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【雑記帳】生い立ちを振り返ってみた

【ライフシフト】マルチステージの歩み方で人生の棚卸を勧めたこともあり、自分(店主)の生い立ちを振り返ってみました。

幼少期は変身ヒーローに夢中

1969年、群馬県に生まれました。
後々、この年にアポロ11号が月着陸に成功したことを知って、宇宙に興味を持つようになりました。

宇宙の前に興味を持ったのが、'71年から放送が始まった「仮面ライダー」です。
その後、石ノ森章太郎さん原作の特撮モノや変身ヒーローものには、軒並みハマりました。

ウルトラシリーズやゴジラ・ガメラ等の怪獣も大好きでした。ソフトビニール人形を砂場に持ち込んで、泥だらけになって遊んでいた記憶があります。

アニメは、タツノコプロの作品をよく観ていました。
樫の木モック、ガッチャマン、みなしごハッチ、キャシャーン、テッカマン等々。
'72年からはマジンガーZを皮切りにロボットアニメにもハマります。

当時の愛読書は「テレビマガジン」と「テレビランド」。
漫画は「ミクロマン」の単行本を読んでいました。

この頃の将来の夢は、変身ヒーローや巨大ロボットの操縦者です。

少年時代はアニメと漫画とプラモデル

小学生になると、ゴジラやガメラ等の巨大怪獣モノが勢いを失い、コンバトラーVやガンダム等の巨大ロボットアニメが勢いを増してきます。
宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999など、松本零士さんのSFアニメもヒットしていました。

とくにガンダム以降、敵のロボットが格段にカッコよくなったのが印象的です。
しかし、超合金は主役のロボットくらいしか製造されません。敵味方問わず様々な造形を楽しみたいという気持ちに応えてくれたのが、プラモデルでした。

ガンプラブームもあって、プラモデル作りが盛んになります。
造形がイマイチだったものは、ホビージャパンを参考にしながら、プラ板でボディを自作することも。近所の模型店のコンテストで入賞するほど腕をあげましたが、中学生になると模型作りはパタッっと止まってしまいました。

また、当時はアニメが興隆していて、アニメ雑誌が毎月何種類も発行されていました。ぼくが買っていたのはアニメージュ。お目当ては連載中のナウシカです。

'77年に創刊されたコロコロコミックもよく読んでいました。お気に入りは「のび太の恐竜」をはじめとする大長編ドラえもんと「ゲームセンターあらし」です。
以前からオセロや人生ゲーム等のボードゲームで遊んだりしていましたが、「ゲームセンターあらし」の影響で、テレビゲームに夢中になります。

ただ、1プレイ100円ではお小遣いがもたないので、1プレイ10円、高くても50円で遊べるところを探しました。
お小遣いが尽きた時はLSIゲームで遊んだり、テレビゲームをボードゲーム化して遊ぶこともありました。

他にも、スーパーカー消しゴム、ラジコン、ゲイラカイト、ヨーヨー、スライム、ダイヤブロック等、沢山のおもちゃや遊びがブームになっては下火になってを繰り返していました。

振り返ってみると、遊ぶことには事欠かない小学生時代でした。
子供らしい飽きっぽさと財力の乏しさもあって、何か1つにお小遣いつぎ込んで深くハマるということはなく、あれこれ広く浅く楽しんでいた感があります。

広く浅いことで様々な作品に触発され、そこで生じたイマジネーションを落書き・ねんど・ブロックで形にすることを楽しんでいました。

この頃の将来の夢は、宇宙飛行士や考古学者。SF作品の影響ですね。

中学・高校時代は漫画を読む・描く

'80年代は数々のヒット漫画が生まれ、週刊少年漫画雑誌が発行部数を伸ばし続けていた時代です。
ぼくも、週刊少年ジャンプや週刊少年サンデーを、毎週買って読んでいました。
単行本も含め、一番漫画を読んでいた時期です。

また、同人誌の存在を知って、同人誌即売会に初めて行ったのもこの頃です。
「風街フェスティバル」という名の、群馬ローカルの同人誌即売会でした。

同人誌で創作熱を受けると落書きでは満足できなくなり、初めてペンを使って漫画を描き上げます。当時人気だった超時空要塞マクロスの同人誌を友人と作り、その中に数ページの短編漫画を掲載しました。
同人誌は両面コピーしてホッチキスで閉じたものに、製本テープを貼っただけ。簡素な作りでしたが、同人誌を作り上げたことに満足していました。

高校でも、美術部に入部して、先輩方の同人誌作りに参加しました。
この先輩方が、ものすごく上手い方ばかりで、かなり刺激を受けました。
高校時代は、周囲の絵の上手い人たちの技術を学びながら、腕を磨く日々でした。

