見出し画像

日本の大学経営のどこを改革すべきか

 日本の大学が国際的な地位を落とし続けていると言われて久しい。欧米で行われている世界大学ランキングにおいて、かつてはアジアでトップを誇っていた東京大学その他の一流大学が、はるか後塵を拝しているのを見るのは辛く悲しい。
 アジア諸国が豊かになり、教育レベルが向上していることを考えると、アジア諸国の大学のランキングが上がっていることは、当然の成り行きであり喜ばしいことでもある。それにしても、われわれの世代が血眼になって受験勉強をして目指した、あの日本の一流大学たちに何が起こっているのだろうか。
 今でも一般入試で一流大学に合格するのは難しいし、ノーベル賞に代表されるような研究業績は世界でも注目に値する。しかしそのような一部の研究者を除いてみると、多くの大学教員は日本国内でボチボチやっていれば教授にまで上り詰め、学科主任、学部長、学長あるいは学会の理事というような名誉ある職にもありつける。つまり無理に世界で活躍しようなどと思わなくても、十分に幸せな人生の成功物語になるのだ。
 学生の様子を観察すると、大学はアルバイトをして遊ぶ時間を提供してくれる、4年間の執行猶予的な場と化している。受験勉強に明け暮れた時間に実現しなかった「世間を見る目」を養うことも重要な4年ではある。しかし同時に、自分の人生をどのように生きていくかを考え、準備のために見識を高め、実現に向けて着々と近づいていく4年間でなくてはならない。諸外国の学生と比較しても目的意識の無さは著しいと言わざるを得ない。
 このような観点から、日本の大学経営にどのような変革をもたらすべきかを以下に考察したい。

1.日本の大学の特徴

  •  日本の大学では教員は老若男女、職員から「先生」と呼ばれ、大変大事にされると共に大きな権威を持っている。教員は教室で学生に対して「評価」という絶大な権威を持っている。それに加えて、教授会を始め、教務委員会、広報委員会、就職委員会、図書委員会、紀要委員会、懲罰委員会などと、教員しか委員になれない意思決定・執行機関があり、職員は事務局としてそれらの決定事項を実行に移すだけの役割しか与えられていない。

  •  しかし、教員は大学の経営をするために研鑽を積んできた人材ではない。常に自分の専門は教育と研究であると信じて疑わない。それにもかかわらず、学科主任、学部長、学長はすべて教員が就任して、不承不承任期をこなすという実態に陥っている。すなわち、教員は大学経営については素人なのに、経営に携わっているのである。

  •  それに加え、全ての大学に対して大学認証評価制度による第三者評価がなされる。各大学は教員を含めて膨大な資料作成業務が課され、屋上屋を重ねる仕事量に教職員共に疲れ果てるのである。教育目標、ディプロマポリシー、カリキュラムポリシー、アドミッションポリシー、そしてシラバスの中の授業の到達目標、評価基準などである。

  •  しかし評価委員会の審査基準は手続き的なものばかりで、文書できちんと記述されているかどうかをチェックすることに終始していて、大学がどういう教員によりどういう内容の教育を施しているか、あるいは施すべきか、また、教員がどういう研究課題のもと研究活動を行っているかをチェックしているわけではない。つまり、評価委員会は大学のあるべき姿を指し示す能力を持っているわけではないのである。そのメンバーを見ても、大学の学長、元学長がほとんどを占めていて、経営に素人のお偉方の名前が連なっている。つまり、大学に変革をもたらし得なかった人物が、今の大学の評価を行うという矛盾に満ちた官僚的体制がそこにあるのである。

  •  教員にはその上、延々と続く入学試験、就職指導、入学・新学期ガイダンスなどが覆いかぶさるのである。

  •  世界ランキングで評価の低い日本の大学の国際化について見ても、評価委員会のメンバーのほとんどは国際的に活躍をしてきた人物とは言えないから、国際化が必要であるという認識が低い。従って、英語で授業をする科目を履修し、その単位を取得していけば卒業単位に達することができるという大学はごく少数である。大学教員が英語で授業をし、英語で論文を書き、国際学会で他国の研究者と交流するということなく一生を送るなど、日本の大学以外にあるのだろうか。

2.ヨーロッパの大学との比較

  •  オランダのエラスムス・ロッテルダム大学で4年間研究者として過ごした経験からすると、日本の大学の姿とは大きくかけ離れている。 欧州連合(EU)内ではErasmus Programmeという制度に則って、相互に学生を交換し単位互換をすることにより、大学の質の向上とレベルの均質化を図っている。これによって欧州の学生は、学士、修士、博士課程すべてにおいて、欧州内どこの大学でも3カ月間奨学金付きで、自分が必要とする授業を受けて単位を取ることができる。

  •  2021年度から7年間、EUは262億ユーロ(約3.7兆円)の予算を組み、Erasmus+という制度に発展させて、学生のみならず職員や教員も含めて交流が可能になっている。

