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戦中生まれの父と、LGBTQ

小さい頃から喧嘩ばかりして、水と油のような父と私だった。
短気で喧嘩っ早く、プライドだけが高くて気が小さい。
気に入らないとすぐに手が出てすぐ怒鳴る。
大人になり和解したと思ったらまた口論して、結局私たちは似たもの同士ということなのだろう。

数年前、その父がアメリカへ遊びにきた。

ちょうど6月はLGBTQプライド月間で、計画したわけではないが、ボストン、ニューヨーク、ワシントンDCと私たちが行くところでパレードに当たった。
戦中生まれの父は例に漏れず保守派で、パレードを見たらどうなるのだろうと危惧していたが、当時の夫と仲良く二人でその人混みを歩いている。夕暮れの街は人で溢れかえり、通り過ぎる人たちの顔も幸せそうだ。
私たちは父にレインボーフラッグの説明をしたり、なぜこういうことがアメリカで行われているかを話した。あちこちで男たちが、女たちが、手を握り合い、キスをして、抱擁している。

父は小学生の頃から両親の酒屋を手伝い、青春時代もそこそこに、母と結婚して二人の娘の父になった。
祖父母とも同居していたので父の肩にはどれほどの重圧がかかっていただろうと思う。
自由奔放すぎる私のような娘を持ち、理解にも苦しんだはずだ。

目の前を賑やかに通り過ぎる人たちを、父はじっと眺めていた。
父がふと、感慨深い顔になった。私は一瞬不安になり、どうしたのかと聞くと、こう言った。

「自分がもし20代でアメリカにいてこういう経験をしていたら、全く違う人生になったのかもしれないのになあ」

その父の前を、陽気な人々が「ハーイ!」と声をかけながら通り過ぎる。
次から次へと、父の前を通り過ぎる。人と人の間から見える父の顔は、そういう人生を歩めなかった自分を悔いているような表情だった。

とりあえず、美味しいラガーでも飲みに行こうと誘い、
今が一番幸せだと思えるくらい、いい思い出を作ってやるぞと私は決心した。


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