'83にファミリーコンピューターが発売され、'85にはスーパーマリオブラザーズが大ヒットしますが、テレビゲームにはそれほど夢中になりませんでした。

この頃の将来の夢は、漫画家やアニメーション映画の監督です。

大学時代も映画から演劇まで幅広く

幅広い経験を積む傾向は、大学時代も続いていました。
まず、美術の教員免許と学芸員免許を取得するため、平日は授業でいっぱい。
デッサン、油彩、塑造、石彫、美術史、解剖学...土器の発掘と修復もやりました。

その合間に、映画サークルで映画を撮ったり、学園祭でオペラの演出をしたり。
小劇団に参加して老人ホームを慰問することもありました。

大学時代に最も影響を受けた漫画が「混淆世界ボルドー」です。
そのうち右脳めしで取り上げるつもりですが、内容を簡単に説明しておくと、魔法と工業技術が混在した世界に地球人が訪れる「異世界転生モノ」です。

この漫画の影響で、当時ファンタジーRPGとして大人気だったドラゴンクエストシリーズやファイナルファンタジーシリーズにハマり出します。

やがて、壮大な物語のゲームを演出してみたいと思うようになりました。

ゲームクリエイターの道を歩み始める

大学卒業後、運よくゲーム開発会社に就職することができました。
グラフィックデザイナーとして入社し、後にディレクションをするようになります。

ディレクションしたタイトルの幾つかは、某誌のクロスレビューでプラチナ殿堂やゴールド殿堂を獲得しています。大ヒットとまではいかなかったものの、それなりの品質のゲームを世に出してきました。

ディレクターとして開発チームを率いるようになると、マネジメントやチームビルディング、コーチングを学ぶ機会が増えてきます。
漫画を読む機会は次第に減り、代わりにビジネス書を読む機会が増えました。

子供時代や学生時代に将来の夢を色々思い描きましたが、最終的にぼくが選んだ道は、ゲーム開発者(ゲームクリエイター)でした。
「壮大な物語のゲームを演出する」という夢は、既に叶えています。

ゲームクリエイターを22年間勤めた後に

就職する前に、ぼくは、あることを決めていました。
それは、最低でも22年間は、同じ会社でガムシャラに頑張ることです。

22年という年月は、大学卒業まで親の世話になった年月に匹敵する期間にしたかったからです。同じ会社に勤め続けようとしたのは、一社で定年まで勤め上げた父の影響かもしれません。

22年間頑張り続ける自信はありましたが、疲れ果てているであろうことは、その時から予想していました。だから、もし22年後に疲れ果てていたら、一旦、人生の中休みを入れるつもりでいました。

実際、その22年間は順風満帆ではありませんでした。壁に当たって悩み苦しむことは、一度や二度ではありません。成果を上げることもあれば、成果が出せない時もあります。給料も上がったり下がったりしました。

それでもなんとか22年間勤め続けましたが、予想通り、精神的にも肉体的にも疲れ果てていました。
そこで、人生の中休みを取るべく退職。今までやりたくてできなかったことを数ヶ月やって、スッキリした後に別のゲーム会社に転職しました。

転職は、この時を含めて2回しています。

転職時には自分のスキルを棚卸しします。また、転職先には今まで出会った人とは異なるスキルを持つ人がいるので、自分のスキルを比較する機会が増えます。
その結果、自分のスキルの内、どれがノウハウとして独特なのか、わかるようになりました。

ただ、ノウハウは開発状況によって生かせる時と生かせない時があります。
例えば、企画のノウハウは開発には生かせませんし、物語のないタイトルで物語の演出ノウハウを生かすことはありません。

自分の持つノウハウを、開発状況を問わずに生かす方法はないかと考えるようになりました。

ライフシフトを意識し始める

会社勤めをするゲームクリエイターの場合、定年後の働き方が想像し難いのは、 【ライフシフト】サラリーマンクリエイターの行く末は?で書いた通りです。

また、「生活費=お金を稼ぐために疲弊し、その疲れを稼いだお金で癒す」というサイクルで勤めていたら、心も体も持ちません。
定年後ではなく、今すぐにでも今後の働き方を考え、改めていく必要があると感じました。

その頃に読んだのが「ライフシフト」です。

その後、マーケティングやセルフプロデュースを学び直したり、フリーランスで働く人達の仕事ぶりから、今の時代にどんな働き方や稼ぎ方があるのか調べました。

で、いろいろ考えた結果、始めたことの1つが、この「東雲創作堂」です。
何をいろいろ考えたのかは、今後、雑記帳等で話していきますね。

生い立ちを振り返って

ここまで読むと、右脳めしや左脳めしは、店主が子供の頃から幅広く興味を持ってきたことから成り立っていることがわかると思います。

今後控えているnote/マガジンも、何となく想像がつくのではないでしょうか。
はい、そうです。ノウハウものです。
自分の持つノウハウを、開発状況を問わず生かせるようにしたいのです。

とはいえ、ただノウハウを出すだけでは面白くないので、ちょっとした遊びを入れていこうと思っています。どんなnote/マガジンにになるのか、お楽しみに!


いや〜長かった。店主の生い立ちはこれでお終いです。

こんな私的な話に付き合っていただいて、ありがとうございました。

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