読む。好きな曲をリピート再生する感覚に似ている。江國香織のリズムとメロディが体に染みついているから、他の人の本を読もうとしてもひっかかってしまう。

怠惰だなぁと思う。好きな夢の続きを見るように本を読む。なんの新しい出会いもないし、役にも立たない。でも、読書は個人の愉しみであって、役に立つからするものではないと思うから、これでいいのだ。

本を読んでいて、素敵だと思った一文をノートに写し書きする習性があるのだが、これを書いておこうと久しぶりにノートを開いたら、まったく同じ一文が抜き書きされていて笑ってしまった。

何かのかけらと呼びたいような、紡錘形の月が輪郭をぼやかせ、湿った夜空に白く光っていた。

江國香織『落下する夕方』角川文庫

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