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結婚するときの自分はもっと大人だと思っていた

私は明日、実家を出る。
結婚するのだ。

荷物は昨日、大方まとめて、父の車で運んでもらった。
クローゼットも、本棚も、べたべたポストカードやブロマイドを貼っていた壁も、小学生のときから使っている机の引き出しも、いまはからっぽだ。

いやだ、とは思わない。
ただ、さみしいと思う。

私はもう、この家には住まないのだろうか。両親と兄弟と暮らすことは、もうないのだろうか。
それは不思議で、想像がつかなくて、理解できないことだ。

けっこん。
それをするときの自分は、もっと大人だと思っていた。

もう24歳になったけれど、私はちっとも大人じゃない。
自分じゃ稼げないし、三食きちんとしたご飯を用意できないし、保険のこととか年金のこととかわからないし、車の運転もできないし、あれもこれもなにもかもできない。
子どもなのに。まだこんなに子どもなのに、結婚なんて。

好きな人と一緒にいられる時間がもっと欲しいと思った。毎日会いたいと思った。ただそれだけなのに。


一人暮らしを終えて実家に戻ったばかりの頃は、居心地が悪くて、もはや実家を自分の居場所だと思えなくて、「こんな家すぐに出ていってやる」とわめいたこともあった。お母さんなんて大嫌いだと思ったし、お父さんの我関せずな姿勢に苛立った。

それでも、私はずっとこの家で育ったのだ。
幸せな子どもだった。両親は、やりたいと言ったことはなんでもやらせてくれた。進学先も自分で決めた。
小さい頃はたくさん遊んでくれた。旅行にも海水浴にも連れて行ってくれた。

お父さんが大好きだった。
会社から帰った父におはなしをせがむと、話しているうちによく父が先に眠ってしまった。土日はつきっきりで遊んでもらった。公園でボール遊びをしたり、児童館でピンポンをしたり。

母は女の子らしい人で、私が小さい頃はお菓子を作ったり、パンを焼いたり、手編みのベストや腹巻きを作ってくれたりした。
私は怠け者で、母の成果を享受するばかりでちっとも受け継がなかった。しょうのないやつ。

家族が大好きだった。お兄ちゃんと雪合戦して、雪玉が痛くて泣いたことも、お姉ちゃんが読ませてくれる漫画の新刊を楽しみにしていたことも、思い返すだけでたくさんの小さな思い出がぷくぷく浮かんでくる。

でも、いつまでも子どもじゃいられない。
親よりも一緒にいたいと思う人と出会ったのだ。


私は本当に幸せな子どもだった。
明日からは、幸せな大人になりたいと思う。

一人じゃなれなくても、二人なら、きっとなれる気がするから。

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