10代と20代、友人関係の違いについて思うこと
友人との付き合い方、その濃さ重さ強さというものは、10代と20代で決定的に違う。少なくとも私の場合は。
もちろん、10代の方が濃く重く強かった。
感情を共有できたときの喜びも大きければ、理解し合えなかったときの怒りやショックも大きかった。
いまなら「ちょっと距離を置こう」で済むところを、関係が修復不可能になるまでずたずたに傷つけあってしまったのは、私たちが若かった、いや幼かったからなのだと思う。
友達みんなと親友になろうとしていた気がする。
なんでも打ち明けて、分かち合って、自分のすべてを理解してくれる相手が欲しかった。
誰にでも距離を詰めすぎていたから、離れていく人も多かったのだといまでは思う。
もう、親友が欲しいとは思わない。
長年の友人たちとの関係が立て続けに壊れたせいかもしれないし、夫という一番大切にすべき人がいるからかもしれない。
私にはもう、好きなものも嫌いなものも大事なこともくだらないことも、なんでも言い合った中高生時代の友達は残っていない。
代わりに、大はしゃぎもしなければけんかもしない、穏やかな関係だけがある。
20代からの友人たちは、私という人間の、表面上のほんの一部しか知らない。それは好きな音楽だったり、ゲームだったり、カフェだったりする。
彼らは私の家族構成すらよくわかっていないだろうし、私がピアノを習っていたことも、絵を描くのが好きだったことも、その両方に挫折したことも、知らない。
知らないということは、ないのと同じだ。
だから私は彼らの前では、普通の人みたいに振る舞える。私の忘れたい過去は、彼らにとっては存在しないのだから、傷も痛みもないのと同じ。だから気楽だ。
いまの友人たちのことは好きだけど、でも、他の人でも替えがきくと思っている。というか、そういう関係にしかしないように気をつけている。寄りかかりすぎないように。いつ支えを失っても転ばないように。大泣きしないように。
よそよそしいかもしれないけれど、私は失ったら痛い友人はもう欲しくないのだ。一生仲良くしてくれる人なんていないのだから。
そうは言いつつ、また仲良くなりすぎてしまうのがこわくて、今日もなかなか友人に連絡できずにいるのだった。
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