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ここ3年自ジャンルがないオタクの話

「自ジャンル」とは、その人がハマっている漫画やアニメ、ゲームなどの作品のことを指す。

まる3年、ハマったものがないオタクは果たしてオタクと呼べるのか。
しかしそれが私である。

最後にハマったのは、アイドルマスターsideMである。その年月、実に6年前。
先日サ終したソシャゲには、課金はしないもののかなり時間を注ぎ込んでいたし、ライビュ(ライブの生中継を映画館で観るイベント)に足繁く通い、バイト代をはたいてライブBlu-rayを買っては繰り返し見ていた。
絵を描いたり小説を書いたり、二次創作にも熱を上げていた。描いても描いても次のアイディアが浮かび、出力が追いつかないくらいだった。

ただ、だんだんと熱が冷めてしまい、3年前に行われた4thライブはついにライビュすら行かず、Blu-rayも買わなかった。ソシャゲも時間の無駄に思えて起動しなくなった。もちろん新曲のCDも買わない。

嫌いになったわけではない。事実、私はつい数ヶ月前に出た6thライブのBlu-rayを買い、今日も見たところだ。
私が一番よく見た3rdライブではドンキのコスプレみたいにペラペラだった衣装は、べらぼうに上質になっていてもう貴族みたいだし、ステージの背景映像も映画ばりに綺麗になっていてびっくりした。

でも、これはいまの私の「好きなもの」じゃない、と思った。「好きだったもの」だと。
うまく言えないけど、もう通り過ぎてしまったんだと感じた。いつまでもすがりついてちゃいけない。新しく好きになれるものを探さなきゃ。

こんなふうに言うとまるで恋みたいだが、ハマること、推しに出会うことは限りなく恋に近い現象だと私は思っているので仕方ない。sideMは惰性でうだうだと6年付き合っている彼氏で、私はもう彼に恋心を抱けないのだ。

恋はしかし求めるものではなく落ちるものなので、さあこのジャンルにハマろうと身構えたところでハマれるものではない。
私だってこの6年、人に勧められたアニメを見てみたり、気になるソシャゲを入れてみたり、いろんな作品に触れてみた。好きになったものはたくさんあるけれど、ハマったと言えるもの、新しい推しと呼べる存在はひとつもない。

いまの私は、sideMがきっかけでファンになった声優の情報だけは毎日追い、でもそれも惰性かもなと薄々思いつつ、今までのオタ活で得たフォロワーとオタク関係ない日常の話ばかりしている。
絵も小説も一切書かない。だって好きなものがないから。あのキャラのこんな衣装が見たい!も、こんなシチュが書きたい!も、なんにもない。

趣味は音楽と映画とお笑い(インドアなのは変わらない)。アウトプットはnoteとラジオトーク(一人喋り投稿アプリ)にシフトした。
自分は死ぬまでオタクだと思っているんだけど、いまの生活ってオタク要素皆無。アニメは「令和のデ・ジ・キャラット」だけ見てたけど終わっちゃったし。アマプラでアニメ見ようとしても12話完走できないし。

同じような人いるのかなとググってみたら、ブログや質問サイトに同じことを書いている人が何人もいた。質問サイトの回答には揃って、
「私もそうだったけど、ある日ハマれるものに出会えた。年齢は関係ない。またハマれるときは必ずくるから、いまはゆっくり別のことに時間を使ってはどうか」
と書かれていた。

うーん、でもそれ3年続いてるんだよなぁ。さすがにブランク長くないかな。もしかすると、私が3年前からメンタルを患っているのが関係しているのかもしれない(もしかしなくてもそうだろ)。

回答の中には、「ハマるには脳の容量が要る。疲れていると無理だから、よく食べて寝るといい」というものも多かった。
いまの私には、生きるのに必要じゃないもので頭をいっぱいにする余裕がないのかもしれない。だってその日の夕飯すら作れない日もあるのだから。

寂しいけれど、いまは脳の容量を必要としない音楽だったり、お笑いだったりで心を埋めるしかないようだ。いつかもっと元気になれたら、新しい出会いも望めるだろう。

もしこのタイトルに親近感を感じて読んでくださった方がいれば、共に英気を養って来たる日を待ちましょう。

ヤマもオチもない話で失敬しました。あなたに良い出会いがありますように。

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