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じさつとたましい46

『小瀧さん最近どう』

アメイジンググレースが残ってしまった私は、
3年ぶりに小瀧さんに連絡をしていた。

サカガミ経典を読む会に急に誘ってきた小瀧さん。

親が出家したために、残される弟を思って
大学を辞めた小瀧さん。

今はどうしているだろうか。

『お久しぶり!すえむつちゃん!
私は元気にしています。すえむつちゃんは
今どこで何してるの?』

すぐに返信が返ってきた。

お互いに時間があるということで、
電話をすることにした。

近況を話し合い、大学をまだ卒業していないこと
精神科の病院で看護助手を始めたことを
伝えると、小瀧さんは「おもしろーい」と笑っていた。

小瀧さんは弟が中学生になったらしい。
剣道部に入って、日々楽しくやっている姿が
微笑ましいと言っていた。

小瀧さんは近所で水産加工業者に勤めているという。

「私は魚臭くて、弟は汗臭いの!毎日
お風呂どっちが入るか戦いよ」

小瀧さんの声は充実感に満ちていた。

「ご両親は…」と訊ねようとすると、
「両親はね、最初の1年は手紙が来たけど、
それっきりは来ないわね。私たちも出家しなさい
ってしつこく手紙が来てたんだけどね」と
小瀧さんが先に話してくれた。

「すえむつちゃんさ、なんていうの
サカガミ経典でも読みたくなっちゃった?」

急に連絡すれば、誰だって何かあったと思うだろう。

単なる気まぐれで私も連絡したわけではない。
私は、Aの自殺の話を初めて小瀧さんにした。
そして、病院で患者さんが興奮して暴れたこと、
その時の部屋の雰囲気が自殺したAの部屋と似ていたこと、
Aが自殺で済んで良かったと、
だから自分に罪はないと思ったこと。

しかしながら、アメイジンググレースに没入する
山根さんに出会い、自分の中から自然と
ゆるされたいという気持ちが湧き上がったことを話した。

小瀧さんは、めちゃくちゃ軽いノリで
相槌をうって聴いてくれていた。

「へー、アメイジンググレースって
そういう曲なんだね。
まあなんていうのかな、
私は自殺とか見たことないけど、
言ってしまえば、私と弟って親に捨てられたのよね」

"捨てられた"という言葉にドキッとする。

「結局それで大学辞めたわけじゃん?
20代のさ、モテて楽しい時期を、
おじさんおばさんと魚捌いて過ごしてるのよ今。
友達のインスタとか見れたもんじゃないわ。
SNSはね、LINE以外全消ししてやった。
LINEもね、大体の子はブロックしたの。
だって辛いんだもん。画面の中のみんなは、
キラキラしてるのよ。親に卒業祝いもらって
初任給で親にプレゼントとかしてるの。
でも…恵まれた時間、だと思ってる。
この時間があってよかった。
弟と2人だけど、家族と穏やかに暮らせる時間、
それって何年振りだったかなって。
辛いに何度も押し流されそうになるけど、
光のような時間があるの。親に捨てられたから
今この時間があるの」

私は、じっと聴き入っていた。心がしんとする。

「で、自殺の話だけど、すえむつちゃんが
電話に出なかったから、その人が死んだかどうか
因果関係は全くわからないんだけど。
電話に出なかったから、その人が得たものって
やっぱりあるんじゃないのかな」

「Aが得たもの…?」

「死んだその人の向こうに
黒い海が見えたんでしょ。
海って大きな存在じゃない。
まあそれが自殺になっちゃったけど、
それは不思議じゃないというか。
大きな存在ってこう、混沌としてるじゃない。
何が悪いか正しいかとかじゃなくて
なんでもそこに流れてる、というか。
まあうまくは説明できないけど、
大きいものに出会う経験ができました。と。
えらぶってた人間がそういうのに気づくのって
よっぽどのことよ。たとえ人生の最後でも
尊いことじゃないの。私ならそう思う。強くね」

小瀧さんはとても芯のある口調で語っていた。

「ちなみにこれ、サカガミ経典の話じゃないからね。
ここ数年魚を捌きながら考えたことよ。
ううん、まあもっと前からかもしれないけど。
まあ、サカガミ教典にも書いてあるかもしれないけど。ちゃんと読んだことないからわからないわ」

思わず私は鼻だけで笑っていた。

「小瀧さんってさ。なんだか独特だよね。
この話で、こんなノリで返す人小瀧さんだけだと思う」

小瀧さんは笑っていた。
ちょうど弟が部活から帰ってきたようで、
電話越しに、声変わりの男の子特有の
不安定な声が聞こえた。

「おかえりー」と返した小瀧さんの声は
木漏れ日のような、あたたかいものだった。

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