篠村友輝哉/YukiyaShinomura

ピアノ弾き、散文、音楽教育 / 桐朋学園大学卒業、同大学大学院修士課程修了 執筆のご依…

篠村友輝哉/YukiyaShinomura

ピアノ弾き、散文、音楽教育 / 桐朋学園大学卒業、同大学大学院修士課程修了 執筆のご依頼随時募集中。 https://yukiya-shinomura.amebaownd.com/

マガジン

  • エッセイ・評論など

    音楽、その他の芸術や社会問題についての評論やエッセイなど。力を入れて書いたものから、気軽に一気に書いたものまで。とりとめのない雑感も。

  • 名盤への招待状

    ピアノ曲を中心に様々な名盤を取り上げ、その演奏から想いや思考を巡らせる評論的エッセイ。

  • 音楽人のことば

    対談企画「音楽人のことば」をまとめてあります。 最新回は、小林瑞季さんとの【「何を」と「いかに」のはざまで】。

  • 耳を澄ます言葉

    2021年下半期に東京国際芸術協会会報に連載していたエッセイ・評論「耳を澄ます言葉」

  • Tiaa Style

    東京国際芸術協会会報「Tiaa Style」での連載からの6篇。

記事一覧

シューベルトの実存に肉薄する──プレガルディエンとゲースのシューベルト・アーベン…

 テノールのクリストフ・プレガルディエンとピアノのミヒャエル・ゲースによるリサイタルを聴…

あたたかく、優しい光──レオン・フライシャー、シュトゥットガルト室内管弦楽団 ほ…

 ピアニストで指揮者のレオン・フライシャーの最後の来日公演を聴いたのは、大学三年の晩秋の…

「為すすべのなさ」を抱えて──クリストファー・ノーラン『オッペンハイマー』

 先月末にようやく日本公開された、クリストファー・ノーランの新作映画『オッペンハイマー』…

「こちら」と「あちら」の狭間から響く声──ジェシー・ノーマン、クルト・マズア指揮…

 気晴らしや耳のさみしさを埋めるためばかりではでなく、なにかもっと根源的な渇きを潤すため…

鮮烈な感性が示す伝統の大きさ──エカテリーナ・デルジャヴィナ『J.S.バッハ:フラ…

 芸術表現に触れるということは、他者の話に耳を傾けること──それも、実際の話し言葉では伝…

モデラートの呼吸──アントワン・タメスティ&マルクス・ハドゥラ ほか『Schubert: Ar…

 楽譜の冒頭にModerato(モデラート)と記されているとき、演奏者はそれを、「中庸の速さで演…

孤絶を抱えた再創造──イーヴォ・ポゴレリッチ『Chopin』【名盤への招待状】第11回

 暗く鋭い光を湛えた音が、こちらの呼吸からはもちろん、楽譜に記された拍節からさえも離れた…

傷つきながら癒される

 十一歳のある夜の遅い時間、芸能人から一般人まで複数人の出演者たちが、なにかシリアスなテ…

手に宿るもの

 数か月前のある日、私の出演する演奏会の案内を見たという知人から、「手がきれいだなと思っ…

これからの表現芸術のために、表現芸術のこれからのために──映画『TAR/ター』との…

「芸術家として優れている人ほど往々にして人間としては問題があることをするものだ」というよ…

浸み透る歌声

 しばらくぶりに話した人に、元気ですか?と尋ねられて、答えるまでに少し間が空いてしまった…

「信用できるから」

 年末や盆をのぞくほぼ毎週末にある仕事に電車で行く途中、高校時代に通学で乗り換えのために…

【「何を」と「いかに」のはざまで】小林瑞季×篠村友輝哉「音楽人のことば」第16回 …

(前編はこちら) ──「いかに」が大切、とはいえ…… 篠村 例えばある演奏について、徹底…

【「何を」と「いかに」のはざまで】小林瑞季×篠村友輝哉「音楽人のことば」第16回 …

──「いかに」の重要性 篠村 「何を」と「いかに」について、僕自身は、大学の頃なんかは断…

慎み深くあるということ──ジャン=クロード・ペヌティエ 80歳アニヴァーサリーリサ…

 二〇一四年から二〇一九年まで、毎年一度、幸運な年には二度、ピアニストのジャン=クロード…

語り続ける姿──アレクセイ・リュビモフ ピアノリサイタル

 指定された座席に着いてプログラムを読んでいると、今日のピアニスト、アレクセイ・リュビモ…

シューベルトの実存に肉薄する──プレガルディエンとゲースのシューベルト・アーベン…

 テノールのクリストフ・プレガルディエンとピアノのミヒャエル・ゲースによるリサイタルを聴…

あたたかく、優しい光──レオン・フライシャー、シュトゥットガルト室内管弦楽団 ほ…

 ピアニストで指揮者のレオン・フライシャーの最後の来日公演を聴いたのは、大学三年の晩秋の…

「為すすべのなさ」を抱えて──クリストファー・ノーラン『オッペンハイマー』

 先月末にようやく日本公開された、クリストファー・ノーランの新作映画『オッペンハイマー』…

「こちら」と「あちら」の狭間から響く声──ジェシー・ノーマン、クルト・マズア指揮…

 気晴らしや耳のさみしさを埋めるためばかりではでなく、なにかもっと根源的な渇きを潤すため…

鮮烈な感性が示す伝統の大きさ──エカテリーナ・デルジャヴィナ『J.S.バッハ:フラ…

 芸術表現に触れるということは、他者の話に耳を傾けること──それも、実際の話し言葉では伝…

モデラートの呼吸──アントワン・タメスティ&マルクス・ハドゥラ ほか『Schubert: Ar…

 楽譜の冒頭にModerato(モデラート)と記されているとき、演奏者はそれを、「中庸の速さで演…

孤絶を抱えた再創造──イーヴォ・ポゴレリッチ『Chopin』【名盤への招待状】第11回

 暗く鋭い光を湛えた音が、こちらの呼吸からはもちろん、楽譜に記された拍節からさえも離れた…

傷つきながら癒される

 十一歳のある夜の遅い時間、芸能人から一般人まで複数人の出演者たちが、なにかシリアスなテ…

手に宿るもの

 数か月前のある日、私の出演する演奏会の案内を見たという知人から、「手がきれいだなと思っ…

これからの表現芸術のために、表現芸術のこれからのために──映画『TAR/ター』との…

「芸術家として優れている人ほど往々にして人間としては問題があることをするものだ」というよ…

浸み透る歌声

 しばらくぶりに話した人に、元気ですか?と尋ねられて、答えるまでに少し間が空いてしまった…

「信用できるから」

 年末や盆をのぞくほぼ毎週末にある仕事に電車で行く途中、高校時代に通学で乗り換えのために…

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 二〇一四年から二〇一九年まで、毎年一度、幸運な年には二度、ピアニストのジャン=クロード…

語り続ける姿──アレクセイ・リュビモフ ピアノリサイタル

 指定された座席に着いてプログラムを読んでいると、今日のピアニスト、アレクセイ・リュビモ…