  •  この制度を維持するために不可欠なのは「英語での授業」である。各国の大学はこの制度を推進するために、全ての授業を英語で行えるようカリキュラムを整え、英語が苦手な教員に対して研修を施している。私がいた大学でも、教室の学生全員がオランダ人の場合はオランダ語だが、一人でも外国人の履修性がいると、授業は英語になっていた。私も英語で授業をすることが許された。職員も全員英語が話せる。学生もそれに対応できる英語力を身に着けているのは当然である。

  •  さて、その大学であるが、経営とアカデミックは明確に区別されている。従って、教員が学内運営に忙殺されて研究の時間が削られるということがない。文科省の認証を受けるための書類作りに多くの時間が取られるなど、ありえない。

  •  経営は理事長を頂点としたプロの執行部で戦略を練り、大学運営に反映されていく。つまり「組織は戦略に従う」という態勢が確立しているのである。日本のようにシニアの教授が貴重な研究の時間を削って、経営に無知なまま大学運営に携わるというのとは大違いである。

  •  大学には博士論文を執筆中の研究員が各教授に師事している。彼らは週の時間の半分は教授の助手として、委託研究や授業代行を行い、残りの半分は自分の研究に使う。給料はフルタイムベースで民間企業と同等の金額が支払われる。この制度によって、博士を目指す学生は生活の糧を得ながら研究を進めることができ、教授たちは雑事に惑わされることなく研究に専念することができる。教授たちはいかに国際的に評価の高い論文を出すか、そして博士を何人輩出したかで評価されるのである。

  •  私がオランダで博士研究を始めたころ、経済学部には500名の博士候補者がいると言われた。そのほとんどは学外で特定の職業を持ち、自分の専門分野を土台に博士論文を執筆中の人である。私が世話になった教授は次のように言った。「つい先日も80歳の老人が博士論文を完成させて、審査に合格しました。だからあなたもやればできる!」と。

3.日本の大学に求められる本当の改革とは

  •  アメリカの大学制度をモデルにしたと思われる日本の大学制度は、明らかに手続き論に終始していて、学生や教員の質の向上に役立ってはいない。極めて官僚的と言わざるを得ない。アメリカでは、プロボスト(Provost)と呼ばれる学長補佐集団が付いているから教員に余計な仕事をさせずに迅速にことが進むのである。日本ではこの仕事がすべて教員に覆いかぶさっている。

  •  ではそもそも日本の大学に何が必要なのか。それは戦略(ストラテジー)という言葉に尽きる。日本の大学が世界の学生たちに「行って学びたい」と思わせる存在になるには、何をしなければならないかだ。

  •  すぐにでも断行しなければならないのは、「英語での教育」である。かつて英語が苦手と言われたフランス人、スペイン人、ドイツ人などでも、若者はEUという大きなくくりの中で、今や英語が出来なければ良い職に就けないとして、英語学習に励んでいる。博士課程の学生に至っては、例外なく何ら不自由なく英語で論文を書き、学会発表をこなしている。ヨーロッパのみならず、世界中の学生が英語で研究し意思疎通できることが大前提になっているのだ。

  •  日本でも成功例はある。国際教養大学、立命館アジア太平洋大学、国際基督教大学などは多くの留学生を受け入れ、国際色豊かな大学として人気を博している。日本人高校生も、英語で授業をするという点に魅力を感じ、応募者が多い。彼らは、世界中でキャリアを積む機会を得るのみならず、卒業後修士あるいは博士という道も考えた時、選択肢が世界中の大学院にあるのだ。

  •  さて、日本において英語で授業をするという制度が定着しないのは、とりもなおさず教員の抵抗が強いからだ。長い年月日本語だけで授業を行い、論文を書いてきた教員たちにとって、天と地がひっくりかえるほどの要求には違いない。しかし、世界は待ってはくれない。

  •  とは言っても、英語が出来ない教員を一気に解雇する訳にはいかない。様々な縛りを設けて仕向けるとともに、次善の策として、大学経営陣と文科省は、英語で授業をする教員に対して優遇策を施すなど、英語授業化への積極的な施策を喫緊の課題として実行すべきである。

  •  更に根本的な課題として挙げられるのは、大学経営に戦略的思考を導入するために、経営陣の刷新を行うことである。狭い学問領域の中でしか生きてこなかった学部長、学長、理事たちを、国際企業経営経験のある経営のプロに代えることである。それらの経営陣には、世界の大学の動向、研究者の仕事ぶり、学生の人生観などを徹底的に分析せしめ、加えて研究費や奨学金の確保のための新たな資金調達方法を検討・実行させることとなる。

  •  日本には国際性を身に着けた経営者がたくさんいる。大学で活躍してもらおうではないか。

  •  そして、現在の「重箱の隅つつき」的な大学認証制度は廃止するべきである。文書主義はもう止めよう。

  •  経営は「成果」を挙げることを主眼に行われなくてはならない。その成果とは、英語による論文発表と、大学の「国際評価」に他ならない。

#日経comemo


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?