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余命がわかったらどうするか
気持ちの置きどころを探す朝。
故・山崎元氏のnoteをたまたま読んで、Twitterの連投をしたのでまとめてみる。
— ニンパイ (@shinobuk) January 6, 2024
「最期の日のぎりぎりまで幸福は追求できる。一方、他人はその人を過去の業績その他で評価しようとするかも知れない。実は、このズレを上手く利用することが良い人生を送るコツになるのではないか。「本人」にとって、他人からの評価は「サンクコスト」に過ぎないからだ」
— ニンパイ (@shinobuk) January 6, 2024
「いくら努力しても過去の蓄積を「本人」は将来に持ち込むことが出来ない。⁰ 過去は「他人」のもの、最期の一日は「本人」のものだ。お互いに機嫌良く過ごす上で邪魔になるものは何もない。⁰ 上機嫌なら全て良し、と思うがいかがだろうか」
— ニンパイ (@shinobuk) January 6, 2024
「ストレスを感じさせる人に近づかないことも、いいことではないでしょうか。病気で体力が落ちると、対人ストレスに対する耐性が低下するので、その分、誰とのどのような付き合いが自分のストレスになっているのかに、新たに気づくようになります。この気づきは大切にした方がいい」
— ニンパイ (@shinobuk) January 6, 2024
「現在いい具合の人もいるはずですが、SNSは総じて登場初期ほど楽しい場所ではなくなっています。
— ニンパイ (@shinobuk) January 6, 2024
X(旧ツイッター)は主張の連呼と揚げ足とりが横行する殺伐とした空間になりました。「こんなところで力んでも仕方がないのに」と思うのですが、気楽な暇つぶしが出来る場所ではなくなりました」
「経済学者ロバート・フランクの本で知ったのだが、経済学に「地位財」と呼ばれる概念がある。自分の経済的な力・地位を対外的にアピールできる財のことで、不動産、高級自動車、衣装、アクセサリーなどが典型的に該当する。近年では、子供教育などもそうかも知れない」
— ニンパイ (@shinobuk) January 6, 2024
「地位財は、その効用が相対的に決定し、他人との競争がエスカレートしやすい。その結果、地位財への支出はしばしば、非地位財への支出を圧迫し、生活の幸福度を下げる原因になる。⁰ 非地位財の典型は「余暇の時間」だ」
— ニンパイ (@shinobuk) January 6, 2024
「論文に懐かしく目を通しては、その大半を捨てる作業に取り組んだ。(略)感想は、「癌にならなくても、もっと早く、更に徹底的にこうすべきだった」ということに尽きる。価値があるのは頭の中に残った知識であり、再調達が可能だったり、Kindle化されている本については、現物を保有する必要はない」
— ニンパイ (@shinobuk) January 6, 2024
「人間関係はどうあるべきなのか。誰に対して時間を使うべきなのか。結論から言うと、自分から頼んで時間を貰い、意見なり情報なりが欲しいと思う相手を、自分が選んで時間を使う、ということに集約される。それ以外にない」
— ニンパイ (@shinobuk) January 6, 2024
この辺りまでが引用。一部、文体が変わっているのはnoteの検索で見つけた氏の別の文章からの引用部分だ。
ここからは、それを受けての自分自身のツイートになる。
「今日を人生最後の日だと思って生きる」とはよく言われることだが、実際に余命を宣告された人の日々や思考のディテールは凄みがある。がんによって余命を宣告された人でありながらがん保険を最後まで否定しているのも興味深い。
— ニンパイ (@shinobuk) January 6, 2024
もう一生分の我慢はした気がする(これは誰しもが思っていることだと思うが)。そして何か自分以外のものに気を使って、主体性を抑え込んでいる。やりたいことをやっていないというより、やりたいと思うこと自体を抑え込んでいる。バカらしいことをしていると、時々実感する。
— ニンパイ (@shinobuk) January 6, 2024
先ほどの引用にあった「地位財」的な要素を、自分では本当は興味がないのに、世間的に価値があるとされているから尊重しなければならないのでは?という思考の動きがあったことは否めない。だが突き詰めて自問すると、やはり本当にどうでもいい。
— ニンパイ (@shinobuk) January 6, 2024
社会生活の中にはこの「地位財」的な同調圧力が多々ある、というかほとんどがそれである。この本心とのギャップにこそ「社会のくだらなさ」はあるのだが、前提となる本心が人それぞれ違うため、一般化が難しい。
— ニンパイ (@shinobuk) January 6, 2024
個人的には本当はどうでもいいのに、世間で話題になっているからそれに引っ張られて感情コストをそこに使ってしまう、という状況が多いように見える。特にTwitterでは。
— ニンパイ (@shinobuk) January 6, 2024
自分は今、家庭のことに自分のコストを使いすぎなのはわかっている。それが悪いこととは思わないが、理不尽に感情的な要求を受けることもあり、それについては大変に不快に感じ、この状況がなければいいのにと思うこともある。
— ニンパイ (@shinobuk) January 6, 2024
それは偽らざるところである。
— ニンパイ (@shinobuk) January 6, 2024
子どもにとってもよくない姿勢に違いない。
— ニンパイ (@shinobuk) January 6, 2024
先ほどの「地位財」という言葉を補助線に使うと、地位財的な価値観を自分は望むのか?についての判断がNOであれば徹底的にそこの観点でジャッジしていく、みたいなのがいいだろう。できる人と思われたい?賢く見られたい?誰に?なぜ?とやっていくと、その中身は実はスカスカなのである。
— ニンパイ (@shinobuk) January 6, 2024
「こういうのがカッコいいと思う」と「こういうのが今はカッコいいと言われることである」は別物なのだが、ここをちゃんと区別することは難しい。後者は人気投票であって自分の気持ちではない。
— ニンパイ (@shinobuk) January 6, 2024
「いい人」とは「流されがちな人」のことで、軋轢や摩擦があっても負けずに打ち出す自己そのものがない人、あるいはそこを押し殺すことに慣れてしまった人のことだ。
— ニンパイ (@shinobuk) January 6, 2024
補足も書けなくはないが、補足が蛇足になりそうなのでやめておこう。詳細かどうかはさておき、書きたいことについては大体書いている。
受け入れるべきことと受け入れるべきではないことがある、と思う。
そしてこれは「余命がわかったらあなたはどうする?」という話でもある。今とまったく同じペースで何も変えないだろう、という人もいるかもしれないが、さすがに少しは片付けを急いだりするのではないだろうか?
また、極端な路線変更をするだろうという人、それはあなたの本心かもしれない。実際に行動に移すかどうかはともかく、こういう大掃除のような思考実験は悪くない。ひと通り確認できたら、また日常に戻ればいい。
やぶさかではありません!