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慎み深くあるということ──ジャン=クロード・ペヌティエ 80歳アニヴァーサリーリサイタル

 二〇一四年から二〇一九年まで、毎年一度、幸運な年には二度、ピアニストのジャン=クロード・ペヌティエの生演奏を聴けたことは、私の生にとって、最も大きな救いのひとつだった。あの大きくはないが厚い手のひらのぬくもりに包まれたような音。圧倒的な内省が音楽に与える、実際の静寂以上の静寂。孤独への深い理解に比例した、何者をも問い詰めない大きな優しさ。演目や会場などによって、受ける感銘の深さや種類に差はあれど、それは毎回例外なく、生それ自体への感謝という、素朴でしかし日常で実感するのが困難な、根源的感動を抱かせてくれた。
 だから、ここ数年かれの生演奏が聴けなかったことは、なんとも心の渇くことだった。録音を聴き返してはいたが、ペヌティエの演奏の魅力ほど──特に、先にも述べたその音色の人の手のぬくもりのような質感ほど、ライヴでなければ真に感じ取ることができないものはなかなかない。二〇二〇年はやはりコロナウイルスのために、二一年、二二年はかれ自身の体調のために、来日公演は企画されていたものの、それぞれ中止となった。もちろん、ペヌティエは海外の演奏家であり、加えて、大々的な活動は好まない人なのだから、来日が毎年実現していたということ、そしてそれを聴くことができる状況に自分があったということは、当然のことではなく恵まれていたことだったのではあるが……。
 そういうわけで、この五月二日にトッパンホールで実現したリサイタルは、文字通り待望の公演であった。公演は「八〇歳アニヴァーサリーリサイタル」と銘打たれ、休憩を含めて二時間半(実際には約三時間だった)、三部からなる長丁場の演奏会ということで、正直、演奏が始まるまでは、ようやく彼の演奏を生で聴けるという喜びの一方で、プログラムのあまりのボリュームに、失礼ながら、演奏の内容よりも「八〇歳でこれをやった」という現実への感服のほうが先に立ってしまうのではないかという不安が、脳裡を掠めないこともなかった。
 だが、最初に置かれたショパンのマズルカ作品四一の四の、右手のみで始まる冒頭の旋律がひっそりとした声で始まった瞬間、そんな不安は消し飛んでしまった。左手が加わってホ長調に転じ、そして旋回するような嬰ハ長調に発展するが、その転調や楽想の変化による広がりは外へと向かわず、ひたすらに内へと向かってゆく。冒頭の密やかさは最後まで破られず、純然たる舞曲というより、マズルカの律動を背景にしたショパンの独白として全体が表出される。一曲目から、瞬時として声を張らない慎み深い表現に、こちらの集中も極限まで引き出された。
 続いたシューベルトの即興曲作品一四二の二でも、一体どこまで声を潜めて沈んでゆくのだろうかと思われるほど、演奏は徹底して心の内を見つめている。シューベルトがさりげない優しさをもって置いた音のひとつひとつを壊さないように、ペヌティエもまた優しさの限りをもってそれに触れるからだろうか、テンポはアレグレットとしてはかなり遅い。しかしこの一瞬一瞬を能う限り慈しむような時間感覚に貫かれた語り口に、そのような純音楽的な指摘はあまりに虚しい。とはいえ、その時間感覚は、和声感とフレーズ感の並みでない持続という純音楽的な力によって支えられているのである。
 この慎み深さは、三年半の間にさらに透徹の度合いを増したようにすら思われたが、それはつまり、「聴かせよう」という自意識を排するほとんど求道的な──実際にかれは司祭でもあるが──厳しさの表れでもある。しかしかれの演奏は、どれほど内面に沈み込んでも決して重たくはならず、排他的にならない。音色のあたたかみをはじめとして、その語り口にも、極めてゆったりとしていながらも拍感には重々しくならないある軽やかさがあり、それらが、表現に他者が入り込むための余白を生むことに繋がっているのかもしれない。イーヴォ・ポゴレリッチなどは、あまりに極度に自己の世界に入り込むためにこちらの共感を拒んでさえいるような孤絶を聴かせることがあるが、ペヌティエにおいては、内面に入っていくなかにも他者に開かれた親密さがあるのである。
