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19世紀の異端科学者はかく語る:宗教(2)

1月7日からカクヨムでスタートした19世紀の異端科学者はかく語る:人生を楽しむ方法(原題:The Pleasures of Life)、第二部を始めました。noteでは、訳者の主観で「感想と解説」を投稿しています。

第一部

第二部


宗教(2)

note編、前回

今回は、キリスト教神学以外の異教徒・哲学者たちの「神の定義」について。
ソクラテス、エピクテトス、マルクス・アウレリウス、プルタルコスらの言葉から一部抜粋して紹介します。

世間の人たちかみが目指す名誉を捨てて、ただ真実を知り、できるだけよく生き、時が来れば死にたいと望む。そして、私の力の及ぶ限り、他のすべての人間にも同じことをするように勧める。(中略)
これは、人生・生命の戦いであり、地上のすべての争いよりも偉大な戦いだ。

ソクラテスのカリクレス

死があなたの上にぶら下がっている。今この瞬間にも生から離れる可能性があるのだから、生きている間、力のおよぶ限り、善良であれ。

マルクス・アウレリウス

もし神々が存在するなら、人の世界から離れることを恐れなくていい。神々はあなたを悪に巻き込まないのだから。
しかし、もし神々が存在しない、あるいは人間の問題に関心を持たないなら、神々のいない「摂理なき宇宙」で生きることに何の意味があるのだろうか。

マルクス・アウレリウス

神性とは、金銀を祝福するものではなく、雷や稲妻による全能の力でもない。知識と知性ゆえに祝福される。

プルタルコス

すべての自然が罪を見ている。森の精霊、太陽、月、風、空の天球、固い大地、死者を裁く強大なヤマ、意識ある魂だ。

トイチャートのヴィータ

神々が存在しないと考える者は犯罪者だ。
だが、迷信家が信じるような存在だと考える者は、限りなく残虐な観念に取り憑かれているのではないか?

プルタルコス

もし私が神だとしたら。
「プルタルコスは不安定で気まぐれで怒りっぽく、ささいなことで復讐したり、小さなことで悩むやつだ」と言われるくらいなら、「プルタルコスはいない。昔も今も存在していない」と言われる方がずっとマシだ。

ソクラテス、エピクテトス、マルクス・アウレリウス、プルタルコスは有名すぎるため、著書未読でも名前くらい知っています。

しかし、東方のモラリスト『Toy Cart』のVitaが一体誰なのか、さっぱりわからなくてお手上げです。検索しても、Toy Cart→幼児用カート、Vita→ポータブルゲーム機が出てくるばかり。
ラボックは19世紀の人ですから、今はスペルが違うのかもしれません。情報求む。

今回は個人的に、ローマ五賢帝のひとり「ハドリアヌス帝の辞世の句」と、イギリスの名門貴族「バッキンガム公の墓碑銘」に注目したい。
翻訳前の原文はラテン語です。翻訳がんばった!という意味で感慨深い.。

Animula, vagula, blandula
Hospes, comesque corporis
Qua nunc abibis in loca:
Pallidula, rigida, nudula,
Nec, ut soles, dabis jocos.

ハドリアヌス帝の時世の句

Dubius non improbus vixi
Incertus morior, non perturbatus;
Humanum est nescire et errare,
Deo confido
Omnipotenti benevolentissimo:
Ens entium miserere mei.

ウエストミンスターにあるバッキンガム公の墓碑銘

冒頭で、「無節操に生きてきたわけではないが(以下略」と言ってるのは、どの時代のバッキンガム公でしょう。

noteで紹介している内容はほんの一部です。
詳細は、本編をご参照ください。



\アレクサンドル・デュマ・フィスの未邦訳小説を翻訳しました/


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