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コラボ小説「ピンポンマムの約束」12

 本作は、さくらゆきさんの「紫陽花の季節」シリーズと、私の「澪標」シリーズのコラボ小説です。本作だけでも楽しめるように書きましたが、関連作品も読んでいただけるとより興味深く楽しんでいただけると思います。週一で更新するので、宜しくお願いいたします。
※扉絵は、さくらゆきさんの作品です。この場を借りて御礼申し上げます。


 半袖を着る人が増えたのに、米田先生は相変わらず長袖シャツをまくっている。机上に置かれた1.5リットルのペットボトルの水は、ほとんど残っていない。ゴミ箱には、既に空のペットボトルが1本入っている。きっと冷蔵庫に何本もストックがあるのだろう。

「海宝さんから聞きましたが、認知の歪みに気づけたようですね」
 米田先生は逞しい指で老眼鏡を額に押し上げ、あたしをうかがう。

「はい。あたしだけではなくて、周囲にも責任はあると考えられるようになりました。確かにあたしは、病気のせいで自意識過剰気味だったと思います……」

 米田先生の日焼けした顔いっぱいに優しい笑みが広がる。海宝さんも、一緒に闇を抜けた同士のような笑みを浮かべている。
  
「いい傾向です! そういえば、海宝さんと一緒に学生時代の怖い話を作ったようですね。私も見せてもらいましたが、聞いてみてどうでした?」
 米田先生は鋭い眼差しであたしの反応を待っている。

「本当になったらどうしようと思うことはあって、ぞわぞわしました。でも、あたしは自意識過剰なんだ、もし本当になっても、あたしだけのせいじゃない、責任を感じなくてもいいこともあると心の中で叫びました。録音を流しながら、思い切りメイクを濃くして、人を呪うエクスポージャーに出ました」

「おっ、攻めにでましたね。人を呪うエクスポージャーの成果は……」
 米田先生はあたしの提出したシートを見て、眉をぴくりと上げる。

「◎がたくさんついているじゃないですか!」

「はい。弱々しそうな高齢者や子供を敢えて呪ってみました。次々と呪っていくうち、呪う気持ちを持っても、それが現実になるはずはないと思えてきたんです。もし、現実になったとしても、金先生が言ったように単なる偶然だと思いたいです。呪った人のなかで、どうしても気になる人は出てくるんですけど、2週間放置しているうち、忘れてしまうことが多いです」

「いいですね。ところで、浮かぶ強迫観念が少し減りましたね。まだ、怖いですか?」

「ええ、怖いです……。強迫観念は、後で大したことはないとわかるとしても、入ってきたときは、ものすごい威力であたしを打ちのめします。でも、たいていの観念は、放置していれば時間が経つうちに気にならなくなると学習したので、以前よりは恐れなくなりました」

 米田先生と海宝さんは、驚いたように顔を見合わせる。

「上出来です!」
 米田先生は、親指を立てて突き出す。
 褒められ慣れていないあたしは、どう反応していいかわからなかったけれど、ぞくぞくするほど嬉しかった。

「先程、人を呪う気持ちを持っても現実になるはずはないし、なったとしても偶然と思えるようになったとおっしゃいましたね。でしたら、寺社仏閣に行くのも大丈夫ですか?」
 米田先生は挑発するような眼差しであたしを見据える。

「え、それは無理です……」
 語尾が消え入るように尻すぼみになる。

「そうですか。神様の力が強く働くところは、思ったことが本当になってしまいそうで怖いと言っていましたね」

「はい。それに、海宝さんがあんな怖い漫画を持ってくるから、余計に神社が怖くなったじゃないですかっ! 夜、トイレに行くときも、鬼女が後ろに立っていないか怖いんですから。いくらエクスポージャーでも、勘弁してくださいよっ」 

「あら、そうだった?」と含み笑いをする彼女を射殺す勢いで睨みつけてやる。

「ああ、『有閑倶楽部』の”丑三つ時の女”は、私も海宝さんから借りて読みましたが、絵に迫力があって強烈でしたね。紫藤さんに読ませて大丈夫か確認するために、金先生にも読んでいただきましたが、返しに来たとき、にやりとして『大丈夫でしょう』と言って、去っていきましたよ」

 幽霊のように去っていく金先生の背中に飛び蹴りをしてやりたいと思った。あのロボットのような仮面も少しは人間らしい反応をするだろうか。

「それなら尚更、神社に行くエクスポージャーは退院前に挑戦しましょう。このまま神社仏閣を避けていては、法事も墓参りも行けませんよ。神社や教会で結婚式を挙げることもできないでしょう。今のままでいいんですか?」

「そうですけど……」

「そうだわ、神社に行くのは夏至の日にしたらどうかしら?」
 海宝さんが胸の前で手を組み、トーンの高い声で提案する。

「え?」

「まだ一月ほどあるから、千秋さんは心の準備ができるでしょう。それに、その日は”紫陽花の季節”の紫陽しようが人間として生まれ変わるために、精霊として亡くなった日よ。千秋さんにとっても、強迫観念から解放されて新しい人生のスタートを切る日になりそうじゃない」

「いいですね。川副かわぞえの実家の神社にお邪魔しましょう」

「今から楽しみね、千秋さん」

 憮然とするあたしに構わず、2人は楽しそうだった。

「そうそう、紫藤さん。神社に行く前に、コラージュでなりたい自分を表現してみませんか?」

「コラージュ? 表現? それって、絵を描くみたいなのですか? あたし、美術は大の苦手で」

「心配ないですよ。コラージュとは、フランス語で糊付けという意味です。雑誌やカタログの切り抜きを紙に貼って作品を作ります。特別な技術は必要なく、表現の上手い下手もありません。川副かわぞえ心理士の専門で、希望する患者さんを対象に週1でやっています。彼目当ての患者さんに人気ですよ」

「いいわね。私も参加してみたいわ。箱庭療法は何度もやらせていただいたけれど、コラージュは一度見学しただけなのよ」

「紫藤さんの場合は、神社が実家の川副の近くにいるだけでエクスポージャーですね。いっそ、彼には装束を着てきてもらいましょうか」

「先生たち、楽しんでませんか?」

 憤然とするあたしに構わず、米田先生はラップトップで検索を始める。
「お……、川副のコラージュは予約で一杯ですね。紫藤さんだけのために時間を設けてもらえるよう、彼に頼んでおきましょう。特別扱いですね」
 米田先生は、ラップトップから目を上げ、あたしを見てにやにやする。

「米田先生、私も見学していいですか?」

「もちろんです。私も顔を出します。金先生にも声を掛けてみましょう」

「まあ、千秋さん、またまた至れり尽くせりね。こんなに良くしてもらえる患者さんはあなただけよ」

 あたしは、ぞわぞわ感よりも、先生方がまだあたしをサポートしてくれることに深い安堵を覚えた。

 米田先生は、腕時計に目を走らせ、仕切り直すように切り出した。
「金先生から聞いていると思いますが、近いうちに、紫藤さんのご家族に来ていただいて話し合いをしましょう。既に、金先生がお父さんに病気のことを説明してくれているので、退院後の治療方針、ご家族のエクスポージャーへの協力についての相談になると思います」

 米田先生の言葉は、ただの事務連絡なのに、鋭利な刃物のようにあたしの胸を抉る。足元を崩されるような寂しさと不安で、椅子から崩れ落ちてしまわないように足裏に力を込めた。