『一人の哀れな女性のための回想』2話目
麗美はクリスマスが好きだといった。
理由を聞くと、クリスマスには1年に一度だけシチューを食べることができるらしい。
母親が作るそのシチューが、とても暖かくて美味しいのだと。
私はその日、麗美を高級レストランへ連れていき、シチューを食べさせた。
麗美はシチューに目を輝かせ、首をかしげながら食べていた。
私はそんな麗美を見るのが、楽しかった。
高校生になった麗美は女性の雰囲気を身に纏い、どんどん美しくなった。
私は陰ながら彼女の成長を見守っていた。
そんな麗美に、恋人ができた。
本音を言うと私は寂しかったが、彼女が本当の笑顔を取り戻すきっかけになるかもしれないと、喜んだものだ。
あるとき、定期的に通っている麗美の家を訪れると、母親が泣いていた。
どうしたのかと聞くと、どうやら麗美がしばらく家に帰っていないらしい。
私が与えた携帯電話に電話をすると、麗美は呂律の回らない声で叫んでいた。
会話にならなかった。
電話の向こうでは男の声と、爆音の音楽が流れていた。
私はなんとか居場所を聞き出し、母親をなだめ麗美を迎えに行った。
私とは無縁の世界に麗美はいた。
彼女がいたのは、クラブハウスのVIPルーム。
長いソファの端に、ぐったりしていた。
男『おっさん、何者だよ。』
麗美の周りにいる男たちが私を囲った。
私はそんな男たちを払いのけ、麗美に声をかけた。
佐川『起きろ。母親が心配しているぞ。』
麗美から返事はない。意識がなかった。
男『俺の女に手ぇ出すんじゃねえよ!』
男はつまようじのような細い腕で私を殴りつけた。
私は即座に3倍の力で殴り返した。
嫌われ者の私だが、人間の顔面を思い切り殴りつけたのは初めてだった。
拳が痛かった。いや、それより胸が痛かった。
麗美が心配でたまらなかった。
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私は後悔した。
麗美の恋人を殴ったことに対してではない。
少しでも麗美から目を離したことに対してだ。
私の車に乗る麗美は、未だ目を覚まさない。
急いで夜間救急センターに運んだが、医者から麗美と引きはがされた。
人を心配したのは初めてだ。
この麗美という人間は、私にいくつもの初めてを経験させる。
不思議な人間だ。どうかこんなところで消えてほしくはない。
しばらくして医者に呼ばれ病室に入った私は、青白い顔をした麗美に言葉を失った。
この時私は麗美を守ることを誓った。
何が起こってもこの一人の人間のために、悪魔にでも魂を売る決意をした。
麗美は青白い顔のまま前方の一点を見つめ、動かなかった。
医者が言うには、急性アルコール中毒らしい。
しかしこの時の麗美はそれ以外に、精神を病んでしまったとのことだ。
私は黙って麗美のそばにいた。
翌日、私は初めて仕事を休んだ。
数日後、麗美は意外にも早く立ち直り、再び学校へ通い始めた。
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次から彼氏ができたら私に報告しなさい。
こんな父親のようなふざけたことを自分が口にするとは夢にも思わなかった。
しかし麗美は、不器用な笑顔で頷いた。
私はほっと胸をなでおろし、麗美を見守ることを続けた。
時は経ち、麗美は高校を卒業した。
私は高校の卒業祝いに、とある会社に頭を下げ就職先を斡旋した。
昔の知り合いが社長をしている、シノシノラバーというタイヤメーカーだ。
タイヤ業界の中でもトップクラスのこの会社の、社長秘書として麗美を入社させた。
篠山社長は抜けているところがあるが、悪い人ではない。
この人になら、麗美を任せてもいいと思ったのだ。
麗美は見事に仕事をこなし、社会人として成長した。
そんなとき彼女の口から、ついにこの言葉が出たのだ。
麗美『佐川さん。私、彼氏ができました。』
麗美が報告した彼氏とやらは爽やかな好青年で、しっかりした優しい男らしい。
名前を山崎といった。
シノシノラバーの営業マンで、父親は研究者のようだ。
同じ会社にいるとお互い安心だろう。私は心から祝福した。
麗美の話は、ほとんどが山崎の話になった。
