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新メニュー

新風菜館は馬喰町の外れにある地元に愛される中華屋であった。最も人気なメニューはあんかけ焼きそばで、ここでしか食べられないとわざわざ町外からも客が訪れるほどの味だった。
昼時になり、混雑した店内に電話の呼び出し音が鳴り響いた。新風菜館の店主である春田は包丁を置いて受話器を取った。
「あい、こちら新風菜館」
「もしもし、勝台だけどね」
電話の相手は常連のおっちゃんだった。
「久しぶりだね、最近顔見せないけど」
以前はよく食べにきていたのに、長い間顔を見ていなかった。
「それが足腰を悪くしちゃってね。遠くていけないんだよ」
「そうだったんだ。ずっとご無沙汰だからもう顔も名前も忘れるとこだったよ」
軽口を叩くと、勝台のおっちゃんが「ひでぇなあ」と笑った。カウンターで電話の内容を聞いていた常連の一人も笑った。
「でも新風菜館のあんかけ焼きそばがどうしても食べたくてさ。ほら、最近デリバリーって言うの?流行ってるでしょ。そういうのやって欲しいんだよね」
「デリバリー?いやいや、中華は出来立てが肝心。アツアツで食べるのが良いんじゃないか。そんな弱音吐いてないで、リハビリして店に顔出してよ」
面倒なお願いを軽くいなそうとしたが、勝台のおっちゃんは粘った。
「そんなこと言わないでさ。考えてみてよ、じゃあ」
そう言って一方的に電話を切った。春田は一度首を傾げた後で受話器を戻した。

「勝台のおっちゃんさ、結構重い病気みたいなんだよ」
カウンターの常連がボソリとつぶやいた。
「それ、本当かい?」
春田が聞き返すと、常連は深く頷いた。
「もうしばらく仕事にも来てないみたいだし」

他の常連にも話を聞いてみたが、深い事情は誰も知らないようだった。春田は少し悩み、勝台のおっちゃんのために宅配サービスを始めることにした。
宅配でうちと同じ味を出すためにはどうすればよいだろう。レンジで温めなおすなら、いつもより火を弱めに入れたほうがいい。味も少し濃いめに作ったほうがいい。考えだすと色々とアイデアが湧いてきて、春田は夢中になって宅配メニューの開発に勤しんだ。
新風菜館で宅配サービスを開始するまでに時間はかからなかった。使い捨て容器、配送会社も決まり、課題は全てクリアした。
一人目の客を誰にすべきかは決まっている。

「もしもし、勝台です」
「リハビリは順調?」
「ああ、店長か。うん、まあでももう少しかな」
「困っちゃうよな、店に来てくれない常連の願いを聞いちゃうなんて」
もったいぶってそう告げると、勝台のおっちゃんの声量が大きくなった。
「宅配サービス、やってくれるのか」
「そのかわり、早く元気出してよ。勝台のおっちゃんがいないと寂しいんだから」
電話の向こうでピンポーンと音が鳴った。あれはきっとうちから出した出前が到着した音だ。
「お客さんかい、じゃあ切るね」
春田は喜ぶおっちゃんの顔を想像してにやけた。すぐにおっちゃんから電話が返ってきて、興奮した声でのお礼を聞いた。

他の常連たちの反応も上々だった。
ランチによく食べに来る鳶職人は、妊娠した奥さんが家で食べられるから喜んでるよ、と言ってくれた。それに、ここに来たことのない息子さんもモリモリ食べるのだという。

常連たちが周りに宣伝してくれるおかげで、宅配の注文は絶えず入り続けた。以前よりも随分忙しくなったが、これは嬉しい悲鳴だった。

宅配サービスを始めてから一ヶ月ほど経つと、地元のケーブルテレビに紹介されるようにもなり、ちょっとした有名店になった。県外からの注文も入るようになり、従業員を新しく数人雇った。

有名になって嬉しいことばかりではなかった。ネットで悪口や文句を書かれることが増え始めたのだ。

「宅配サービスのあんかけ焼きそばは、店頭で食べるものと全然別物で美味しくない。がっかりです」
「店長が金の亡者になってしまったのが残念です。美味しい町中華だった頃は良かったのですが」
「あの店で食べるのが良いのに、どうしてわざわざ宅配サービスを始めたのか?味も全然違うし別物だと思った方がいい」
「あのお店の味が食べたくて通っていた客に失礼だと思います」
おそらくこれまでお店に来てくれていた人たちの書き込みだった。みんな喜んで買ってくれていると思ったのに、辛辣な書き込みには心が折れそうになった。
もともとは勝台のおっちゃんに喜んで欲しくて、そしてお店に来れない人のためにと思って頑張ってきたのに。たしかに味付けは店と違うが、それはお店で食べるのとは環境が違うからだ。どうしても味の調整は必要になる。
春田は批判の書き込みが光る携帯電話の画面を見つめていた。こんなことを言われてしまうなら、いっそ宅配サービスをやめた方が良いのだろうか…。


その時、携帯電話に速報のニュースが入った。春田の大好きなギンガムという漫画の実写映画化が決まったのだという。春田は舌打ちをした。
「また実写化かよ。なんで漫画の世界観を壊すようなことをすんだよ。馬鹿じゃねえの」

思いのままに書き込んだが、いつものように胸がスッとすることはなかった。

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