 第一部の最後には、シューマンの作品から最も親密なもののひとつである《子供の情景》が選ばれた。この第一曲「見知らぬ国から」に入って、演奏は音色も音楽も、ここまでで最も明るく伸びやかな表情を見せ始めた。シューマンの夢と愛が限りなく溢れ出してくるような和声と歌心に、ペヌティエの語り口にも歌が満ちてくる。第一曲から第六曲「大事件」までは、密やかながらも表現が花開いてゆくように弾かれたが、第七曲「トロイメライ」を濃厚な表情づけを排して真に夢のように弾いて以降、音楽はふたたび最後の「詩人は語る」まで一曲ごとに内へ内へと沈み込んでいった。この曲集の配列の妙を明らかにするその全体の構成にも唸らされた。

 ペヌティエの演奏表現の振幅は、確かに絞られたものではあるだろう。響きに関しても抑制されており、アーティキュレーションや低音部の動きがそこに溶けてしまうことを避けるペダリングをはじめとして、艶や拡がりの贅沢は徹底して斥けられている。いわゆる「スケールの大きい演奏」とは対極にあり、本人の自覚はわからないが、本能や直感が先行する場面は基本的にはない。だから、たとえば狂気に触れる危うさのようなものをこそ演奏に求める人には、かれの慎み深さは、あまりに内向きで、色気や刺激の足りないものと感じられるのかもしれない。
 しかしその絞られた表現によく耳を澄ませると、その領域の諧調が恐るべき集中と繊細さによって描き分けられていることがわかる。かれの「ピアニスト」としての魅力は、そこにあると言うこともできるかもしれない。その精緻なピアニズムが浮き彫りとなったのが、より精確性の求められる近現代の作品が集められた第二部だった。
 作品としてもあたたかみに満ちていた第一部から一転して、一曲目のオアナの三つのカプリースからの第三曲「パソ」は、冒頭から息をひそめた緊張感が示される。そこから次第に根源から湧き起こるようなエネルギーが熱狂的に噴出し、後半でそれが高音のきらめきのなかで浄化されてゆくさまが、その響きに対するシャープな感覚によって緻密に表出される。作品がピアノの音それ自体の魅力を強く感じさせるがゆえに、ペヌティエの「ピアノの」音の魅力が際立つ。続くシェーンベルクの三つの小品からの二曲(第二、第三曲)でも、暗い情熱を伴った明晰な知によって情念の底の底を探ってゆくようなシェーンベルクの音の、その暗さの濃淡や明度がくっきりと描き出され、交錯するリズムも揺るぎなく刻まれる。そこからドビュッシーの《映像》第二集からの「そして月は荒れた寺院に落ちる」に繋がるが、ここではペヌティエの時間感覚がドビュッシーの音響空間と融け合い、その幅広い時空間のなかで響きが揺曳する。ここでも色彩の変化をあくまでも微細に表出するペヌティエの粛然とした音と運びは、シェーンベルクとの対比よりむしろ連関を感じさせる。
 これほどの高精度を示しながらも、かれの演奏はやはり冷たく硬質なものにはならない。第二部の最後に置かれたフォーレの二曲のうち、ひとつめの舟歌第三番では、作品自体の性格もあり、その柔らかさがこの部において最も広がった。主部の光彩のなかにも不安が常に影を落としているような和声の移ろいも美しいが、中間部の終盤、和音による旋律のあいだを走り抜ける音階が限りなくていねいに弾かれ、光の紗幕のように描かれたのはとりわけ印象的だった。対照的に、二曲目のノクターン第一二番では、主題の長短調の交替に象徴される精神の厳しい葛藤が表現される。くすんだ色彩で綴られる孤独の燃焼。その果てに行き着く最後の主和音は、それに相応しく余韻を残さずに切られ、厳粛さを貫く姿勢は最後の一瞬まで崩れない。