些細な出来事から、旅行に行った話まで、この子は事細かによく覚えている。
そんな話を聞き、私も旅行に行った気分になれた。
自分で稼ぐようになった麗美は、母親を山奥から引っ張り出しアパートに住まわせた。
就職で都内から出ていた麗美はしっかりと母親に仕送りをし、生活を支援した。
家族思いの、優しい子に成長している。私はそれがたまらなく嬉しかった。
あの時までは。
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ある日、麗美から連絡がきた。
それはメールで、明日東京へ行きます。母に山崎さんを紹介します。とのことだ。
私にも来てほしいらしい。麗美は私のことを父親か何かだと思っているのだろうか。
私はその日、あいにくにも仕事の日だったので、仕事を早々に片付け麗美の母が住むアパートに向かっていた。
もう夕方だ。天気は雨。これでは観光もできないだろう。
ほのかに明かりのつくそのアパートにつくと、怒号が聞こえた。
なにやら飯がまずいだのと聞こえるが、はっきりとは聞き取れなかった。
のちに陶器が割れるような音がし、男が急いで車に乗り立ち去った。
妙な胸騒ぎがするが、私は麗美の母の家のチャイムを鳴らした。
扉を開けた麗美の母の目には、涙が溜まっていた。
なにかあったのですか?そう聞いても、麗美の母親は何も話さない。
部屋の中を覗くと、ひっくり返った鍋と、あたりに飛び散ったシチューが見えた。
麗美の姿はなかった。
佐川「麗美はどうしたんです?」
麗美の母「買い物に出かけました。」
麗美の母がなんとか声を出し、そう言ったのと同時に玄関に麗美が現れた。
麗美「佐川さん、こんばんは。なにかありましたか?」
私は麗美を無理やり外に出すと、車に乗せ走り出した。
麗美「山崎さんがいませんでしたがどこに行ったのでしょうか。」
麗美は私に質問をするが、私は答えることができなかった。
1時間ほどして家に戻ると、家は綺麗になっていた。
ふとシチューの箱を見ると、ルウが半分残っていた。
私は思い出した。
高級レストランに行ったとき、麗美が頭をかしげながらシチューを食べていたことを。
麗美の母が作るシチューは、ルウが半分しか入っていなかったのだ。
お金のなかった麗美にはそれが当たり前だった。
麗美の母親は、麗美が毎年一度喜んで食べるシチューを、このなんでもない平日に山崎に振舞ったのだ。
私は山崎とやらに対する怒りを堪えるのに必死だった。
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翌日になっても、山崎が戻ることはなかった。
私は麗美の母と口裏を合わせ、山崎は急遽仕事が入り先に帰ったことにした。
その翌日、用事があり街中へ出ていると、先日麗美の母が住むアパートから出てきた男を発見した。
おそらく、こいつが山崎だ。
佐川『お前、山崎か?』
佐川は思わずその男に声をかけた。
山崎『そうですが、なぜ俺のことを知ってるんですか?』
当然の返答である。突然知らない男に声をかけられたのだから。
佐川が返答に困っていると後ろから綺麗な女性が現れ、山崎の腕に抱きついた。
佐川『私は狩野さんの知り合いだ。話がしたい。』
私は怒りを堪え山崎に話しかけた。
山崎は驚いた顔をしたが、女性に耳打ちをし、私の話を聞くことに決めた。
山崎を発見した場所から1番近いファミレスで、私は麗美のアパートから出て行く山崎を見たこと、そして麗美の家が荒らされていたことについて聞いた。
山崎は飄々とした態度で、信じられないことを口にした。
山崎『俺、東京に出て別の会社で働くことにしたんですよ。だからもうあの女はいらないし、もう別の女ができたんで別れるきっかけが欲しかったんです。そこでたまたまあいつの母親が不味いシチューを出してきたんで、ぶちまけてやったんですよ。あいつの母親、何度も俺の足にすがりついて謝ってきて、滑稽でしたよ。もういいですか?女を待たせてるんで。』
私はもう怒りすら湧かなかった。
湧いたのは殺意だ。
私は、この男を殺すことに決めた。
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