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言葉を取り出して眺めることの意味

わたしは、何かと文章にしてまとめて、眺めることが多い。というか、そうすることが好きだ。

幼い頃から、何か物語を勝手に作ってノートに書いてみたり。
確か、小学校2年のときの学芸会の脚本(とまでは言えないけど)も書いたような気がする。
勉強もノートにまとめるのが好きだった。
社会とかで新聞づくりをしたりするのもすごく好きだった。
高校の時は毎日の出来事を手帳に書いていたような気がする。

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書くことの機能ってなんなんだろう。


*書く前
書く前のことを考えてみると、どこか高揚したような感覚がある。何か書きたい思いが自分の中に渦巻いているような。その高揚感の意味を知りたくて私は言葉を書き始めるのかもしれない。

*書いているとき
書いている最中は無心になれる気がする。
無心に頭の中のものを取り出し、ただただ目の前の紙に記していく。
まさにマインドフルネスだ。
マインドフルネスの中にもジャーナリングといって、頭の中にあるものをひたすら書き出すという方法がある。物を書くことはそれに近い感覚がある。

*書いたあと
書いたあとは眺める楽しみと満足感がまずある。
自分の頭の中にあった形のないものが、目に見える形になって出会う嬉しさだ。
そして、それをしばらく眺めることで、まとまった形になってもう1度自分の中にすっと入ってくる、入りやすくなる、そんな感覚がある。
まとまったものを見て、頭の中にあったある事象を再度理解し直すということなのかもしれない。理解し直すことで、その事象の新たな側面にふれることもある。

つまり、これも今書きながら気づくことだが…
頭の中にあるものを一度取り出して、眺め、新たな気づきを加えて、また頭の中に戻す。
これはある意味、自分に関心を持つこと、自分を大切にすることと同様なのかもしれない。
普段放っておけば、すーっと流れていく感覚、思考。
それをじーっと見てみる。これはマインドフルネスで自分の体の感覚や呼吸に意識を向けることにも似ている。

あなた、こんな考えを持っていたのね
あなた、こんな感覚を持っていたのね
知らなかった
おもしろいね
新しいあなたに出会えたね

そんなかんじで、好奇心を持って、自分のことを眺められる。

言葉を取り出し、眺めることは自分を大切にすること

わたしにとって。

これは、なにも言葉だけでなくてもいいと思う。
人によっては、アートで表現する方もいれば、
そのまま体の感覚として感じる方、
いろんな方がきっといるのだと思う。

どれも、自分を大切にすることにつながるのであれば、どんな人も続けていけるといいなぁと思う。


ちなみに、うちの娘にも最近、絵日記帳を買ってあげた。


まだまだ上手いとはいえない文章の中にもしっかりと
強い気持ちが表現される。

「ままとぱぱに見てほしいよーーー」

娘が寝てから…つぎのおやすみに、さがあがりみにいくね。とメッセージを書いた。
それを次の日見た娘は、すごく嬉しそうな顔。

顔を見て言葉を交わさなくても、通じ合えることもあるのだなと。

そう思うと、
誰かが読むかもしれない場所に書くこのような言葉も、会っていない誰かの心に届くことがあるかもしれないと思うと、なんだかすごいことのように思える。

加えて、カウンセラーとしては、対面のカウンセリングだけにこだわることもないのかもしれないと思う。
もちろん、対面できちんとお会いして、お話しすることが必要な人だっている。だけど、そこにこだわりすぎることが、その人のいちばんの心の表現のしやすさをじゃましているかもしれない。

わたしは、言葉にすること、書くこと、が適しているけれど、
相手は、どんな方法が好きなのかな?得意なのかな?

そんなこともきちんと見ながら、相手にとって心地の良いやりとりの場をLe:selfではつくっていけるといいなと思う。






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