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お風呂掃除をしながら考えたこと 新見正則
夫婦2人と愛犬で再スタート4月からわが家では娘が巣立ち、夫婦2人と老犬(ビションフリーゼ)の新生活が始まっています。その変化の新生活のひとつが、僕がお風呂掃除をすることです。これが結構ハマるのです。
めちゃくちゃめんどくさいお風呂掃除毎日やることは、目に見える範囲、つまりバスタブと洗い場、お風呂の蓋の掃除ですが、週に1回ぐらいは、バスタブのサイドパネルを外して掃除をします。
そして、月に1回ぐら
映画に生き方を教わろう 新見正則
僕の永遠のヒーロー、 トム・クルーズ!僕のお気に入りは、トップガン。
トップガンは僕が医師になった当時に大ヒットしたので、
当時の初々しかった自分の気持ちと重なり、何回も見ています。
ミッション・インポッシブルも好きですよ。
トム・クルーズが好きな理由のひとつは、台本を読めないと聞いたからです。
僕もある程度の年齢になるまで、発語障害と読語障害があったので、
なんだか共感を勝手に感じているのです。
標準的治療がよい医療? 新見正則
ひとに喜ばれることをしたい自分が食べたい料理を作って、それを食べて頂いて喜ばれる。
自分が乗りたい車を販売して、それに乗って頂いて喜ばれる。
自分が住みたい家を作って、それに住んで頂いて喜ばれる。
自分が行きたい観光地を勧めて、そこに行ってもらって喜ばれる。
自分が読みたい本を作って、それを読んでもらって喜ばれる。
そして医療も同じです。
自分がされたい医療を施して、そして満足して頂く。
そん
医療をより良く。 新見正則
オックスフォード大学院への5年の留学を終えて1998年に帰国しました。
当時からすでに欧米では患者さんの当たり前の権利とされていた
セカンドオピニオンを普及させたく、
さっそく大学病院で本邦初の保険診療でのセカンドオピニオン外来を
はじめました。
セカンドオピニオンが普及しないはずはない。主治医以外の医師から治療の意見を聴くなど、当時の医療界の思い込みではあり得ないことでした。
「そんなことをす
僕が住みたい国 新見正則
自分の意見を言える僕が住みたい国は、政府のリーダーを公然と批判しても逮捕されたり、罰せられない国です。言論の自由がある国と言い換えてもいいでしょう。ある特定の個人を中傷したり、貶めたりすることには反対ですが、公人であれば、そして当方も名乗っていれば、いろいろな意見を発することができる国を望んでいます。
今度の戦争にもいろいろな意見がありますウクライナとロシアの紛争(実は戦争です)を見ていて、どち
ファシリテーター、やってみる? 新見正則
みんなの心をひとつにして力を合わせる新しいものを作り出すとき、みんなの協力が必要です。
みんなの知恵が必要です。そしてみんなの経験知も重要です。
会議や議論の際に、いろいろな建設的な意見や独創的なアイディア、
一方で従来の考え方や、既存の方法なども交えて議論が白熱すると
より良い結果に繋がります。
実り多き会議にするために結論ありきで、とりあえずみんなで合意した雰囲気を作ることを目的とするような
新しい環境に身をおく方へ お薦め漢方薬! 新見正則
変化に耐える力、レジリエンス新しい環境に対応するには、変化へのレジリエンスが必要です。
レジリエンスとは、敢えて日本語に訳すと、
「回復力」とか「柔軟力」とかに訳されます。
ただ、どれもピンとこないのでレジリエンスという言葉で理解しましょう。
レジリエンスは、
変化というストレスに耐える能力、
危機的な状況を切り抜ける能力、
困難な環境でも生き抜ける能力です。
レジリエンスは鍛えることができま
ホンネを引き出す 新見正則
診察室で患者さんにこっそり本心を聞いてみる患者さんはいろいろです。
「なんでも話して良いですよ。ここは診察室ですから。
ここで話したことは、どんなことでも他には漏れません」と促しても
通常患者さんは本心を話しません。
たとえば、過敏性腸症候群などで下痢の相談をしているときです。
「なんでも話して良いですよ」と促しても「下痢で困るんです」とだけ答えます。
僕は「下着が汚れますか?」と敢えて聞き
主治医の美学 新見正則
外科医の美学、それは手術の腕前だよ僕が外科医になったころ、
ひたすら手術が上手な外科医になることが
僕の美学でした。
朝から晩まで手術前後の患者さんを診て、
手術には渾身の力を込めて参加しました。
なんとしても上手な外科医になりたかったのです。
朝6時前後から深夜まで
そして週に何回も泊まり込むことも苦痛ではありませんでした。
それが外科の主治医としては当然の振る舞いだと思っていました。
そし
旅立ちの季節に 新見正則
まさかこんな激動の時代になるなんて1995年、
オウム真理教のサリン事件が起きました。
5年間のオックスフォード留学の2年目でした。
まさか、毒ガスを使うテロが日本国内で起こることなど想像していませんでした。
2011年3月11日、
大学病院で外来診療をしているとき、今まで経験したことのない大きな揺れで
診察室の机が端から端まで移動しました。
その後は、津波が襲い、多くの人が想定していない大波に