見出し画像

「巡礼」 2

 
 都には孤独が十重二十重とえはたえに絡みついていた。


 日本舞踊の師匠だった母は、お弟子さんに稽古をつけた帰りに、車に跳ねられて逝った。母が世を去ったとき、都は13歳、弟の京輔きょうすけはまだ9歳だった。

 父は都内にある国立の研究所に勤めていた。母が生きているとき、研究に没頭する父の帰りは10時をまわり、家族と食事をする機会は乏しかった。だが、母が亡くなってから、父は毎晩7時ころ、武蔵野の面影が残る東京郊外の家に帰るようになった。週末も研究室に出かけていたのに、日曜日は母のエプロンを持って料理教室へ通うようになった。
 

 都は研究一筋だった父が、懸命に新しい生活に適応しようとしているのがわかった。カップラーメンにお湯を注ぐこともできなかった父が、不器用に包丁を握る姿を見ると頭が下がる思いだった。だからこそ、母がいない寂しさを口にできなかった。幼い京輔も、母のことを話すのはタブーだと察したようだった。

 やがて風岡家には、都がご飯を炊き、父が休日に作って冷凍しておく惣菜を温め、夕食の食卓を囲む習慣ができた。都にとって家事の負担は小さくなかったが、それが自分の役目だと割り切った。彼女が夏だけ活動する水泳部員で、それ以外の季節は帰宅部同然だったのも都合がよかった。都が試験で多忙なときは、父方の祖母が泊まり込みで家事を担ってくれた。それぞれが心に穴を抱えながらも、風岡家の生活は軌道に乗っていた。

 都は勉強と家事を両立させながら、地元の進学高校に合格を果たした。小・中学校では地味で冴えなかった女子が、高校で人が変わったように生き生きし、異性の注目を集めるようになると「高校生デビュー」と噂される。 都も、高校では中学時代よりも何倍も輝けると信じて疑わなかった。気の合う友人と優しい恋人ができ、勉強や部活動も充実し、内面の輝きが外見にもにじみ出てくるような自分を思い描いていた。

 だが、現実は違った。
 父に似て口下手で、話を盛り上げるのが苦手な都は、新たな人間関係がうまく築けなかった。クラス内で行動を共にする友人が1人できたが、うまく会話が続かず、休み時間や移動教室のたびに、話題探しに四苦八苦した。何とか会話を弾ませようと、新発売のお菓子を買っていったり、話題のバンドのCDを持って行ったが、会話は盛り上がらなかった。友人は都といるのが苦痛なのか、休み時間になると、別のクラスに遊びに行ったり、机に顔を伏せて寝ていたりするようになった。
 もともと痩せていた都は、気疲れでさらに体重を落とした。いっそ、窮屈な友達付き合いをやめて、休み時間は読書に耽っていれば気楽だったかもしれない。だが、そこまで割り切る度胸がない都は、友人と実のない会話を続けながら、休み時間が早く終わることをひたすら祈った。女子高だったので異性との出会いも期待できず、中学からの延長で門を叩いた水泳部は部員不足で廃部になった。

 そんな彼女にとって、家庭の事情は高校から逃げる格好の理由になった。授業が終わるとすぐに帰宅して家事にかかり、1時間ほどうたた寝してから机に向かった。テストに追われる日々だったが、勉強時間が確保できたおかげで上位の成績を維持できた。
 都は物心ついてから、良い成績をとらねばという重圧に追われ続けていた。父は子供の教育に投資を惜しまず、常にトップでいることを求めた。都自身も優等生でいなければという意識が強く、週末や夏休み、冬休みにも進学塾に通い、そこでの小テストや模試、クラス分けテストにも力を注いだ。おかげで、上位の成績を維持してきたが、重圧と物足りなさは都の体にねばねばとまとわりついていた。

 都は孤独に押しつぶされそうになると、母方の祖父からもらった日本近代文学の本を開いた。島崎藤村、樋口一葉、泉鏡花、夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介、永井荷風、川端康成、谷崎潤一郎……。近代日本文学は彼女を一昔前の日本にいざない、日本語の表現の豊かさと美しさを教えてくれた。幼い都は、母がお弟子さんに稽古をしているとき、母方の曾祖母と祖父母が暮らす家に預けられた。文学には彼らが話していた言葉が生きていた。嗽茶碗うがいぢゃわん手水ちょうず襦袢じゅばん褞袍どてら兵児帯へこおび三和土たたき五徳ごとく。都は読書を通して、今は亡き曾祖母、母が亡くなってから疎遠になった祖父母との思い出がよみがえる不思議な感覚を楽しんだ。
 

 耳の底で鳴り続ける寂しい音を消すためには、音楽も必要だった。都は中学時代の友人とカラオケにいくために歌謡曲も聴いたが、それほど心を動かされなかった。彼女が好んで聴いたのはクラシック音楽だった。クラシック音楽鑑賞は、父と母の共通の趣味だったらしく、家には古いレコードが山ほどあった。都がとりわけ好んだのはマーラーの壮大な交響曲やラフマニノフのピアノ協奏曲で、孤独を抱える都の心に直球で迫ってきた。
 

 西洋音楽に飽きると、母が死んで以来、押入れの奥で埃をかぶっていた日本舞踊のレコードをかけた。稽古を辞めてから時が経っていたが、子供の頃から親しんできた三味線や長唄の音は体が覚えていた。繰り返し踊った演目は、すぐに体が音に反応し、長いあいだ忘れていた音と一体化したときの高揚感が蘇ってきた。都が何度も聴いたのは、母との思い出が残る藤娘ふじむすめだった。発表会前、母が求める表現がわからずに苛立っていた都は、母に連れられて歌舞伎座に女形舞踊おんながたぶようの藤娘を見に行った。視線や仕草の一つ一つに、研究しつくされた女性らしさが表現された舞踊を見て、都は自分に足りないものに気づいた。追憶の世界は、都を孤独から救ってくれた。