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社会人16年目が1-5年目くらいの学びを振り返ってみたらうるっときた

ども、しのジャッキーです。2022年にじっくり取り組もうと思っている課題図書がいくつかあります。その一つが「独学大全」です。788ページというかなり分厚い一冊です。2021年は「世界標準の経営理論」に5ヶ月ほどかけてじっくり読んで非常に有益だったので、その2022年版の一つです。

本書は、タイトルにある通り、独学のための55の技法が紹介されています。前回の記事では技法1-5からの学びをまとめるといいつつ、技法1からの学びをじっくり書くことになりました。そして、今回も技法1の深堀記事となります。

技法1-5

1.やる気の資源を掘り起こす「学びの動機付けマップ」
2.学びの出発点を見極める「可能の階梯」
3.学びの地図を自分で描く「学習ルートマップ」
4.未来のミニチュアを組み立てる「1/100プランニング」
5.重い腰を蹴っ飛ばす「2ミニッツ・スターター」
独学大全

前回記事

1.やる気の資源を掘り起こす「学びの動機付けマップ」

一つ目は重たいテーマです。そもそも自分が「学ぼうと思ったのはなぜか?」を振り返り、その出来事がどんな影響を自分に与えたのかを見える化し、それぞれの影響の評価とその理由づけをする、という技法です。

この技法を活用するにあたって「自分が学ぶ動機となったことは何か?」という問いに対して書き散らかしたメモが以下です。

過去4回の振り返り

1回目の記事では、上記の一番あたまの中学受験について書きました。ということで、私の学びの原点は中学受験にあり、その経験から、

自分の周囲の環境が変化したとき、道を定め、学ぶことで望ましい環境は勝ち取ることができる

という考え方を私の心の奥の方に埋め込んだのだと確信した、という話を書かせていただきました。

そして、2回目の記事では、中学受験で入った中学でいきなり数学と英語で赤点を出したときに、担任&英語教師の先生から言われた以下の言葉が、へこんでいるときの元気の素になっていることをご紹介しました。

篠崎君、大丈夫。これからは上に上がっていく以外ないから。

3回目の記事では、大学時代の友人の「本を読み、知った世界に飛び出していく。本の中の世界と現実の世界の行き来によって、世界がリアリティを持つ。」という姿を見て以下の学びを得ました。

学びとは、実践を通して初めてリアリティへと変容する。
そして、リアリティこそが人の魅力の源泉である。

4回目の記事では、学位・修士論文のときに、研究に使った手法をドキュメントにして研究室に残してきた経験から、以下を学びとして抽出しました。

経験からの学びは、形式知にすることで成長スパイラルの軌道にのせられる

社会人1-5年目くらい

さて、やっと学生時代も終わって社会人に突入しました。社会人になってからの学びの原体験はなんだろうか。2007~2012年くらいにあたるメモが以下となります。

正直いって、入社3年目くらいまでは、仕事以外での勉強ってどんなことをしていたのかあまり記憶がありません。会社の同期でバンド組んで遊んだりしていた記憶はあるんですが(苦笑)

音楽と記憶がセットになってること

なぜか不明なのですが初めての海外出張の機内で、レッド・ツェッペリンのアキレスの最後戦いを聞きながら、北方健三の三国志の最終巻を読んでいたのをよく覚えてるんですよね。この曲の雰囲気が、三国志の戦闘のシーンと妙にシンクロして、1曲リピートにして、機内という異常空間で読みふけっていた気がします。

たぶん、2010年くらい、某アメリカベンダーの機器が結構な規模で入った入札を担当していて落札したことによる、そのベンダーによるプライベート展示会へ、といういわゆるご褒美出張でした。ボストンだったなー。

しかし、海外出張はじめてだし、英語が特別できるわけでもない。そのときは超ドメスティック営業でしたし。上司には、「しっかりレポート提出するんだぞ」といわれ、真面目だった私は、ガチガチに緊張していた気がします。

まったくもって学びの記憶じゃないですね。しかしながら、私はいろいろなことを、音楽を聴きながらというのが学生時代から常態化しています。

なので、結構、記憶と音楽がセット記憶されていることって多いです。2018年ごろのノルウェー出張は、大橋トリオの「タイミング」

2013年ごろのBBTの問題解決思考の課題を解きながらファミレスにこもっていた時のキム・ウリョンと45トリオの「Try again」

2006年ごろ修士論文を書いていたときのSpecial othersの「AIMS」

海外のお仕事をするようになった社会人4年目

そうそう2010年、社会人4年目を迎えるタイミングで、急に上司から呼ばれて、いったこともない本社のフロアに連れられて行ったら、英語の打ち合わせで、「なんじゃ、こりゃー」って思っていたら、「これから、おれ、海外の仕事やるんだけどさ、篠崎くんもやる?」って言われて、「え?あ、はい」って言ってから海外の仕事やるようになったんですよねー。

プロフィールにもかいていますが2010~2015年くらいが海外販促だったり現地法人支援だったりと海外にかかわるお仕事をさせていただきました。なので、このころは必至で英語の勉強してた気がします。といってもなんとか、ホワイトボードコミュニケーションができるくらいのレベルですが。

一番長かったのが1.5年くらい対応した中国天津市の案件だったので、そのころは中国の歴史とか、中国語とかを勉強したり、次に長かったのが1年弱担当した韓国だったので、そのときは韓国語の勉強したり、なんかそのときどきの地域の勉強を上司の影響もあってしていた記憶があります。

一つ、この中国時代は大きな転機がありました。まず、2010年に結婚して、2012年は子供が生まれました。このときのことはかなり、以下の記事にかきました。ようは子供がうまれて、なんか急にキャリア危機をかんじました。おれ、こんなんでいいのかなぁ。と急に不安になったんですね。

