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当たり前に優しくあること、を忘れぬようにと願いながら

人生でもっともがむしゃらだった時期、というのに思いを馳せることがある。わたしには大きく三度、そういう時期があって、それぞれが自分の生き方や価値観を形成するのに十分すぎるほど効果を発揮していたのではないかと思う。

そのうちの一つは、21歳〜22歳の頃に訪れた。株式会社MOLTSというデジタルマーケティングエージェンシーでの仕事に携わっていたときの話だ。2016年当時、創業したばかりのMOLTSは、3名のメンバーで構成されたごく小さな会社だった。

携わることになったきっかけは、本当にささいなもの。Twitterでこんな投稿を見つけたのがすべてのはじまりだった。彼のツイートを知った背景は今でこそもう覚えていないが、たまたまリツイートかなんかで流れてきたとか、そういうものだったと思う。

気づけば7年前のできごとだった模様

当時、わたしは学生としてデザインを学ぶ傍ら、フリーランスのライターとして活動を始めていた。ただ、業界のことも知らなければ、誰かに文章を学ぶ機会があったわけでもない。手探り状態でフリーランスというキャリアを歩み始めていた。

「いきなりフリーランスなんてすごいね」と、当時を知る友人は、わたしの決断を称賛してくれることがある。勢いがあったからこそできたものだったけれど、もちろんある程度の不安はあった。学ぶ場所が欲しかった。

そんな矢先に、このツイートを見かけたのだった。なにかのセンサーが働いたようで、速攻でリプライを送信。すぐさまDMをもらって、2日後にはMOLTSで少々働くことが決定した。業務内容は決まっていなかった。なんでもやるらしいということだけ知った。


MOLTSには、約2年間在籍した。よく言えば成長環境、わるく言えば地獄。そういう2年間だった。というのも、MOLTSは創業当時から”Result Driven.”という考え方を採用しており、成果を出さない人間にはとことん厳しいスタンスを取っている。

この考え方は、わたしを含めて、MOLTSに関わるメンバー全員に適用される。徹底的に成果主義であり続けるので、成果が出ていないメンバーの一人だったわたしは、ジョイン早々、ミーティングでこわい思いをすることになるのだった。

そもそもMOLTSは「本当は一人でも生きていける奴らが、 それでもMOLTSでやっていく。 」をベースに採用活動をしているので、これまでのキャリアで成果を出すことができてきた、超優秀なメンバーしか在籍していない。そんななか、なにも知らない学生が一人で突っ込むのだから、そりゃあ大怪我をするに決まっている(のだけれど、当時はそんなことに気づいていない)。

成果を出すためには質を量でカバーするしかなく、とにかく働いた。8時から16時まで学校に通い、17時から日付が変わる0時頃までオフィスに出勤。ギリギリまで働いたあとはダッシュで終電に飛び乗り、自宅へ帰る。その繰り返しだった。

明け方4時を迎えた頃に突如送られてくる「進捗どうなってんの?」「すぐに連絡しろよ」というメッセージには、吐き気を催しながらも、なんでもないふりをして返信。「絶対に成果を出してやる」という強い決意によるものだった。苦しければ苦しいほど、乗り越える喜びが大きいと思っていた学生による、最大級の強がりだったといってもいい。

たかだか「お手伝い」程度の温度感で携わった学生ですらそういう環境だった。フルコミットしていたメンバーは、それよりも過酷な状況だったということだ。ほとんどのメンバーは朝っぱらから稼働していたにも関わらず、わたしが帰宅するときにもまだオフィスにいた。日によっては、休憩スペースで寝泊まりしているメンバーもいたくらいだ。

創業期を走り抜けるメンバーたちのバイタリティはすさまじい。一人ひとりが夢中で働いていたし、成果を出すために本気だった。MOLTSで働くメンバーの姿から、わたしはこの業界で働くことの厳しさを教えてもらったのだ。

そんなわけで、来る日も来る日も仕事に明け暮れていた人間ばかりだった当時のMOLTS。時間的にも、精神的にも、ずいぶんと追い込まれている人が多かったと思う。実際、すごく余裕のない様子で通知が鳴り止まぬPCとにらめっこしているメンバーを見かける機会も少なくなかった。


