見出し画像

難病ALSと、生死のはざまで

ALS患者に薬物を投与して死なせたと、2人の医師が逮捕されました。

2018年末に母をALSで亡くしたせいか、関連する話を見かけるとつい読んでしまいます。

ALSとは筋萎縮性側索硬化症のこと。
運動ニューロン(運動神経)が機能しなくなり、体を動かすことが出来なくなっていく難病です。知能と精神と運動神経以外の五感は正常でありながら、動けない・話せないカラダになっていきます。痛みを感じても自力で避けられず、まわりに伝えることも難しい。
例えるなら、拘束服と猿ぐつわを嵌められている状態に近いと思います。

母の闘病期間は約3年、60代でした。

事件の見出しを見て、病状を見かねた医師が安楽死させたのだろうかと思いましたが…



ニュースから一部を引用します。

また、医師2人のうち一人は、「高齢者は見るからにゾンビ」などとネットに仮名で投稿し、高齢者への医療は社会資源の無駄、寝たきり高齢者はどこかに棄てるべきと優生思想的な主張を繰り返し、安楽死法制化にたびたび言及していた。


そっちかよ!!

この事件の背景は、安楽死・尊厳死の問題よりもどちらかというと相模原障害者施設殺傷事件の犯人に似たゆがんだ優性思想があるのかもしれません。

母を通じてALSの闘病に関わり、最期を看取った家族として、とても他人事とは思えずかなりショックです。


生と死のはざまで

下のイメージは、母が友人にいただいたTシャツより。

画像2

母は前向きなタイプでしたが、治る見込みのない闘病は心身ともにつらく、ときどき死を望んでいました。

(ALSは動けなくなっていく病気ですが、母の症状は下肢と球麻痺が中心で、さいごまで手を動かせたため、スマホや筆談機ブギーボードで意思疎通できました)

ALS自体に痛みはありませんが、末期になると骨が神経を圧迫して強い痛みが出ます。母は普通に眠るためだけに毎日モルヒネを投与していました。強い鎮痛剤としてロキソニンが有名ですが、もう効かなくなっていました。

生きることが苦痛で、苦痛を取り除くことができないなら、安楽死はやむを得ないと私は思います。

一方で、どれほど苦しくても生きたい、命ある限り活動したいと望むなら、生きるための環境を整えてあげたいと思います。

本人の意志を置き去りにして、ただ生かすことを望むのも、逆に安易に死なせるのも、どちらも残酷だと思います。

ただし、これは理想論です。
本人が望むふさわしい環境を整えることがそう簡単ではないということも、私は経験上知っています。


限りある医療リソース

今回の事件で逮捕された医師が主張していたという「高齢者への医療は社会資源の無駄」について、感情論抜きで考えてみましょう。

最近は感染症の影響で、医療従事者の負担は高まるばかり。
過酷な労働環境のことや、命に関わる特殊な技能職なのに安すぎる報酬だったり、他にも色々な課題が山積しています。

医療リソースに限りがあるのは事実です。

ALSは指定難病です。高額医療費控除の対象で、自己負担は最低限に抑えられましたが、明細によると1年で1000万円近くかかっていました。
なお、ケア施設への入居費用は別会計で、これは自己負担です。

言葉もありません。

母も家族も大変でしたが、各種制度のおかげで金銭面ではだいぶ助かりました。
ですが、どこかの誰かにしわ寄せがないとは限らない。特に、現場の末端で働いている方たちは労働に見合う対価を得ているのだろうかと。

もし私がお金持ちだったら、お世話になった施設とスタッフにばら撒きたいくらいですが、現実は自分の生活でカツカツという体たらく。


ALS闘病エッセイ「おかんにバラの花束を 〜嵐とALSと青い風〜」

母のブログより、ALS発病から看取りまでの記録をまとめました。
もとは嵐の大野智さんファンブログでしたが、途中からALS闘病記になりました。下のリンク先は、闘病記のみを抜粋したエッセイです。


タイトルの元ネタは、ダニエル・キースの名著「アルジャーノンに花束を」より。

はじめの1話とラスト2話のみ、私が追記したエピソードです。
表紙イメージに使っている「青いバラの花束」はお見舞いでいただいたもので、ちゃんと意味があるのですよ〜。とても綺麗なので、よかったらリンク先をご覧ください。


「死生観」について

母は60代で、発病するまでフルタイムで働いていました。
闘病3年の間に両親は離婚して、母を取り巻く環境も病状もどんどん変わり、そのつど話し合ってきました(詳しくはエッセイで)。

闘病期間イコール、家族ぐるみの終活だったと思います。
死後のことは母の望み通りにしてあげられたという自負があります。悲しいけど悔いはありません。

ですが、誰もがみんな終活する時間的・体力的な余裕があるとは限らない。

一般的に、「死」について話すことはタブーとされています。

ですが、本人の意志を第一に考えるという意味では、普段から「私の死生観」について話し合う環境がなにより大事だと思っています。
ある日突然、事故や急な病気で「死」が降りかかる可能性は、老若男女に関係なく誰でもあり得るのですから。

(このページのヘッダーのカラフルな花は、母が生前に指定していた海洋散骨セレモニーで使ったものです。エッセイの「その後」の話になります)


最後までお読みいただきありがとうございます。「価値がある」「応援したい」「育てたい」と感じた場合はサポート(チップ)をお願いします。