目指せ出版! 日本史のセンセイと行く全国制覇の旅11 湖上に浮かぶ島と滋賀県

 「神の斎(いつ)く島」の関係でいうと、琵琶湖(滋賀県)に浮かぶ島、竹生(ちくぶ)島も名前の由来が同じ島です。「いつくしま」が「ちくぶしま」に変わった、ということね。

 日本一の琵琶湖も世界の湖と比べると、比べ物にならないくらい非常に小さな湖なのだけれど、一つ有名なのは世界で三番目に古い湖だということです。湖というのはその地理的性質上、周囲から土砂が流れ込んで、だいたい一万年くらいで消えてしまうものが多いのだそうだけれど、琵琶湖はできてからおよそ440万年! 最初から今の位置にあったのではなく、元々は今の三重県のあたりにあったのが移動して形成されたのだけれど、それにしても古いよね。

 その琵琶湖の中にある島の一つが竹生島。長浜市などから船でおよそ35分。この島は昔から信仰の島で、最初は聖武天皇の夢に現れたアマテラスが建立するように伝えたと言われています。現在は寺と神社が一つずつあるのだけれど、それは明治になってから。かつては寺と神社を一つと考えて信仰する神仏習合(神と仏を同一視する宗教的立場のこと)が行われていました。

 いまある寺は宝厳寺(ほうごんじ)。唐門(からもん)が国宝に指定されています。この唐門、豊臣秀吉の建てた大坂城の極楽橋が豊国(ほうこく)神社(秀吉は死後、豊国大明神という神としてまつられました)に移され、その後に竹生島に寄進したとの記述が残されているので、大坂城の極楽橋が竹生島宝厳寺に移築されたことは間違いないと考えられています。つまり天下統一を成し遂げた秀吉の造った大坂城の唯一の遺構であるということです。ぜひ一度見てほしい文化財です。この寺と廊下でつながっている神社が都久夫須麻(つくぶすま)神社。「つくぶしま」と「いつくしま」、似てるでしょ? ここの本殿も豊臣秀頼が伏見城にあった御殿を移築したものと伝えられていて、この島が豊臣氏と深い関係にあることを示していますね。

【滋賀県に行ったなら】
 滋賀県は京都に近いこともあり多くの文化財が集まっています。国宝が多い都道府県ランキングでは、東京都、京都府、奈良県、大阪府に次いで5位となっています。つまりそれだけ見るべきものが多いということ。そのなかでオススメするのは信長の城・安土城。日本で初めて天守閣(天主閣)を持つ木造高層建築だったこの城は、日本人の城にイメージを初めて造った画期的なものでした。そもそも城全体を石垣で囲うような城は安土城が初めてだったのです。日本建築史上、革命的な建築物だったと言われるのも納得です。

 では標高198mの安土山を登っていきましょう。入口を入ると大手道が広がっています。石段で造られた道で、この石段が頂上まで続いていきます。左右には羽柴(豊臣)秀吉や前田利家らの屋敷跡が見られます。信長が天主(安土城の場合は「天守」ではなく「天主」と書きます)で
 「サルーーっ!」 などと呼びだした場合、必死な表情で走っていたのでしょうか。石段には信長の城らしいものが見受けられます。それは石仏でできた石段です。旧仏教勢力を敵だと考えた彼は、周辺にあった寺などから仏の刻まれた石をも徴発して、安土城に使ったということです。信長が他者の信仰するものに対してこのような態度を取る人物だったということは、あらためて覚えておくべきなのかもしれないね。

 登山が始まっておよそ25分、ようやく本丸に到着します。天主閣跡は背丈ほどの高さの石段に囲まれていて、思ったほど大きくないと思います。それでもこの上に巨大な建物があったかと思うと、ワクワクしますね。

 安土城跡に登ったあとは、「安土城天主 信長の館」を見学に行きましょう。この資料館には安土城の天主5・6階部分のレプリカが展示してあって、その迫力に圧倒されます。映像資料も分かりやすくていいのですが。なかでも目を引くのが「天正十年 安土御献立」の復元レプリカの展示です。戦に功績のあった徳川家康たちを、1582年にもてなしたときのメニューが、とても豪華なのです。これを準備した明智光秀に、信長は「将軍の御成りのようで支度が行き届きすぎている」と激怒し、光秀を殴打した、そしてこれが本能寺の変の直接の引き金となった、と言われています。まさに歴史を感じる展示です。

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