さて、ここまで読んでくれた人は、今、MOLTSに対してどういうイメージを抱いているだろうか。少なくともわたしは、あえて社名を出して公開するくらいには大切な存在として認識している。ハードワークではあったけれど、今のキャリアにつながる学びをとことん得られた。なにより、そんなことがどうでもよくなるくらいに尊敬する人にも出会えたから。

それは、MOLTSで働いていた、二人の編集者だった。一人は、わたしがをMOLTSに携わり始めたとき、すでに三人目のメンバーとして働いている人だった。もう一人は、それから数ヶ月後にジョインした人。人間性はまったく異なる二人だったが、わたしは彼らから受け取った恩恵を、数年経った今でもふとしたときに思い出して暮らしている。

前者の人をAさん、後者の人をBさんと仮に定義する。わたしにとって、人生で初めて出会った編集者であるAさんは、編集者としてあるべき姿をよく示してくれている人だった。

たとえば、わたしがとある記事の執筆で煮詰まっていたとき。同じプロジェクトにアサインされていたわけでもないのに「趣味だから」といって、時間に関わらずいつだって編集を入れてくれていた。その編集はいつも的確で、シャープで、美しかった。

そのうえ、与えてくれるフィードバックはすごく広範だった。良い記事とはなんだろう、どういう目線を持てばそれは叶えられるのだろう。そういった抽象的な概念から、具体的な記事としての書き方まで、彼から学んだことはあまりに多すぎる。

その次に出会ったBさんは、同じプロジェクトにアサインされていた人だった。Bさんとわたしのほぼ二人でとある案件を進めていたので、コミュニケーションを取る機会が多かったのだけれど「いったい、どこにその余裕があるのだろう」と思うくらいには、常に人を思いやる気持ちのある人だった。

仕事の進め方のような案件全体の相談から、文筆にまつわる細かな相談まで。彼を頼れば常に力になってくれていたし、そのアドバイスの方法があまりに精巧で、ユーモアであふれていて、助けてもらうたびによく泣いた。

悩んで震えていたとき、こういう切り返しに幾度も救われていた

二人の共通点は、目の前で悩んで困っている人がいるとき、絶対に気づかないふりをしないことだった。どれだけ本人が忙しくても、苦しい状況に置かれていても、それを、少なくとも後輩には見せない。平気な顔をして、さらりと助ける。そういう愛を教えてくれた。

そんな彼らの思考や意識を少しでも知りたいと切に願い、MOLTSに在籍していた頃には「編集者として読んでおいてよかった本」というのをレコメンドしてもらったこともある。以前公開した下記のnoteは、彼らへの伝えきれない感謝の意味を込めて書いたものでもあった。

休日に容赦なくこんな連絡を送りつけるような気の使えない学生だったわけですが、当時のMOLTSは本当に良い人揃いでして(最近のことは知らない)。めちゃくちゃ丁寧にレスポンスをいただきました。

『【私のための保存版】ライターになりたての頃、先輩編集者に教えてもらった“読んでおくべきイチオシ本”』より

人になにかを薦めるという行為は、その選定対象に思い入れがあればあるほど、難しいときがある。つい時間をかけて考えてしまったり、どう伝えようかと悩んでしまうことがあるものだから。それにも関わらず、彼らは5冊を超える書籍を「しのちゃんにおすすめするなら」という観点で、ひどく丁寧に選んでくれていた。

その後にわたしが書いた書評まで読み、わざわざメッセージでコメントをくれたくらいだ。あれほどの忙しさで日々を駆け抜けていた彼らの、いったいどこにそんな余裕があったのだろうかと思う。

それを「趣味だから」くらいの余裕で成し遂げる二人の編集者は、わたしにとってはヒーローそのものだった。自分はいつかそんな大人になれるのだろうかと、22歳の学生だったわたしは、将来を危惧していた。


あっという間に月日は流れ、わたしは27歳になった。同時に、あることに気がついてこわくなった。当時、焦がれるほどに憧れさせてくれたあの二人の編集者は、そのとき27歳だったのだから(年齢が人格を構成する大きな要素だなんてこれっぽっちも思わないけれど、少なからず比較くらいしてしまう。わたしはそういう生き物だ)。