そんなこんなで、記事に書いたとおり、社外のセミナーいったり、ネットワーク広げたり、異業種交流会を運営してみたり、といったことをして、人脈が広がる中で、いろんな人から影響を受けました。

100冊に1冊の名著

そんな中の一人のR.Y.さんから100冊に1冊の名著としておすすめされたのが「V字回復の経営/三枝匡」でした。まぁ、これまた、以下の記事で書いたんですが、これがきっかけで、「経営」というものにとても興味を持ちました。そんなこんなで、BBT(ビジネスブレイクスルー)大学院のMBAを働きながら通うことを検討して、ひよって、まずは科目受講しました。

ここらへんから、日々学ぶことが習慣化された時期です。2012年くらいからだったんだなぁ。もう10年、まだ10年というべきか。

そんなか、韓国の案件を担当するようになたタイミングで、当時、現地事務所だった韓国事務所が、韓国法人へ変わりました。そのときの上司は韓国人の方でした。現地法人になる、ということで、現地法人としての事業計画・事業戦略・新規事業などを考えるべきだ、といった話を言われたのか、自分が勝手にそう思ったのか、よく覚えていないのですが、新規ビジネス立ち上げ、というミッションはあったのは確かだとおもいます。

ときは、2012年ごろです。「ビジネスモデル・ジェネレーション」「リーン・スタートアップ」といった新事業開発の定番書籍が出版された時期でもありました。いま思えば、だから新規事業だ!という機運があったのかもしれません。

ビジネススクールでの学びを生かすチャーンス!とばかりに、戦略とは何か?とか逆算思考でなんちゃら、とか、リーダー戦略かニッチャー戦略か、とか、ミッション・ビジョン・バリューはなんだー、とか学びたての内容で資料を作ってみては、現地法人の人に「こいつは何をいってんだ?」とけむ高がられた記憶があります。若干ネガティブ脚色されているかもしれませんが。

なんかホテルの壁に、模造紙を貼り付けて、それをビジネスモデルキャンバスにして、付箋をペタペタ貼りながら、社内のセミナーで聞いた商材のビジネスモデルを一人検討したり、していた記憶があります。

あのころは、一人空回りしていたのかもしれません(苦笑)

異動という転機

そんなこんなしているうちに、何一つ実際の活動に落とし込まれないうちに、所属していた事業部門の組織解体があり、私は、韓国法人の担当からはずれて、別の部門に配置換えとなりました。

あのときのいたたまれない感じ、忘れられないですねぇ。「ええーい、いっそ異動してやる!」と思ったら、当時の上司からの置き土産だったのか、そのタイミングで昇格させていただきました。

うちの会社は、社内公募制度がしっかり機能していて、上司などに伏せたまま、異動活動ができます。しかしながら、昇格したタイミングは1年間それができないんですね。いまはどうかしらんですが。そこで、腹をくくりまして、しばらくの間、経営とか新規事業のこととか忘れて、異動先の商材の海外販促・現地法人支援に徹しました。

といいたいところですが、そのタイミングで、BBTでマーケティング概論ってのを学んでいるところだったので、「よし、この商材のマーケティングをしてみよう」と思いました。

当時まだまだ、顧客から提示された仕様をもとに開発する請負体質が強かtったです。そして一度作った製品をプロダクトアウトする。競合製品を出しているベンダーのIRの資料とか、業界レポートとかを読んで、同じ指標で横並びに売上やら利益率やらを推定して比較してみたり、どういう機能がオプションであるのかとかを並べてみて拡張性などの差はなんなのか、とか。そういった、まぁ、当たり前っちゃー当たり前のことをしたり。

いちいち、開発者やエンジニアの人に聞いて回らないとできない見積作業を、入札仕様をいれたら大体自動で見積構成が作れるようにするエクセルを作ったりして、おかげで、半年で500パターンという鬼のような見積ラッシュを経験することになったり。

なかなか、精神的にも体力的にも鍛えられる経験をしました。おかげで、その商材で海外初受注に貢献することができました。

こうして、無事落札が確定したタイミングで、けっこう燃え尽き感を感じて、「そうだ、異動しよう」と思い出したかのように思ったのでした。

さて、なんか本記事、収拾がつかなくなってまいりました(苦笑)

入社5年間からの学びの原体験を振り返って

ということで、今回、学びの原体験としては、やはり、そのときどきに求められることを愚直にやる。これが私のそのころのスタイルだったなぁ、と思いました。これは私自身、川下り型のキャリア観と呼んでいるものです。

そんな風に、ときどきの環境に求められる学びを実行していきて、10年がたったんだなぁ、とちょっと感慨深いものがあります。やっぱり10年って聞くとちょっと重みを感じますね。とくに、昨年はチームを持つようになって、長年自分のスタイルだと思っていた川下り型から、航海型のキャリア観にステップアップしました。

先日、以下の記事でこんなことを書きました。まぁ、10年たって、やっとちったー、器からあふれてきましたかねー(苦笑)と思った社会人16年目、そろそろ40歳。不惑にはほど遠いですが、多少の成長実感を大切にしたいと思います。

「あぁ、全然だめだなーおれ」と思うときは、自分はきっと器がめちゃめちゃでかいんだ。だから情報や知識という水をいくら注いでもまだまだアイデアや発想が溢れないだけなんだ。溢れ出せばきっと、やばいことになるんだ。そう、自分は大器晩成なのだ、と言い聞かせております。

おわりに

以下の実践「独学大全」というマガジンにこういった記事をまとめているので、もしよかったらのぞいてみてください。本記事への「スキ」やアカウントのフォローをしてもらえると励みになります!

「形のあるアウトプットを出す、を習慣化する」を目標にnoteを更新してますしのジャッキーでした。

Twitter: shinojackie


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