 第一部、第二部と小品が続いたが、締めくくりの第三部には古典派のソナタが二曲並んだ。一曲目はハイドンのHob.ⅩⅥ-48ハ長調。第一楽章ではゆったりとした息づかいの主題が、和声や調性、変奏によってさまざまに色と表情を変えて花開いてゆくさまが、それぞれのフレーズの最後の一音の消え方に至るまで慈しむように弾かれる。第二楽章ではペヌティエの粋な軽やかさが発揮され、控え目ながらも諧謔にも事欠かないその躍動は、音楽が光とともに戯れているようだった。
 このようにペヌティエは、ここまで弾き進めてきても疲れを見せるどころか一切の精神的乱れを感じさせない。聴衆の集中の密度も最高度に達して迎えられたプログラムの最後は、ベートーヴェンの第三一番のソナタである。最初の一音から抱擁するようなぬくもりに満ちた第一楽章、とりわけ中間部に紡ぎ出された音の透明な軌跡が美しかった第二楽章を経て、ベートーヴェンの「苦悩を突き抜けて歓喜へ至れ」というテーゼが、かれの最後の3つのソナタ中最も端的にかつ人間的に表現された第三楽章に至る。
 序奏の悲痛から導き出される「嘆きの歌」。ペヌティエは、左手の和音をこれが八分の四拍子ではなく十六分の十二拍子であることを実感させる重みをもって刻み、人間の苦悩と希求とが交錯する旋律を奏でる。そこから一歩ずつ高みを目指すフーガが続くが、テーマは確固として存在を示しながらも声高に主張せず、各声部の整然とした動きと調和し、その歩みは決して先を急がない。いよいよ頂点を迎えようかというところで深い絶望の淵に落とされ、ふたたび「嘆きの歌」が歌われるが、ここでは序奏においてもそうだったように、同音を結ぶスラーは主流の解釈とは異なりタイとして捉えられ、指のみを変えて弾かれることでその鳴らない後方の音に重みがかかる。それが差し挟まれる小休符と相俟って、打ちひしがれる人間の息づかいが聞こえてくる。
 その果てに、フーガが反行形で天から差す一筋の光のように降りてくる。曲中で最も静謐な時間から、次第にテーマが音価を細分化させて力を得てゆく過程も、極端に速度を上げていく演奏とは対極的に、心の奥底から明るい萌しがゆっくりと膨らんでくるように弾かれる。そして音楽は希望を、一度打ち砕かれただけにより深い輝きと共に歌うが、ペヌティエの演奏ではそれは歓喜に満ちた賛歌というより、人間存在への祈りのように感じられる。
 その祈りは──その音は、響きは、確かに私の胸に触れている。それはつまり、音楽が、いまここに、私の側に在るヽヽということである。
 ペヌティエの演奏において、音楽は、かたちを持たない、触れられないものとしては決してない。述べてきたかれの演奏のさまざまな要素がり合わさって、作品に、手触りが与えられているのだ。先に、かれの演奏には、内省を孤独に極めた果てに他者に開かれた余白が生まれていると書いた。その開かれた余白に立つと、触れられるほど側に、音楽が在る。音楽が私に触れ、私が音楽に触れ、音楽と私が繋がることができる。
 人と人とのあいだの断絶が可視化されるできごとが相次ぐいま、繋がりを求める人の声や、その断絶を直視する「強さ」を持たない者たちの偽りの繋がりを叫ぶ声が高まっている。もちろん「声を上げる」べき場面もあるだろう。だがペヌティエの演奏は、他者との真の繋がりは、外に向けて「声を上げる」前に、まず内なる声に徹底的に耳を傾ける先にこそ訪れるものであることを示している。
 どれほど時流から離れて生きているつもりでも、この社会に存在している以上、その環境の影響を受けずにはいられないのが人間である。この発信の時代に、内省を極め、慎み深くあるということは、そしてそのようにあるための厳しさを持ち続けるということは、どういうことなのか。他者を受け入れ、繋がりを実現することをほんとうに望むのならば、これは問わなければならない。ペヌティエの演奏の何者をも問い詰めない優しさに今回も救われたが、同時に、その姿は私のなかに、かれの八〇年の生と同様に重い問いを残した。


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