「わたしは、彼らほど大した人間になれているのだろうか?」そのこたえは、否だった。自分にそんな丁寧さがあるとは思えなかったし、やさしさや余裕が品切れすることだって少なくない。そんな自分に嫌気も差していた。

もう少しだけきちんとした人間になれたらと思うたび、あのとき出会ったヒーローの姿を頭に思い描く。小さなできごとからすぐに思い悩むところも、他人の言動や行動からいちいち深読みしてしまうところも、一度悩み始めたらずいぶん引っ張るところも、自分の理想の大人からは外れていて、それに気づいてまた考え込む。そういうループに陥ることが間々ある。

けれど、最近になって、その考えに少しだけ変化があった。友人がこんな話をしてくれたのだ。

友人の名前を、三坂という。彼は、大切な友人であると同時に、現在は大学生であり、就活生という立場で社会と向き合って生きている。彼とは日頃からありとあらゆる話題の話をするが、彼の就活事情について教えてもらったり、悩みを聞かせてもらったり、ということも多い。

わたしは、いわゆる“新卒カード”とやらをとっとと放棄して社会に出た人間なので、彼の苦しみや悩みに対する理解度が高いわけではない。それでも、彼は自身の志望する業界に近しい人間の一人として、わたしのことを頼ってくれたり、思いを吐露してくれたりしていた。

就活経験者としての共感こそできなかったけれど、彼の話は十分理解ができたし、多少なりとも彼の考えに共感できた。就活という厳しい戦いに取り組む友人の気持ちが少しでも安らげばと思っているし、親しみ深い業界にいる人間として役に立てることがあるのなら有意義に使ってくれ、という思いで普段から彼とは接している。

そんな関係性なので、僭越ながらという気持ちではあるが、尋ねてくれた質問に対してこたえてみたり、彼がこしらえた就活用の課題に対してクリエイティブの目線からほんの少し提案をさせてもらったりしていた。そのわたしの行動は、彼の目にこう映っていたらしい。

 さて、彼女の本業は、当然仕事であり、生きていくことである。ぽっとでの学生に、業界に関する情報を提供したり、企業に提出する課題のアドバイスをしたりすることでは断じてない。
 ただ、そんなぽっとでの学生に、自分の時間も手間もそっちのけで優しくしてくれる編集者を、1人の社会人を、私は知っている。

 彼女は私の相談に乗り、自分の時間を使って、とても私のことを考えてアドバイスをくれ、時には悩みの解決の種だとかを、一緒に探してくれていた。「私マジ優しいわ~」なんて言われながら。

 優しくない世界だが、だからこそ、そういう人間の優しさは、際だって見える。

『世界がそんなにも優しくないのなら、僕が優しい大人になろう』より

ただ単純に驚いた。「私マジ優しいわ~」だなんて言っておいてなんだと言われそうなものだけれど、優しさによる行動ではなかったのだから。正しくは、自分にとってごくごく当たり前の行動だったから。話を聞いたり、対話をすることで今よりも好転する事象があるのなら、そのために時間を使うことになんの違和感もないし、それが優しさだと思ったこともなかった。

それでも、友人はそのわたしの行動を「優しさ」だと表現してくれた。それが本当に嬉しくて、公開からたった三日しか経過していないのに、このnoteをたぶん20回は読んだ。読むたびにしあわせをもたらしてくれる、とっておきの宝物になってしまった。

学生だった頃の自分が「いずれこうありたい」と願った大人になれている自覚は、正直なところまだない。それでも、誰かにとっての「こいつ、悪くないじゃん」という存在になれているのなら、その事実自体をありがたく受け止めて、少しの自信にしてもいいのかもしれないと感じられたできごとだった。


わたしは、できることなら人に優しくあれる人間でありたい。周りの世界を優しく照らすことのできる人間でありたい。そして、それは簡単なことじゃない。

けれど、自分にとってのごく当たり前の行動や言動が、誰かにとっての優しさになることを教えてもらえたから、せめて、それだけは忘れずにいられる人間でありたいのだ。

自分の拙い人間性に辟易とする日もあるけれど、少なくとも、誰かが認めてくれた優しさとやらくらい、大切に残しておける人であり続けていたい。そうして、願わくば、いつかはわたしを支えてくれた二人の編集者みたいに、スマートな優しさを持てたらと淡い望みを抱きながら。



校閲 - koki

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